「いじわるで、嘘つきで、暴力的」な主人公・カナと周囲の人々との関係性
2024/10/18
2024年9月6日から公開されている映画『ナミビアの砂漠』で河合優実さん演じる主人公のカナは、「いじわるで、嘘つきで、暴力的」。日常的に目にする表象の数々にある女性像とは異なるところの多いカナの姿から目が離せないでいると、同時に2020年代の日本におけるジェンダーの不均衡や、一人の人間のなかにある多面性、他者とのわかり合えなさや、愛がねじれて絡まるさま……など、社会の構造や個人同士の関係に潜む問題を捉えた、さまざまなテーマが浮き彫りになって感じられます。
甲斐甲斐しくカナの世話を焼くホンダと離れて「クリエイター」のハヤシと暮らし始めたものの、次第に混乱が手に負えなくなっていくカナは、矛盾や揺らぎを抱えながらどこへ向かうのか。この作品で、簡単に言い表せない複雑な人物像と他者との関係を軸にしたストーリーを描き出すことで、監督・脚本を務めた山中瑶子さんは、何を伝えたかったのか。また、この社会の構造をどう捉え、人物と関係の背景に反映させたのか。話を聞きました。
ー主人公のカナをはじめとする登場人物のさまざまな心情が描き出されていて見応えがありました。さらに、見ているうちに社会の構造や今の若者が感じていることが浮かび上がってきて、何度見ても新しい発見がある映画でした。個人的に、私は山中監督と同じ27歳ということもあり、同世代でこんなに面白い映画を撮る人がいるんだ! と興奮したんです。
山中:同い年として、映画で描かれていたムードみたいなものってわかりましたか?
ーわかるな、と思いました。
山中:よかったです……!
ープロダクションノートにあった「人間関係における権力関係や、不誠実さについて書きたかった」という山中監督の言葉も印象的でした。カナをはじめとして登場人物はみんなそれぞれ不完全で、他者の愛を奪ったり利用したり、反対にホンダは他者に愛を与えることで自分を満たしているような側面もあったり、互いにもたれかかり合いながら存在しているその関係性が面白いなと思いました。今回このような脚本を書きたいと思ったきっかけはありますか?
山中:一番は河合優実さんを主演に、ということが大きなモチベーションとしてあったので、どういう主人公像が見たいか、というところから考えていきました。河合さんはこれまで他者や大人によって抑圧されたり、大きなものを背負わされたりする役を多く演じられているなと思っていたんですけれど、今回の作品では、もっと自我を持っていて、倫理的にはかなり間違っていて自分勝手でも、自分の足で立っているというキャラクターを演じてほしくて、そういったカナの人物像から考え始めました。
そこから、自分の憧れる映画とか、こういう映画を見たいなと思う作品を思い出しながら脚本を書いていきました。例えば、『女王陛下のお気に入り』や『ファントム・スレッド』『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』とか。それらの作品は、他者を支配しようとしたり、反対に意図せず支配したりしてしまっているみたいな、窮屈な二者関係を描いていると思います。なおかつ女性が記号的ではなく、物語に従属せず、別の立場にある人から見たら間違っていて断罪するのが簡単だとしても、そのなかで生きる本人にとってはそこにある種の真実があって、自立している映画がすごく好きなので、そういった作品にしたいなと思っていました。
─カナは自分勝手で、時に恋人に殴りかかったり暴言を吐いたりして、一見ホンダやハヤシに依存しているようにも見えます。一方で、ホンダが家事や日々のやるべきことを全部やってしまって、むしろカナができることがなくなっていく、無力なものにされていくような印象も受けました。ハヤシと付き合い始めてからも、2人の関係性のあり方をハヤシがどこか一方的に提示するようなシーンがあり、カナが自分で考えたり、決めたりする権利が奪われていたように思います。
倫理的に間違っている女性を描きたかったという話がありましたが、男性たちとの間には権力勾配があって、若い女性であるカナが弱い立場に見えてくるような印象も受けました。
山中:ホンダもハヤシもすごく優しいし、一見カナを尊重しているように見えます。けれどおっしゃる通り、カナはあんなに自我が強いのに、男性との関わりによって無力な存在になってしまうというか、二人がカナを見くびっているようなところがあるということは意識的に書いていました。ホンダとハヤシはそのままのカナを見ているつもりなんでしょうけど、実は彼らにとってカナは、どこか自分の理解を超えた自我があったら怖い相手である、ということは、脚本を書く上で考えていましたね。ホンダとハヤシは対照的に見えるけれども、根底にはある種、似たところがあるんです。
そういうことを考えてはいたのですが、社会のなかで男女間にどうしてもある不均衡性みたいなものは、意識しなくても、脚本を書くだけで見えてくるという節はありますね。身近なところだと、自分の両親を見て感じてきたことも取り入れています。私自身、女性である母が家庭に押し込められて、子育てに専念させられている、というふうに感じながら育ってきたので、「きっと母にも家事や育児の他に何かやりたいことがあったはずなのに、叶わないフラストレーションを抱えていただろうな」ということを思い出したりもしていました。
─カナが弱い立場に見えるシーンがある反面、ハヤシがカナを恐れるようなシーンもありましたよね。二人が喧嘩をするシーンでは、カナが癇癪を起こし始めた雰囲気を察して、ハヤシが食べていたカップラーメンを倒されないようにとカウンターの上に移動させました。あの場面は、ハヤシにとって、見くびっていたはずのカナが恐れを抱かせる存在になったように見えて、爽快感すら覚えました。
山中:他人は思ったようには動いてくれないものですよね。社会的な場面では相手のことを操作できないとみんなわかっているのに、恋人関係や親子関係のように閉じられた親密な関係になると、相手が言うことを聞くだろうと思いがちなところがあると思います。カナが恋人のハヤシに対して甘えている部分もあると思うし、互いが相手を思い通りに操作しようとするという意味では、二人の関係にも権力闘争があると言えるかもしれません。少し大きい話になってしまいますが……。
でも、あのカップラーメンをテーブルからキッチンのカウンターに移動させる動作は、ハヤシを演じる金子大地さんのアドリブだったんですよね。
─そうなんですね! 「カップラーメンを倒されたら困る」という焦りが一目でわかる、自然な振る舞いでした。
山中:金子さんに「今のすごいですね」と言ったら、「ちょっと危ないなと思って」とおっしゃっていました。あれは私が想定していなかったことでしたね。
─その場でのひらめきみたいなものだったんですね。他のインタビューで、あまりアドリブは多くないとおっしゃっていた印象があったので、あの動作も演出されたと思っていました。
山中:セリフのアドリブは好まないんですけど、仕草とかはあんまり制限していないんです。
─それで言うと、河合優実さん演じるカナの、チャーミングだけど小悪魔っぽくて相手を取り込むのが上手そうな、絶妙な塩梅の仕草は、見ていてすごく引き込まれました。
山中:河合さんは脚本に書かれたことだけで多くを受け取ってくれているなという信頼があったから、あんまり細かく言うことはしていなくて、演出面でほとんど苦労しなかったですね。素晴らしかったです。
─me and youでは、人間の多面性や複層性を大事にしたいと考えているのですが、『ナミビアの砂漠』で描かれている人物にも多面性や複層性が見出せると感じました。
セラピーを受ける場面では、カナが「やっていることと、思ってることが違うのって怖いですよね」と言うセリフがあります。カナが他者の多面性を受け入れられないことが表れているシーンですが、そんなカナのなかにも複層性はあって。作品中では、そういった人間の多面性や複層性をどのように描かれましたか?
山中:人々が稀に自分でもびっくりするような多面性を持っているのは自然なことだと思っています。誰しも、日々いろんな場所で社会的な振る舞いを求められていると思うので、社会的な振る舞いと、そのときの本当の感情とのズレっていうのは、多かれ少なかれ常に生まれるものだと思うんですよね。もちろんそのズレが、別に何てことのない局面の方が多いと思うんですけれど。
この映画で言うと、カナはハヤシが過去に付き合っていた女性に中絶をさせたのではないかという疑いを持つんだけれど、カナ自身もどこかで、そのことに対して自分がどうにかするのは難しいことだとわかっていると思います。カナがハヤシと出会う前の出来事だし、自分の体のことではないし。それでもやっぱり、カナは何かがすごくおかしいと思って、ハヤシを追及したい気持ちがある。
カナが冷静に言葉にして伝えられないけれど感じているその気持ちと、でもどうすることもできないというズレが特に見えてくるのがあのシーンだと思うんですけど、そのズレが身体的な発露として暴力になって、ハヤシに殴りかかり、取っ組み合いになる。暴力はやっぱり倫理的には間違っているんだけれど、思いをなかったことにはできないからそうなるんですよね。カナがハヤシに殴りかかることが人から見てどんなに正しい方法でなくて、どす黒い気持ちだったとしても、それはカナが感じている本当の気持ちの発露なので、カナ自身はそれを受け入れなきゃいけないというか。そういった気持ちと身体のズレみたいなものは全編を通してすごく考えていました。
─カナがホンダに対して「私、中絶したんだ」と嘘をつくシーンでは、もともとハヤシにぶつけたかった、中絶をさせてしまったことへの責任や、膨れ上がった怒りや悲しみの感情をホンダにスライドさせたようにも見えました。ホンダが崩れ落ちて泣くのを見たカナが、「変な人」と半笑いで見ているのも凄まじかったです。
山中:自分の気持ちをその都度把握するのって難しくて、特にカナが経験した思ってもみないこととか、大きく負荷がかかる感情に対処できるのって、時間が経ってからだと思うんです。リアルタイムでは、どうしても嘘をついたり、なぜか泣いてしまったり、おかしな行動を取ってしまうんだけれど、たとえそうなってしまったとしても、自分の気持ちをないことにして我慢せずに表せるほうがいいと思い、カナもそう振る舞うように描きました。
─後半につれて気持ちのアップダウンが激しくなっていくカナが、セラピーを受けたり、隣人と交流を持つようになったりして癒される瞬間があるのもすごくいいなと思いました。
カナは、ホンダに「カナのことが理解できる」と言われたときは笑ってあしらうけれど、唐田えりかさん演じる隣人とのシーンでは、「わかるって言われるのは実は嬉しいでしょ」と言われて、素直に「うん」と返事をしました。カナはなぜ隣人には「わかられたい」もしくは「わかられてもいい」と思えたのでしょうか?
山中:距離感の話でもあるなと思っています。カナは友達とか恋人とか親とか、すごく近い距離にいる人たちのことは粗雑に扱うんですが、隣人とか医師とかカウンセラーの言うことは意外とすんなり聞けるんですよね。距離感が遠いほどなぜか言葉が響いてしまうみたいなことの極致として、ナミビアの砂漠という、カナにとって何の関係もない遠い場所を描いています。陳腐かもしれないですけど「ここではないどこか」みたいな、遠くに思いを馳せるところは誰しもありますよね。
でも、関係性が薄い人の話を聞くことができたり、遠くに思いを馳せられたりするのって、責任感がないからだと思っていて。だからあの隣人にさらに踏み込まれたら、カナは嫌になるんじゃないかとも思います。でも実は、あの隣人は、カナが将来的にああいうふうにもなり得る人物として、個人的な願いも込めて描いているんです。カナがこれからもあの調子で生きていくのも、もちろんいいと思うのですが、同時に、隣人のように英語を勉強して、自分に関係のない場所だと思っていたナミビアに行ってみるのもいいんじゃないかなという気持ちもあります。あと、カナが働いている脱毛サロンに新しく入ってきた倉田萌衣さん演じる後輩は、10代の頃のカナを彷彿とさせる存在として描いているんです。カナの未来とも過去とも捉えられる人物と、その変化の幅を描くことで、どん詰まりの最中では自分の可能性を自分で狭めてしまいがちだけど、そんなことないよね、ということはすごく言いたかったですね。カナが自分を受容していくようなポジティブな終わりだといいなと思っていました。
山中瑶子
1997年生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。香港、NYをはじめ10カ国以上で上映される。ポレポレ東中野で上映された際は、レイトショーの動員記録を作った。本格的長編第一作となる『ナミビアの砂漠』は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画『21世紀の女の子』(18)の『回転てん子とどりーむ母ちゃん』、オリジナル脚本・監督を務めたテレビドラマ「おやすみまた向こう岸で」(19 )、ndjcプログラムの『魚座どうし』(20)など。
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