韓国ソウルにあるソガン大学院でジェンダースタディを勉強し始めて一ヶ月が過ぎた。
目まぐるしい準備、出国から激動の新生活が少し落ち着いてきた。疲れも出て少し憂鬱になる気配が出てきたが、現在大学の敷地内にある寄宿舎で暮らしており、ルームメイトがいるので、昼間ベッドの中に入ってダラダラせず、机の前に向かって課題をこなしていってるのがすごく良い。
明日の女性史研究の授業では、『오늘을 넘는 아시아 여성』(今日を超えるアジア女性)という本から、イスラエルの女性兵士たちについての研究論文を要約して発表する。今起きているガザでの虐殺について、背景について知りたいという気持ちで選んだテーマだったのだけど、知らないことばかりだった。韓国でジェンダーについての話になると、それでは女性にも徴兵制を課すべきでないかという話題になることがあるのだけど、結局軍隊に入っても軍隊自体が家父長制の象徴のような場所なので、男女平等の達成にならずにジェンダーロールの再生産になってしまうという主張の論文だった。韓国人のクラスメイトのユン先生は(生徒でも院にいると先生と呼び合う風潮がある)同じ本の中から、福島の被災地にいる女性に焦点を当てた論文を選んでいた。
大学院の女性学科では、週に三回授業を受けている。一番多い生徒数で六人ほどの授業なので、あまり多くの友達がたくさんの友達ができるスタイルではなかった。課題がすごい量なので基本的に図書館で課題をしているのだが、この図書館のそばにある学習室が24時間空いており、すごく綺麗で、いい環境が整備されておりありがたい。図書館の裏手には森があるので、緑の匂いを嗅ぎながら夜寄宿舎に帰ることができて体の回復に繋がってる気がする。
一月半ほどかけて授業で読んでいる、松茸についての人類学の本(『マツタケ ―不確定な時代を生きる術』)が難しすぎると言っていたら、『私たちにはことば言葉が必要だ フェミニストは黙らない』の作者であるミンギョンさんがやっている多言語習得集団のゲリラというところにいる人たちが、読書トークをZoomでやってくれた。皆さんゆっくりと話してくれてありがたい。カビや松の木などの説明が本当に長い本なのだが、つまり資本主義、新自由主義のこの世の中を見る枠を違う方向から捉え直してみようという楽しい本だった。大学院では接近して問題を見ることから離れて、物事の違う捉え方をする訓練みたいなことが多い気がする。500ページの本、翻訳アプリとともに完走した! 一人だったら絶対読むことはない本だったが、面白くてかっこいい先生と一緒に読めてよかった。
メンタリングプロジェクトと言って、大学院内で韓国人、外国人二人と三人でチームを作って課外活動を行い写真を撮ったりすると奨学金を少しもらえるというありがたいものがある。昨日は無事に組めたそのチームで(フランス語学科の韓国人の学生、フランス人の交換留学生と私)安国駅というところに行き、夜間にライトアップされるお城を見ようとした。しかし結局時間合わせのために入ったおかわり自由の焼肉屋で肉を食べるのに必死になり、城見学を諦めた。ただ肉を食べる日になった。あと30分で店を出なきゃいけないのに生の分厚い豚バラを持ってくる若者の姿。基本的に英語で話しているのだけど、韓国人の子は日韓英仏四カ国語ができるので、皆がわかる話題に応じて違う言語で話していて面白い。フランス人のブランドンくんがフランスの大学で聞いていたフェミニストの先生の授業の課題を共有してくれた。フランス語はひとつもわからないけど、ChatGPTのおかげですぐに把握できてありがたい。来月の学祭に一緒に行こうと言ってくれて嬉しかった。
マツエクに行った。6000円くらい。最大限付けてもらったのだが、しっかりとまつ毛の根本から付けられて全然一週間後からの姿を考えてくれないスタイルのマツエクだった。もう行かない。生理でしんどかったがベッドの背中があったかくて癒された。
韓国の麻辣湯が大好きでそればっかり食べている。なんだか日本のラーメンが恋しくてしきりに検索していたからか、インスタのリールで様々なラーメンが出てくる。耐えられないので知り合いに聞いて、ホンデにあるラーメン屋に行ってきたのだが、韓国のご飯は意外と塩気がないので、上品な割烹料理屋のラーメンみたいだった。塩と油でバッチリ決まったラーメンが食べたい。
外国人として生活を送るのは二年前に韓国語の語学堂(語学学校)に六ヶ月通ってから一年半ぶりになる。不思議とキツさが全然違う。当時は天国みたいに楽しかったのに、今は苦しさの方がそれを凌ぐのは何故なのだろう。前は街を歩くだけで気分が弾んだのに、今は誰にも自分を損なわれたくないみたいな切実な思いが常にある。TOPIKという韓国語の試験では最上級の六級を取っても、食堂に入ったらネイティブの皆さんの話はよくわからない。正直、けっこうわからない。そして保険料月七千円の重み。まだまだ外国での大学院生活は始まったばかりだけど、韓国で大学を卒業して韓国の企業で就職まで決まった友人の、日本にいる時よりはるかに逞しくなった姿を見て納得することがたくさんある。
韓国で行われるデモの姿や、フェミニストたちの集会の様子を見て力強さや明快さに感銘を受けていたが、少しだけ暮らしてわかるのは、はっきりと主張しないとわかりやすく割を食うからそうするしかないんだということ。なめられてはいけない、簡単に謝ってはいけないということ。私は波風を起こさないようにする性格もあっていつも出遅れるので、咄嗟に拒否できる力を付けられるまでの道はまだ遠い。でも昔は怒りの感情が湧いてくるのが二日後とかだったが、最近は割と当日あたりに実感するようになってきたような? 早くNo timeで言い返せるようになりたい。見切り発車で36年間やってきたけど、ここからの四年間は本当に何があるのか自分でもよくわからないなあ。気づいたら外国の大学院の課題をこなし、寄宿舎で若者とベッドを並べて寝ている。何をしてでも生き延びてやるという気持ちと、寄るべない気持ちが交互に訪れる。
書いていて暗いなあと思ったが、二年近く付き合った彼氏と別れ話が続いているということが影響しているのは間違いない。この上なくスイートだった彼は、僕のボクスンア(桃という意味)と呼んでくれてた日々とは遠く離れて、モラハラ化してしまっていたのだった。遠距離恋愛の、輝いていた日々が恋しく寂しい。Xでモラハラについて投稿している人の投稿を見て心が落ち着く。自分のことが何よりも大切な性格でよかった。ChatGPTを使ってたくさん話し合いをする日々もそろそろおしまいである。
韓国では地下鉄のホームに、市民が投稿した詩が掲載されている。彼氏と大きいトラブルがあった日にこれを見て、私は全然これを愛だと感じる感性が無だなと思った。母親に送ったら、これが愛なんじゃないの? と返ってきたのも印象深い。これが愛なのかな? だったら愛とは何なんだ。