目の前に座っている家族が、なんだかもめている。苛ついている。男性は赤ちゃんを抱えながら、パンケーキをカチャカチャと口に運んでいる。後ろ姿の女性が「何か言いたいことがあれば、口に出して言ってください」と、やさしい口調であることをつとめるように言う。男性は表情を変えず「何を気をつければいいのかは、わからないけれども、気をつける、という意味では、そうするようにするよ」ときわめてゆっくりと言う。
イライラしてるな。元旦の朝から。チェーンの喫茶店で。それを見ている。元旦から。
よくあるイメージ写真の、家族がずらっと並んでみんなこちらを向いて笑顔、というのはいつのシーンなのか。昨晩も蕎麦屋に行ったら、老夫婦と娘らしき家族が見えて、母親らしきひとが「どうしてそんな嫌なことを言うの?」と娘を非難していた。
年末年始、みんなしっかりギスギスしていて、CMで見るような全員がにこにこと笑っている家族とはどこにいるのだろうかと思う。大抵誰かがふてくされていたり、イライラしていたりして、でもなぜかとりあえず一緒に行動して、席について何かを食べていて、人間というのはたくましいと思う。
目の端にふと加湿器がうつる。そういえば昔のバイト先にあった大きな加湿器、ずっと給水ボタンがついていたのにみんな気づかないふりをしていた。タンクを外して、遠くの水道まで行くのが面倒くさかったのだ。赤いサインがいつまでも、ささやかにぴかぴかと灯っていて、嫌だった。誰もが水がないことをわかっていながら、加湿器の電源を機械的にオフにしたりオンにしたりしていた。加湿器は黙ったまま、だけど確実に助けを求めているようだった。
「なんで目指していたの?」と後ろ姿の女性が、言葉を選ぶように男性に話しかけている。「目指していたから、としか言いようがない」と彼は答える。「そう、目指していたのは、いつから?」「いや、目指せてはいないよ」。なんだこの会話。禅問答か?
ギスギスしながらふたりはものすごいスピードで「ふわふわパンケーキ」を口に詰め込んでいる。赤ちゃんはスヤスヤと眠っている。
机の上には色々と広げていたのに、彼らが席をたったら、ぬぐいさられたみたいにきれいに何もなくなっていて、なんかそれがさみしくて泣けてくる。誰もいなくなった喫茶店のテーブルは、ひとの痕跡が全くないように感じられるのはなぜだろう。新しい客がまたやってきて、最初からそこが彼らの場所だったかのように見える。
正月が苦手だ。新しいことが嫌いだ。新年がくると、自分がこれまでいた年がまるごと、ふいに死んでしまうかのようでこわかった。小学生のころ、紅白を見ると何かが決定的に失われてしまう気がして、テレビを独占し、特に好きでもないクラッシュ・バンディクーのゲームをやった。0時を過ぎても、新年がきていないふりをしたのだ。とにかくわたしは知らんぷりをしたかった。わたしの代わりに、主人公のクラッシュは何度も死んだ。
大人になっても、正月がこわいままだ。昨晩はどうしていたか、もう思い出せない。さっきまでいた家族の顔も。コーヒーがぬるい。胃がいたくなるから、おかわりはしない。