私が研究を始めたきっかけは、学部でフェミニズムを勉強し、あまりうまくいっていないかった父との関係性に、いろいろな名前をつけて理解できるようになったことと、中国留学中に学んだ戦争と女性の関係が、点と点でつながったからだった。
フェミニズムを勉強して強くなれたと思った私は、一時期フェミニズムを武器にしてしまっていた。料理上手な母に、父は、「良い嫁」だと自慢げに、かつ嬉しそうに声をかけたのを聞いて私は、「気持ち悪い」と一蹴した。実は父は、中学生のころに日本に来たので、彼にとって「嫁」という言葉は妻を意味する日本語でしかなく、そこにはもちろん差別的な意味はなかった。それなのに私は、彼の苦労も知らずに、また、両親の微笑ましい会話をただ、フェミニズムという武器をもってぶち壊してしまったのだ。その日の夜、母は私に、「私は何もしていないのに気持ち悪いと言われたことにすごく傷ついたから、ほかの人にそういうことは言わないほうがいい」と言ったが、私はその時も、フェミニズムを理解していない母だと思ってしまっていた。父なんてもっと、理解どころか私をただ抑圧する存在であるかのように思っていた。
でも徐々に、私は間違っているのではないかと思うようになった。それは、私が手に入れることのできたフェミニズムの知識は、母や父が働いて、私に勉強する機会をくれているおかげだと、恥ずかしながらずいぶん後になって気が付いたからだ。私の研究のために、仕送りをしていてくれた両親のありがたみを、私がやりたいと言ったことに反対するなんてことは一度もなかったということを、実家を出てからようやく気が付いたのだった。
勉強した知識のみで、両親にえらそうに説教をしたり、心無い言葉をかけたりするのは、正直言ってバカだ。しかもその知識は自分ひとりの力で得られたものじゃない。もっと言うと、私という存在がいまここで勉強し、生活し、研究までできているのは、両親だけでなく、その上の世代である曾祖母や祖母の存在がなければありえない(本当はもっともっと上の世代から数えたいけど、ここでは会ったことのある人だけを書いた)。
フェミニズムという思想は、私のモヤモヤを救ってはくれたけど、だからといってそれを武器にしていいわけでないし、そもそも誰かを攻撃するためのものじゃない。思想は生活と共存できるものであるはずであり、フェミニズムだってそれを望んでいるはずだ。
曾祖母に、旧「満洲国」時代の話を聴くと、現代社会の規範からは差別的ともとれるような発言があったりする。祖母だって、はやく私にこどもを産んだほうが良いと言ってくる。以前なら、フェミニズムを武器にして、人生の大先輩に説教をしていたかもしれない。でももう私は、一度私を救ってくれたフェミニズムによって、だれかを傷つけたりはしたくない。そこにあった生活、今ここにある生活を見つめて、人生の先輩である彼女たちの経験や考えを尊重したい。私は私ひとりだけの力で生きているのではないのだから。