Q.日本のファッションについて、何か思うことはありますか?
私くらいの世代で、服が好きな韓国人なら当然、とても日本のファッションが好きです。高校のとき、中古取引を通じて「visvim」(2000年に中村ヒロキによって設立された日本のメンズウェアブランド)を買って履いて、それを20年間着ています。はじめて日本に行ったときから現在まで、機会さえあれば日本に行って買い物をすることが、私の人生において大きな幸せです。
ただ残念なのは、私が高校の頃に憧れていた日本が、今はずいぶん変わったという点です。兵役関連の事情で出国が不可能となり長い間出国できず、先日5年ぶりに日本に行きましたが、一番衝撃を受けたのが、原宿の「kindal」(ブランドの古着を買取販売するオンラインショップの実店舗)の売り場店員たちが、韓国のアイドルのようなファッションをしていたのです。
私が20代前半、まだ『FRUiTS』や『TUNE』(ストリートスナップ誌。原宿のストリートファッションを載せた『FRUiTS』は、1997年創刊。その後、原宿の男性のストリートスナップ誌「TUNE」が2004年に創刊。世界に“原宿ファッション”を広めた)のような雑誌を韓国の書店で買うことができた頃は、日本に行って街中を歩くと、日本のオシャレな人たちだけが出せる雰囲気を楽しんでいる方が多い印象を受けたのですが、それが失われてしまったようで、個人的にはとても残念に思いました。
日本のこのような変化について、個人的な見解としては、Instagramの影響だと思っています。個人の持つ魅力や力がフォロワー数で決まり、さらにはそれが収益まで繋がるのがあまりにも当然とされる今日、インスタで最も早くフォロワーを増やしたり、多くのいいねをもらえたりするファッションコードが日本でも自然に生き残ったはずだからです。それは、“自然選択”のようでもありますね。
つまり現代のSNS社会において、日本の人々が丹念に磨いてきた個性や独創的な服装である「多数が魅力を感じるには難解だが、センスがあるファッション」よりも、「多数が容易に理解できる、直観的な流行」に従うことの方が、フォロワー数を増やす点において、はるかにアドバンテージとなる、ということです。雑誌を読んでいた頃は、ここまで顕著に数字が見えてきませんでしたよね。
先ほど言ったように、素早く変化して適応することは韓国人の文化的才能です。もともと存在するものを、アップデートし、大衆に受け入れられやすいものに変化させていく能力とスピードは本当に長けています。日本のファッションが韓国に似てきていると感じたのは、ただ単に私たちがいつも半歩先の流行を追っているだけで、それを誇らしいことだとは私は思いません。