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同じ日の日記

平日の真昼間にさびれた公園のベンチで、暇そうに本を読んでいる誰でもない誰か/森栄喜

ブランドン・テイラー『その輝きを僕は知らない』、ジョルジュ・ペレックの『眠る男』

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2023年3月は、2023年3月29日(水)の日記を集めました。サウンド・インスタレーション、パフォーマンス、写真や映像、詩など多様なメディアを用いて、周縁化された声や関係性を可視化し、既存の制度や規範に疑問を投げかける作品を発表する森栄喜さんの日記です。

朝一で額装屋さんに急ぎの用件で電話すると、コロナ禍で営業は10時からとなっておりますとの留守録メッセージが流れてくる。歯磨きやシャワーを浴びたりしてから、10時過ぎにもう一度電話する。今度はつながったけど担当者さんが不在で、このまま携帯につなげられますとのこと。そんな転送技あるんだ?! と少し感動しながら、つい「じゃあお願いします」と言ってしまう。別に午後でもいいし、都合のいい時にかけ直してもらってもいいのでは?! 「どこまでも追いかけてくる顧客」になってしまっているのでは?! と、あらたな呼び出し音を聞きながら少し焦ってしまう。「あ、どもども〜」と朗らかに出てくれた担当者さんの声にとりあえず安心しながら、たくさん相談して朝一のミッション完了。全然大したこともしてないのに、変な達成感に浸りつつ(かつ、追いかけてしまった罪悪感による消耗も少しあり)、もう一度落ち着いてコーヒーでも飲みたい気分になったけど、そのまま上着を羽織ってギャラリーへ向かう。

風は少しだけ肌寒いけど、日差しの強い明治通り沿いを歩いていると少し暑いぐらい。家とギャラリーのちょうど真ん中ぐらいにある、団地に囲まれた公園でひと休みする。日向のベンチで、読みかけのブランドン・テイラーの『その輝きを僕は知らない』を開く。保守的な街のキャンパスで、異質ゆえに透明な存在だったクィアで大学院生の主人公。礼儀正しさを取りつくろうことを初めてやめて、抑圧されていた感情が溢れ出た瞬間が、彼自身が発する強烈な台詞とともに描かれていた。その部分を何度も何度も読み返してしまう。気づかないうちに珍しく主人公に自分を重ね合わせて、物語にすっかり没入していたみたいだ。その描写の後には、彼を気遣う(そして彼との恋がはじまろうとしている)友人との、ぎこちなくもあたたかいやり取りも描かれ、その章が終わる。

本を閉じて大きく息を吸い込む。団地と団地の間の青空に季節外れの入道雲みたいな大きな雲が、流氷のようにゆっくり流れていく。団地のベランダに揺れるブランケットや植物たちの奥に潜む、見渡す限りの部屋たちはここから見ると少し薄暗く、静止していて物音ひとつ聞こえない。でも誰かに、何かにひっそりと見つめられているような気配もする。それがあまり薄気味悪く感じないのは、その眼差しの先にある対象というか風景が「平日の真昼間にさびれた公園のベンチで、暇そうに本を読んでいる誰でもない誰か」なのを自分が一番知っているからなのかも。

ふと足元に目をやると、どこから舞い届いたのか、淡いピンク色の桜の花びらが点々と散らばっていて、その間を縫うように蟻たちが(彼らにとっては無味無臭な花びらなんかには目もくれずに)せっかちに歩き回っている。それでも少なくとも蟻たちにとっての風景にはなっていそうで、花びらが少し羨ましくなる。多分大きすぎて、蟻たちには認識さえされていなさそうな僕は、巨人のようにのっそりと立ち上がる。彼らを踏まないように、おかしな歩幅になりつつ公園を出た。

ギャラリーKEN NAKAHASHIの扉を開けると、中橋さんが「もりさん〜!」といつものように迎えてくれる。話していると、今日はギャラリーがオープンしてちょうど10年と1日目だと、さらっと教えてくれた。まさに10周年なのに、まるで執着も誇示もなさそうな、そのさっぱりした表情が晴れやかですごく眩しい。けんさんが最近考え、感じ続けている愛や時間についてや、夏に予定している個展の構想などを話す。ギャラリーには松下真理子さんの作品が展示されていた。彼女の作品と対峙すると生まれるうねりのようなものを、ずっと反芻しながら歩いて帰宅した。

夜遅く、電話越しに友人が、今日国立の古本屋で見つけたというジョルジュ・ペレックの『眠る男』を読んで聞かせてくれた。少しぎこちない日本語のリズムに、段々と瞼が重くなってくる。この電話のあと、すぐ寝ちゃうだろうな。今日の日記は今日つけるって決めてたのに……。ぼんやりそんなことを思いながら、少しくぐもった、その心地いい声を聞いている。

森栄喜

金沢市生まれ。パーソンズ美術大学写真学科卒業。サウンド・インスタレーション、パフォーマンス、写真や映像、詩など多岐にわたる表現を展開。既存の概念や規範を揺り動かしうる周縁化された声や存在を感じ合い、それらの「小さな波」を集めて大きな波を作り出そうと実践を続けている。個展「ネズミたちの寝言|We Squeak」(KEN NAKAHSHI、2023年)、グループ展「フェミニズムズ/FEMINISMS」(金沢21世紀美術館、2022年)、「高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.10 ここに境界線はない。/?」(高松市美術館、2022年)など。写真集「intimacy」(2013年)で木村伊兵衛賞受賞。2023年に出版レーベル「EMWP」を立ち上げ、連作短編「3月のチューリップたち」と「スズランの予感」を同時刊行。
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(プロフィール写真撮影:表恒匡)

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