水族館の青く透きとおった水槽を浮遊するリーフィーシードラゴンを見たとき、それになりたいと思った。鱗の照らされた魚たちが泳ぐ水槽のとなりで、その姿は水底で眠りゆくひとひらの葉っぱのように見えた。海藻にも、色の無い木の枝にも、タツノオトシゴにもよく似たあなたの瞳がぎょろりと動いて、ひとつの生命体だとわかったとき、わたしのたましいは、分厚いガラスを飛び越えてあなたのそばに浮かんでいた。背骨を撫でるように身体にとげが生えていて、揺れる葉のようになりたいと願ったわけではないはずだった。あなたには、どのような世界が見えているんだろう。透明な背びれと胸びれを忙しなく動かすとき、それはどのような感覚なのだろう。パパの育児嚢のなかで、ピンク色のたまごに包まれているとき、あなたはどのような夢を見ていたのだろう。
「おおきくなったら、なにになりたい?」
子どもの頃、よくそう聞かれた。おとなになってからは、そう尋ねられることも少なくなったけれど、わたしはなにかになりたいと、今でもよく思う。散歩をしている最中、光に吸い寄せられ、ランプの熱い表面に張り付いている虫の姿を見かけると、その虫になってみたいと思う。幼虫から成虫になるまでの変態をすべて経験してみたい、翅を広げることができたら空を飛び、蜜が吸えるのであれば蜜を吸い、虫のパートナーと出会って結婚したい。
幼虫から蛹へ移り変わる時、その身体はどろどろの液体になってしまうと聞くけれど、それは果たしてどのような感覚なのだろう。身体は溶けてしまっても、記憶が溶けることはない、という話は本当なのだろうか。だとしたら、幼虫の頃、世話してくれた指のにおいを忘れないでいて、蝶々へと羽化した後も、ひらひらとその指のうえで翅を休ませてみたい。
ただ、蛹の背を突き破る瞬間、わたしは幼虫だった頃の記憶を覚えていられるのだろうか。
記憶の海を泳いでゆく、おそらく、幼稚園からの帰り道、階段の踊り場に母といた。先に階段を登ったわたしは、鍵を持つ母がはやくここまで来ることを待っていた。
「お母さんのお腹のなかにいた時の記憶ってある?」
と、急に母から聞かれてわたしは焦っていた。わたしのいちばん古い記憶は、部屋の畳のうえで寝転がってときに見えている景色、その次は、誕生日に幼稚園へ行ったら、水色の星型キャンディをもらって嬉しかった思い出、その次は、幼稚園で焼き芋大会をした時、△△くんのお芋だけ、半分にしたときの中身が紫色でとても驚いた記憶。つまり、胎内にいた頃の記憶など一切覚えていなかった。だけど覚えていたい、と思った。そのほうが、母が喜んでくれると思ったから。
「うん、覚えている」
わたしは、自信なさげにそう答えた。
「本当に? うそついてるでしょ」
つたない嘘をつく我が子に対して、母は愛おしそうに笑いかけた。あっという間に嘘を見抜かれてしまったことに、わたしは心底驚いて、恥ずかしくて、誰からも見えないくらいにちいさくなってしまいたかった。
幼い頃に投げかけられた「おおきくなったら、なにになりたい?」という問いには、さまざまな可能性への期待が含まれていたのだろう。いわゆる、将来の夢、とか、何者かにならなければいけない、と言うときの何者。おとなになったら、わたしではなくて、なにかにならなくてはいけない。
園児だった頃、ケーキ屋さんにも、おもちゃ屋さんにもなりたかった。ケーキもおもちゃも、全部独り占めして、自分のものにできると思ったから。次は“お花博士”になりたくなった。仲良しの友だちと、幼稚園の庭で見つけた草や花をノートに描き写して、ふたりだけの植物図鑑を作っていた。あまりにも楽しくて、誇らしくて、ずっとそういうことをしていたい、とその時は思ったけれど、その子が転園してしまって夢は叶わなかった。
カレイドスコープのなかのスパンコールがビーズと擦れ、反射しながら転げるように、幼い頃の夢はころころと変わった。
小学生の頃、隣の席のクラスメイトと、ふたりで会話をしている時間があった。その時間を思い出すときはなぜか、映画を見ているときのように、自分とクラスメイトの並んだふたつの背中が見えるのだ。
「将来、自分の名前を残したい」
と、わたしは言った。それはかなり漠然とした夢だった。
「どういうこと?」
「この世界に名前を刻みたいって思う」
教科書に載りたい、とか、芸能人になりたい、とか、人気ものになりたいってわけじゃなくてさ。わたしが死んだ後も、消えない名前が欲しいんだよ。それでいて、できるだけたくさんの人の目に触れるような。そういうのってどうしたらいいのかな。ぽつぽつと理想を語るわたしに、クラスメイトは真剣になにかを考えてくれているようだった。
「じゃあ、ゲームをつくる人になりなよ」
「どうして?」
「ポケモンとかも、ゲームを全クリしたら、最後に作った人の名前がばーって流れるじゃん」
「うん。それすごくいい」
と、答えたわたしの瞳はきらきらと輝いている。思いもよらなかった。あの半透明のカセットが、わたしのすべてを叶えてくれる場所だって。
わたしの人生にはいくつかの光る瞬間があって、そういった光のうえを、流れる川の飛び石のように渡りながらここまでたどり着いた。それは必ずしも自分で見つけ出したものではなく、誰かからふいに手渡されたものであることのほうが多かった。
その日から、ポケモンのゲームのエンドロールを、早送りしないで最後まで見届けるようになった。飛行機から、陸地に散らばる橙色の熱源を目で追っているときのように、ひとつひとつの名前が人生に開かれてゆく窓になる。わたしは夢を見続けている。ポケモンの世界と人間の世界のあわいに、わたしの名前が刻まれる夢、ポケモンの名前、とか、わざの名前、とか、町の名前、とか、一緒に見つけてゆく夢だ。
エンドロールの後もゲームは続く。エンディング後の世界のわたしは、大体、チャンピオンになっている。わたしはこの世界で一番強くなって、幼馴染も、町の人々も、なんだか変わってしまう。みんな、わたしのことを知っているから、世界がすべて自分のものになったようで、うれしくって窮屈だ。静かで、穏やかで、自分が芝生を蹴る音や、風の粒まで目に見えるようで、なんだか少しさみしいよ。ポケモンと旅をしている時、幸せだった。だれもわたしのことなんて知らないから。本当にチャンピオンになりたかったのかな、でも、ゲームってそういうものだから、そういうふうに進むことしかできない。
思い返してみると、わたしは詩人になりたいと思ったことがない。詩を書きたい、と思ったことはある。
高校生の頃、国語の授業が楽しみだった。先生は冗談を言うように文学の楽しみ方を教えてくれた。
そして先生は言った。
「世の中で一番美しいのは詩です。詩だけです」
その言葉を聞いた瞬間、足元のうす氷がぱりん、と割れたような衝撃を受けた。わたしは、詩とはなにか、美しいとはなにか、まるでわかっていなかった。そしてそれは、紛れもなく光る瞬間だった。
詩とはなにか、美しいとはなにか、言葉で確かめるように、わたしは詩を書き始めた。『現代詩手帖』の投稿欄へ、毎月一編の詩を送った。月末、締め切りのぎりぎりまで推敲をした後、日曜日も営業している郵便局へ向かうために自転車を走らせていた。自動車免許の合宿で山形に滞在していたときも、白くまっすぐに続く雪道のなか、地図を頼りに赤いポストに向かって歩いていた。自分が投函しているものが、詩であるかどうかわからなかった。ただ、書き終わった瞬間、なにもかもひとつになった感覚があった。手のひらのなかに、自分の表したいかたちがそっと収まっている。なによりも自由で、わからないまま好きでいていい、言葉のかたちが。
言葉は詩になって、わたしは人から詩人になった。わたしの半分は詩になってしまって、やがてすべてが詩になってしまうのだろうか。カーテンからこぼれた光の射し込む本棚に並べられた詩集のなかの一編の詩になってしまいたい。海辺の石に綴られた波で洗われるための詩になりたい。
言葉や詩が、わたしのかたちを変えたのであれば、いつか水槽を漂うあのかたちにもなれるのだろうか。リーフィーシードラゴンになったわたしは、水槽越しにあなたとようやく再会する夢を見る。あのとき水中を泳いでいた、きらめく葉っぱのようなあなたと。