用事がある日、予定していた時刻よりもちょっと早くに目が覚める。午前4:55、この日もアラームが鳴る5分ぴったり前だった。大抵いつもこうやって起きてしまうのは苦手意識の拭えない、早起きへの緊張感のせいだと長年思っていた。でもどうやら早起きそのものよりも、アラーム自体が苦手らしい。どんなにヒーリング効果を意識したメロディも、癒しそのものである睡眠を阻害してくることには変わりない。先入観でいっぱいだった早起きはたくさん寝られてさえいれば、じつは苦でもなんでもなかった。なにかに急に起こされるという状況に、わたしはただびびっているのだった。心臓を驚かせないようスタンバイすることで、わたしの方が自然とアラーム音より早く起きているだけだった。だったらアラームなんてかけなければいい、とはいかない。予定の時間が普段と違いすぎれば起きられないし、音がないと理解したなら緊張感にも欠けるので、5分前に起きられるなんてことはありえない。起きられなかったらこわいので、保険にしっかりセットする。もちろんふつうの日にはまったく使わない。普段迎える朝、緊張感のない目覚めは、わたしを柔らかくいさせてくれる。
大人になってからだと思うけど、眠ることがちょっとずつ苦手になってきた。眠りの深さと長さが、のどの調子にダイレクトに影響するから睡眠はとても大切なものなのに。薬を飲んだり、あえてほどよく疲れたりしないと眠りにつけない日が多い。みんなそういうものなのだろうか? 人はけっこう歳をとると、早起きになっていくことは知っているけれど。とにかくたくさん寝たいので、二度寝はするし、足りなければ昼寝もする。夜もできるだけ早く寝ようとする。子どもの時だってものすごくよく寝ていた。ただ、見てると、わたしはまわりの人よりも「眠りたい」と「食べたい」の欲求が強いとは思う。
けれども現在の睡眠スタイルがすべて嫌、というわけでもない。なかなかの頻度で、映画や長編ドラマのような、設定の細かい奇妙な夢をみるので、そっちの世界を楽しみにしている自分もいる。もちろん同じ夢は何度も見るし、同じ場所に行くこともある。知人が登場し、ここでは言えないようなことをする時もあるし、夢に出てきた人が気になってしかたなくなり気がつけば恋してしまっていることもある。こうして書くとほとんど平安時代の人のようだけれど、文字通り夢と現実が混ざりながら生きていて、あれって夢だったのだろうかと時々わからなくなる。わからなくなる瞬間、わたしはどちらの世界の住人なのか、どちらもわたしなのかと、夢界隈の大問題に突入する。ストーリーは破綻を起こさずおもしろいものが多いので、たまに友達に見せたりもする。友達はたまったものじゃないかもしれない。聞けば世では、人の夢ほどどうでもいいものはないのだそうだ。母親からそう言われてきたのに、母親も同じくらいわたしに夢の話をするので、それで起こった笑いながらの小さな喧嘩は数えきれない。でも本当に、いつかまとめて記録をつけて、夢十夜のような日記を出してみたい。
ところで目覚めの順番としては、まず脳内の目が開き、先ほどまで目の前を漂っていた褪せたフィルムのような夢がシャットアウトされるのを感じるところから始まる。このフィルムは尻すぼみになっていることもあれば、絶賛上映中のところをぷつっと切られてしまうこともある。この朝は脳内じゅうの付箋に「今夜は福岡でライブ、朝の飛行機に乗り遅れない」とびっちり書かれていたので、思い出そうとせずとも思い出した。夢は、おもしろそうであれば反芻し、それからようやく実際のふたつの目が開く。暗闇のなか、決まった位置に置いた携帯の画面を確認し、なんらかの音が鳴る前に急いでアラーム解除をする。「スキップしました。」と表示されるのを見届けるまではほとんど脱出ゲームの緊張感で、そんな自分をやわらげるように無意識に毛布のにおいを嗅ぐ。寝がえりをうって枕をにおう。横においた大きな犬のぬいぐるみの日もあるし、パジャマの首元のこともある。たぶん、家と、お日様と、ほこりと皮脂の混じったにおい。遺伝子レベルで好きなにおいを嗅ぐことは、わたしの人生においてかなり重要なことのひとつだと思う。小さい頃、クリーム色がもっと薄くなってしまったぼろぼろのタオルと、ずっと離れられていられなかった。ごわごわした繊維とそこにしかないにおい。タオルを吸えないとわかると安心できなかった。その頼りなさと心細さは、時々鮮明に思い出す。
アラームを解除し(解除という言葉が、アラームというものに対して大層すぎるところもあるよな? と思う)、とにかく飛行機に乗り遅れないこと、それだけが大事なため、いつもの2倍の速さで動くようにつとめた。なんとか起きて30分で家を出られたものの、前日の夜にすべての用意を終えたと思っている自分が怪しいので、結局出る前にもう一度いろんなところを確認する。最終的に忘れてもなんとかなる、と納得しながら空港へ向かった。
(⭐こんなに搭乗を恐れている理由は今のところひとつしかない。数年前、友達のバンドのライブスタッフとして台湾に行かせてもらった時のこと。飛行機に慣れていなさすぎたわたしは、空港の売店の多さにかなりはしゃいでいた。普段ならば食べないマクドナルドをわざわざ選び、メニューを見る。グリドルが魅力的な朝マックよりも、みんながよく話していたサムライマックがどうしても食べてみたくなった。はじめて食べたわたしはあまりの美味しさに自分でもわかるほど笑顔になり、同行していたメンバーに感動を伝えながらゆっくりと食べ終え、満を持してゲートに向かうと、もう時間は過ぎた、君たちは入れないと言われてしまったのだった。今思えば、大切なことをなんにも調べていなかった。国際線は、早めのチェックインをしなければならないのだった。わたしの人生は大抵こうだ。あまりの愚かさにロビーで大泣きしながら、メンバーに慰められながら、通行人にじろじろ見られながら、必死にインターネットの画面を見つめ、どうにかその日じゅうに台湾に行ける飛行機を予約した。旅の予約や行程づくりを、わたしにぜんぶまかせて! と意気込んでいたこともあり、あまりの申し訳なさとはがゆさから、メンバー分とわたしの分、2枚分を自分で払った。安い台湾行きの飛行機はその日はもうなく、比べると高級な飛行機になったが、それはある意味でよかったのかもしれない。CAさんにもてなされ、あまり美味しくない機内食を食べているうち、すべてどうにかなる、と持ち前の楽観的な気持ちは早くも芽生えていたように思う。飛行機ではいつも通りうとうとしていたと思う。ちなみにその後、いろいろあって、別のところからチケット代は戻ってきた。わたしの人生はいつも運に救われてる。そういえば台湾旅の思い出は他にも色々あり、あまりに散々で、あまりに同行者たちに迷惑をかけたので、いい感じに文章に書けたことは未だ、ない。⭐)
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向かう道で、透けたオレンジの光と照らされる街を見た。窓越しの朝日は繊細に力強く、素晴らしかった。早朝ってほんとに気持ちがいい、といつもあたらしく驚く。メンバーとスタッフと空港で待ち合わせ、ごはんを急いで買い、福岡に向かう飛行機に無事搭乗することができた。すごく安心した。きっともう大丈夫になったわたしは、わたしたちの曲を、歌を待ってくれている人がいる、初めての地に飛び立った。
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