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同じ日の日記

曾祖母、祖母、母から受け継ぐもの:「フェミニズム」を武器にしないために/森川麗華

一度私を救ってくれたフェミニズムによって、だれかを傷つけたりはしたくない

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年5月は、5月27日(月)の日記を集めました。インターセクショナリティの視点から「中国残留婦人」に関する研究を行っている森川麗華さんの日記です。

もうすぐ92歳になる曾祖母と、75歳の祖母の家に行った。研究のための聴き取りを行うためだった。

私は今、東京で研究生活を送っていて、二人は私の地元、神戸に住んでいる。私の研究は、「中国残留婦人」と呼ばれる、国防を充実させるという名目のもとで行われた国策によって旧「満洲国」へ渡り、敗戦当時13歳以上の女性だったという理由のみで、「自己意志」で中国に残ったと見做されたり、ほとんど売買婚のような形だったにもかかわらず、「国際結婚」をしたと日本政府によって決めつけられ、日本への帰国が大幅に遅れた女性たち。曾祖母は、まさに「中国残留婦人」と呼ばれた女性である。

彼女は幼い頃に父親を亡くしていたため、先に大連で働いている姉を頼りに移民した。大連は港町で、当時は東洋一の都会の一つだった。彼女の神戸の家からも、海が見える。船がどこからか来て、またどこかへ出ていく。曾祖母は、大連でも見た船の景色を、いま神戸で見て何を思うのだろうか。

曾祖母、祖母、母から受け継ぐもの:「フェミニズム」を武器にしないために/森川麗華

曾祖母の自宅から見える明石海峡大橋

私が研究を始めたきっかけは、学部でフェミニズムを勉強し、あまりうまくいっていないかった父との関係性に、いろいろな名前をつけて理解できるようになったことと、中国留学中に学んだ戦争と女性の関係が、点と点でつながったからだった。

フェミニズムを勉強して強くなれたと思った私は、一時期フェミニズムを武器にしてしまっていた。料理上手な母に、父は、「良い嫁」だと自慢げに、かつ嬉しそうに声をかけたのを聞いて私は、「気持ち悪い」と一蹴した。実は父は、中学生のころに日本に来たので、彼にとって「嫁」という言葉は妻を意味する日本語でしかなく、そこにはもちろん差別的な意味はなかった。それなのに私は、彼の苦労も知らずに、また、両親の微笑ましい会話をただ、フェミニズムという武器をもってぶち壊してしまったのだ。その日の夜、母は私に、「私は何もしていないのに気持ち悪いと言われたことにすごく傷ついたから、ほかの人にそういうことは言わないほうがいい」と言ったが、私はその時も、フェミニズムを理解していない母だと思ってしまっていた。父なんてもっと、理解どころか私をただ抑圧する存在であるかのように思っていた。

でも徐々に、私は間違っているのではないかと思うようになった。それは、私が手に入れることのできたフェミニズムの知識は、母や父が働いて、私に勉強する機会をくれているおかげだと、恥ずかしながらずいぶん後になって気が付いたからだ。私の研究のために、仕送りをしていてくれた両親のありがたみを、私がやりたいと言ったことに反対するなんてことは一度もなかったということを、実家を出てからようやく気が付いたのだった。

勉強した知識のみで、両親にえらそうに説教をしたり、心無い言葉をかけたりするのは、正直言ってバカだ。しかもその知識は自分ひとりの力で得られたものじゃない。もっと言うと、私という存在がいまここで勉強し、生活し、研究までできているのは、両親だけでなく、その上の世代である曾祖母や祖母の存在がなければありえない(本当はもっともっと上の世代から数えたいけど、ここでは会ったことのある人だけを書いた)。

フェミニズムという思想は、私のモヤモヤを救ってはくれたけど、だからといってそれを武器にしていいわけでないし、そもそも誰かを攻撃するためのものじゃない。思想は生活と共存できるものであるはずであり、フェミニズムだってそれを望んでいるはずだ。

曾祖母に、旧「満洲国」時代の話を聴くと、現代社会の規範からは差別的ともとれるような発言があったりする。祖母だって、はやく私にこどもを産んだほうが良いと言ってくる。以前なら、フェミニズムを武器にして、人生の大先輩に説教をしていたかもしれない。でももう私は、一度私を救ってくれたフェミニズムによって、だれかを傷つけたりはしたくない。そこにあった生活、今ここにある生活を見つめて、人生の先輩である彼女たちの経験や考えを尊重したい。私は私ひとりだけの力で生きているのではないのだから。

曾祖母、祖母、母から受け継ぐもの:「フェミニズム」を武器にしないために/森川麗華

いま曾祖母が育てている野菜

森川麗華

1998年、神戸市生まれ。現在東京大学大学院学際情報学府にて、インターセクショナリティの視点から「中国残留婦人」に関する研究を行っている。

森川麗華│researchmap

日本生まれで、中国にルーツのある私は、自分自身は一体何者なのかということを幼い頃から考えてきました。そのようなアイデンティティのゆらぎや悩みについて書いた論稿「輻輳するアイデンティティー「華僑の私」が「中国残留婦人四世」と名乗るということ」(『日本オーラル・ヒストリー研究』第20号)が出ています。また、そのようにいろいろと考えてきた中で強く「眼差し」というものを意識してきた私がその視点を研究に活かして書いた論文が、「戦後日本における「中国残留婦人」への眼差しー新聞資料を中心に」(『同時代史研究』17号)です。ご関心のある方はぜひご笑覧いただけますと幸いです。

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