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同じ日の日記

変わらずずっとここに居てくれたこの店で/大谷明日香

2022年4月22日(金)の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年4月は、2022年4日22日(金)の日記を集めました。Creative Studio koko / コンセプター・プロデューサーの大谷明日香さんの日記です。

4月22日、金曜日の18時。打ち合わせを終えて外に出ると、雨が降っていた。左手には、靄がかかった空にほんのり赤く光る東京タワー。少し寒いし、傘もないし。早く帰ろうと思ったけれど、久々に来た赤羽橋。そして、夜ご飯の時間。あのお店の記憶が頭を過ぎる。一度思い出すとどうしても行きたくなって、雨を避けながら走って向かった。

「いらっしゃい」と、大将と女将さん。変わらない風景と、変わらない匂い。突然、5年前に戻ったような気持ちになる。席について、よく頼んでいた煮魚定食と炊き合わせを。本当に久しぶりだな、懐かしいなと思いながらお茶を飲んでいると「ひょっとして……」と大将が話しかけてくれた。きっと覚えていないだろうなと思っていたので、心臓がキュッとした。「お元気でしたか、元気かなって気になっていましたよ」この言葉が、今日の私の心にはあまりに沁みた。思わず泣いてしまいそうだったので、ビールを頼んだ。

このお店でご飯を食べるとき、私はよく泣いてしまう。心の拠り所だった祖母が亡くなった時、出してくれた金柑の甘露煮。あまりに仕事が辛く体調を崩してしまった時、出してくれた蟹の雑炊。私の心と体に合わせて、メニューが決まる。旬の素材を使った料理たちは、時々、祖母や母、実家の食卓の記憶を呼び起こした。泣きながらご飯を食べる私を黙って受け入れてくれたお店。

社会人になって、最初の5年間を過ごしたのが赤羽橋だった。新卒で入社した会社は、朝8時出社で帰りは深夜、オフィスから近い場所に住むのが暗黙のルール。高い家賃に不安を抱きながら、自分のお金で初めて手に入れた20平米の部屋。ベッドとテーブルを置けば、もういっぱいになってしまうような部屋。それでも「東京で、ひとりでも生きていけるようになる」と決めた私には十分で、嬉しかった。夜遅くの帰り道、だんだん大きくなる東京タワーに向かって自転車を漕ぐ時間が何よりも好きで。初めての仕事は何が何だかわからないほど忙しく、毎日怒られてばかり。ヘロヘロになって帰ってきたら、玄関で寝てしまう。そんな生活でも、家賃を払って納税して。ああやっと、ひとりでも何処かでちゃんと生きていける。きっと少しずつ前に進んでいる。そんな気がして、仕事も次第に楽しくなった。「福岡出身です」と言うと大抵「いいな〜」と言われる。確かにご飯は美味しいし、いい場所だよね。家族も友人も大切に思っている。でも私にとって地元は、今でもどうしても居心地が悪い。生まれ育った場所ではなく、自分で選んで生きていける場所が必要だった。だからそれが叶った赤羽橋は、今でも特別な場所。そしてその生活を支えてくれたあのお店は、もっと大切な場所。

赤羽橋を離れたあの日からこの5年間、あまりに多くのことがあったなと思い返す。新しい街に移り住み、新しい会社でひとつの事業をつくったり、別会社の代表になったり。大切な仕事仲間や新しい友人にも出会えた。家を買って念願だった犬も迎え、家族が増えた。だけど去年、がんと鬱病を患ったことで精神的に「1日」を生き延びるのもやっとになって、仕事から離れることになり、自分の記憶のほぼ全てが、ここ1年のことで覆われるようになっていた。あっという間に私の時は止まり、何も前に進まない、生きている心地がしない。そんな日々しかなかった。私だけが世界から取り残されてしまう。毎日何もできない、変えられない自分に不安になって、いなくなった方が楽なのにな、そんな気持ちばかりが湧いて。文字通りの「どん底」を味わい、やっと少し回復してきたのが、この春。去年の今頃は、家から出られなかった。でも今日私は、大好きだったお店でご飯を食べ、大将にこの5年のことを少しだけ話すことができた。私のこの5年間は、辛かったことしかなかったわけじゃない。そう話せたことが本当に嬉しくて、結局、大好きな炊き合わせを食べながら泣いた。

このお店は、変わらずずっとここに居てくれた。味も空気も、何ひとつ変わっていない。だけどコロナの影響でお店を閉めざるを得ない時期があったこと、お弁当やテイクアウトで色々と試行錯誤したこと。その後も周囲の会社がリモートワークになって、今でもお客さんはなかなか戻ってこないけれど、このエリアにはあまり飲食店がないのを知っているので、出社するお客さんのために、できる限り開け続けてきたこと。そんな話を聞いて、変わらない佇まいの裏に、どれだけ大変な状況や葛藤があったのだろうと考える。皆、一見変わらないようでも、うまく前に進んでいるようでも、それぞれの道のりに大小問わずハードルや困難があって、迷ったり、悩んだりしながら1日1日を越えている。人生は、本当にコントロールなんてできない。変わらざるを得ない環境や、状況は、いつだって私たちに降りかかってくる。だけど、大切なものだけは失わないよう、今ここに居続けること。居続けられたこと。

東京で、ひとりなんかじゃ生きてこられなかったな。たくさんの人と関わり、それぞれの時と場所で支えられ、今日ご飯を食べることができている。来週は、大切な人とまたここに来よう。

大谷明日香

新卒で広告代理店に入社。YOUNG SPIKES2016日本代表選考でBRONZEを受賞時、テーマがGender wage gapだったことを機にクリエイティブを通じて社会問題に取り組みたいと考えNEWPEACE Inc.に参画、執行役員を務める。2018年、REINGを創業。着る人の性別を問わないアンダーウェアを開発し、性別・年齢・人種といった属性に対する固定観念を問い直す表現・コミュニケーションのあり方を基軸にプロダクト、コンテンツ、プロジェクトの立ち上げを行う。2022年、アウトプットだけではなく経営から制作現場まで多様なバックグラウンドを持つ人の視点を持ち込むこと、あらゆる人が心と体を大切にできる労働環境づくりに一貫して取り組むことを目指し(株)kokodear / Creative Studio kokoを創設。多数の企業やブランドのコンセプト設計・クリエイティブ制作に携わっている。(profile photo:Edo Oliver)

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