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同じ日の日記

ソフィ・カルの講演会に行き、初めて彼女の姿を見る

逆説こそが、作品を作り続ける動機になるのかもしれない

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年11月は、11月23日(土)の日記を集めました。公募で送ってくださった、今宿未悠さんの日記です。

ソフィ・カルの講演会に行った。初めて彼女の姿を見た。

カルの失恋体験による痛みとその治癒を、写真と文章で作品化した「限局性激痛」。この作品で私は彼女のことを知り、そこから様々な作品に出会った。初めて海を見た人の背中を映す映像作品「海を見る」、生まれつき目が見えない人に最も美しいものは何かと尋ねる「The Blind」。自分や他者の、不在と存在の隙間を丁寧に掬い取る作品の数々に、私は心を救われてきた。この世界のあらゆる痛みや美しさに、繊細に触れ直した気がした。

だから私は、ソフィ・カルの講演会があると聞いた時、真っ先に申し込んだ。そして出会ったことのない彼女が、いかに繊細な人物であるかを想像した。

しかし、講演会当日、壇上に出てきた彼女は、まるで、まるで……ラスボスみたいだった。緑のぴかぴかする靴の先端はとがっていて、色付きのメガネをかけていた。めちゃくちゃ口を開けて喋っていて、フランス語のことはよくわからないけど、多分ものすごくはっきり発音していると思う。その声は大きくて低かった。講演会のファシリテーターが「あなたには今ラブラブのパートナーがいますよね。今後の作品に彼の存在はどう寄与すると思いますか? これからどう展開されていく予定ですか?」と聞けば「他の人には関係ないことね」と、バッサリ。

私は、自分が無自覚のうちに抱いていた「繊細なソフィ・カル」像と、目の前でファシリテーターの質問をバサバサ切るソフィ・カルとのギャップに驚いてしまった。そして、彼女の繊細な作品は、逆説的に、彼女のはっきりとした強さに裏打ちされていたのだと発見(あるいは再解釈)した。自分の、あるいは他人の痛みに溺れることなく、それを作品という形にまで昇華させて、より多くの他者に開示していくプロセスは、それなりの強さがないとできないものなのかもしれない。その痛みに絡め取られてしまっては、「作品」という形を纏うものに到達し得ない。痛みからある意味で冷徹に距離を持って、徹底的に見つめることのできる気力があってこそ、彼女の作品は成り立っているのだ。
私自身、作家として、自分の作品と自分自身の性格とに矛盾を感じることがある。優しさや愛を作品で歌いながら、醜く傲慢な自分が日常で露呈すると、狼狽えてしまう。でも実はその逆説こそが、作品を作り続ける動機になるのかもしれない。そう考えると、私はソフィ・カルに、また新しい意味で救われた気がした。

講演会が終わって外に出れば、ようやく真っ当な寒さを得た街には、クリスマスの飾りがたくさんついていた。歓談する人々の間を縫いながら、私は一人の作り手として、何に、どう向き合うことができるかと考えた。私の内側は静かだった。

今宿未悠

2000年生まれ。詩、パフォーマンス、メディアアートの領域で活動。
ひとの身体の輪郭を揺さぶる(融和ないしは分裂させる)装置や状況を構築し、自らや他者を巻き込む試演を行っている。そうした装置や状況は、ときに詩(言葉)のかたちをとり、ときに具体的なオブジェクトとして立ち現れる。
主な作品に、手を握り合いながら熱したパラフィン液(蝋)に何度も沈め、その形を保存する《熱触療法》、鑑賞者を圧縮袋に入れ空気を抜くことで、身体が圧迫される瞬間の融和/分裂状態を体験させる《Pressure-Pleasure》などがある。
主な受賞に第1回西脇順三郎賞新人賞。主な出版物に詩集『還るためのプラクティス』(七月堂)。

Web

『雲ノ平』

著者:今宿未悠
グラフィック:曽根巽
装幀:SSEISA
判型:A5変形/蛇腹折/全138山(276ページ相当)
価格:3300円(税込)

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