梅雨の晴れ間。朝から20分くらい自転車を漕いで、写真家の渡邊聖子さんに紹介してもらった女性のところへヒーリング・セッションを受けに行った。
整体やマッサージや鍼灸というものに、以前は知らないひとに身体を触られるというだけで抵抗感があった。それでも、他人に触られることで身体に変化が訪れるということには怖いもの見たさの興味もあって、最初は資格をもつ友達に足つぼの施術をしてもらうようなところから始めて、施術後にはっきり「喉が太くひらく感じ」を感じてからは、いろんな知人の紹介を頼りに整骨院や鍼灸院にときどき行ってみるようになった。15年くらいかけて、私の抵抗感はだんだんなくなっていった。去年の夏には、とあるバーレストランのパーティーでお互いべろべろに酔っぱらった状態で偶然知り合った女の子が小さなトリートメントサロンを経営していたのをきっかけに、ホットペッパーで彼女のお店を予約して、はにかみながら再会し、紙のパンツだけの姿になって全身をオイルマッサージしてもらったこともあった。そんなことが自分にできるようになるなんて、私はほんとに、思ってなかった。
今回のセッションを受けてみようと思ったのは、そのひとを他の誰でもなく聖子さんが紹介してくれたからだった。聖子さんと私との付き合いは長い。長くて、細々としていて、不安定で、強い。20代の頃、私たちは言葉と写真をスクラップブックにぶちまけるみたいな交換日記をしていた時期があった。聖子さんが子育てを始めてから私たちはあまり会わなくなったけれど、彼女は私の詩を読んでいたし、私は彼女の展示があるときはできるだけ見に行った。聖子さんの写真展は、一見、写真が写真に見えない姿かたちをしていることも多くて、見るというより体験するという言葉のほうがふさわしい。展示空間そのものを作りこむというか整えるような作業を聖子さんはいつも「魂を吸い取られる……」と言いながらへろへろになりながらもやっていて、その写真=展示空間には、生きているのか死んでいるのかよくわからない身体がごろごろ転がっているような生々しさがある。聖子さんに直接触ってもらうわけじゃないのに、聖子さんの写真を通過した私の身体にはなぜかいつも「喉が太くひらく感じ」がある。
つい二週間前、聖子さんは私の住みかの近くに来る用事があるからお茶しようと誘ってくれて、私たちは会った。数えてみるとそれはちょうど一年ぶりの再会で、でも聖子さんと会うときにはそういう時間の単位があまり意味をなさない。私は聖子さんと会うたびに、彼女と交換日記をしていた頃によく会っていた築地の交差点に面したビルの二階にあったマクドナルドの空間を思いだす(私たちの職場は当時偶然にも同じ築地のあちら側とこちら側で、それはランチタイムだった)。思いだすというより、身体がうっすらと、あの頃のマクドナルドでポテトに延々ケチャップをつけながら口に運びながら喋っていた私たちの状態に戻るような気がする。とにかく聖子さんと会うということは私にとっていつも(聖子さんの写真を見るのと同様に)別に何を脱ぐというわけでもないのに、とても身体的なことなのだ。
なぜそのひとを聖子さんが紹介してくれたのかわからないけれど、そういうわけで私にとって聖子さんに紹介されたひとのところへ身体を触ってもらいにいくことは、これ以上ないほど自然な流れだった。私は最近、自分で「人生の過渡期」と名づけてしまったような時間を生きていて、これまでとは違うやり方で生きることを試そうとしているようなところがあって、そのひとが鍼灸の施術だけでなく、話を聞く時間をつくってくれるということにも、それを欲していた自分に後から気づくようなところがあった。いまではほんとうにたまにしか会わない聖子さんが、そういうぴたりとしたものを私に差しだしてくれるということに、私は女どうしの縁のふしぎさと強さを感じる。
そのひとに会いにいくと、初めにじっくり話を聞いてもらう時間があって、それから鍼灸の施術を受けた。古い木造のたてものの窓から吹いてくる風が心地よくて、しみじみと安心する空間だった。帰り際、外していた腕時計を付け直して時間を見ると、予定より一時間近くも長く時間をとってもらっていたことがわかって、びっくりしてしまった。
おなかがすいていた。私はマクドナルドに寄って子連れの家族に囲まれながらエグチのセットを黙々と食べ、晩ごはんはゆで卵と納豆と韓国のりを五穀ごはんにのせたのと、粉末だしをお湯に溶かしただけの葱のスープで済ませた。なんだかわけもなく気分がよくて、音楽をかけて猫と踊った。二週間前に自転車で転んで擦りむいた左のすねのほかに、私には自覚している症状は何もなかったのだけれど、翌日、長いことうまく後ろに反らせることができなくなっていた私の首、もうそれが治ることはないのだろうと思っていた私の首は、すとんと反るようになっていた。