『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』監督と元同居人のライター。生を肯定する表現者たち
2023/4/21
映画監督の金子由里奈さんと、ライターでありアナーカ・フェミニストの高島鈴さん。同じ年に3日違いで生まれたという蠍座の二人は、お互いの作品について深い敬意を表す表現者どうしであり、ともに暮らした経験を持つ元同居人でもあります。
今回の対談記事では、金子さんが監督を務めた映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい(通称「ぬいしゃべ」)』や、高島さんの著書『布団の中から蜂起せよ アナーカ・フェミニズムのための断章』についてのお話もまじえながら、出会いのきっかけや同居時代のエピソード、そして、二つの作品に共通している「大丈夫じゃない」状態を認めた上で生を肯定する姿勢について、たっぷりとお話をうかがいました。記事の終盤には、今、新しい環境に戸惑う人に届けたい言葉も記載しています。
取材中にふと、「お互いのことになると、しゃべりたいことがいっぱい出てきちゃう」と漏らした二人。時に楽しく、つねに真剣な会話の一部を、ぜひご一読ください。
─お二人の出会いはいつ頃だったのでしょうか?
高島:私はエゴサの鬼なので、ある日もTwitterでエゴサをしていたら、活動初期の2019年頃、『文藝』に書いた原稿について金子が「高島鈴の原稿は最強」「音読した」「高島鈴の書くものは今後全部読む」と投稿してくれているのを発見したんです。
プロフィールを見たら映画監督、と書いてあって「私の文章にこんなにも共鳴してくれる金子由里奈という人は、一体どんな作品を撮るんだろう」と興味がわきました。ちょうどその時期、渋谷のユーロスペースという映画館で『眠る虫』が上映されていたので、バイト終わりのボロボロな格好で向かってみることにして。
観終わった時、「すごいもんを見た」と思いました。死者の存在を絶対にないがしろにしない映画でしたし、上映後に登壇した金子の話を聞いても「この人は信頼できる」と確信が持てたんです。だから、ロビーで勇気を振り絞って「高島です」と声をかけました。そうしたら、金子はその場で腰砕けに(笑)。
金子:今まで文章で私のことを勇気付けてくださっていた人が、目の前にいる! と思って。「高島鈴が存在してる!」と思ったら、腰が抜けてしまいました(笑)。
高島:私も「こんなに喜んでくれるんだ」と驚きで。その日は「ぜひまたゆっくり話しましょう」と約束をして帰りました。それで、2回目に会った時かな? 何のゆかりもない駅の「魚民」に行ったよね。
金子:うん、そこで握手をした。
高島:した! たしか「死者の存在を合意形成に含めるべき」みたいな話をしてたよね。私は歴史学を学んでいるので、「死んだ人の意見を民主主義に反映させるにはどうしたらいいんだろう」というようなことをずっと考えていたんです。だからこそ、金子の映画で一つの実践を見たことが衝撃的でした。
─出会ってから意気投合するまでには、全く時間がかからなかったんですね。
高島:出会って5回目には同居していました(笑)。魚民に行った時、自分が「怪しい人間を集めたシェアハウスをやりたい」という話を金子にしていたんです。そうしたら3回目に会った頃「シェアハウスのこと、今やりませんか」と言われて。
その頃の自分はちょうど鬱のどん底にいて、実家を出ないと絶対寛解しないけど、家を出る機会が自分一人では作れないような状態にあったんです。「渡りに船じゃ〜!」という感じで、「ぜひ一緒に住みましょう」とお返事しました。
金子:私は文章を読んで鈴ちゃんを信頼していたから「絶対に(一緒に住んでも)大丈夫だ」という確信があったんです。鈴ちゃんが「実家を出たい」と言っているのもSNSで見かけていたし、自分も京都から東京に引っ越すタイミングだったので、「声をかけちゃえ!」って。
─金子さんはもともと、高島さんの文章のどんな部分に惹かれていたんですか?
金子:クリスチャン・ボルタンスキーの展示を観に行った時に、友達が「ボルタンスキーについて書かれたやばい文章がある」と言って、ele-kingの鈴ちゃんの連載『There are many many alternatives. 道なら腐るほどある』の中の1記事(「第8回 電車の中で寝転がる人、ボルタンスキーの神話」)を勧めてくれたんです。読んですぐ、すごく真剣なのにリズミカルな鈴ちゃんの文章に惹き込まれました。そこから別の記事も読み焦っていたら、プロフィールに「1995年生まれ」と書いてあって。「嘘でしょ!?」と。
─お二人は同い年でしたっけ?
金子:そうなんです。私はそれまで「同い年だ!」という感動をあまり感じたことがなかったのですが、鈴ちゃんが自分と同い年だという事実は、良い意味で衝撃的でした。
高島:誕生日も3日違いだし。
金子:二人とも蠍座なんです。石井ゆかりの占い、一緒に見るよね。
高島:「今日、特別な繋がりが生まれる日だよ!」とか「今週、愛だね」とか。
金子:(取材日の)今日は「結構忙しい」って書いてあった(笑)。
─お二人がどんな暮らしをしていたのか、気になります。
高島:家の中に一番長くいたのは、私は本の企画が通らず、金子は映画の企画が通らず、という時期でした。
金子:そうなんです。どうしようもない切迫感を共有できる人が目の前にいたので、めちゃくちゃ支えられました。「生きるのしんど〜」みたいなことも、自然に話せたし。それこそ『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のキャッチコピーじゃありませんが、鈴ちゃんとは「大丈夫じゃない」部分をずっと共有していた感覚があります。
高島:そうだね。二人で椅子の上に立って踊ったりとか、バリカンでお互いの髪を剃ったりとか、私が悩んでいる時に金子が川に誘ってくれたりとか。
金子:川、行ったね〜。
高島:おじいさんの横で犬が寝ていたり、子供が野球していたりするのを見ながら、とぼとぼ歩いて。揚げパンとコンビニのコーヒーを片手に。
金子:どうしようもないことで涙が出た時も、川辺でお互いの背中をさすりあいました。
─お二人で共作のZINEを作っていたこともありましたよね。お風呂場に貼った子ども用のらくがきポスターに、クレヨンでメッセージを書きあっていた話が印象に残っています。
金子:お風呂という一人きりの空間だと、一緒に住んでいる人への自分の気持ちを素直に書けたりして。いい時間だったね。
高島:ポスターをはみ出して、壁の方にまで「鈴ちゃんは本当に頑張ってるよ」というようなことを書いてくれた時もあって。すごく嬉しかった。
金子:もちろん暮らしている中で、感覚がズレることや、喧嘩のようになることもあったんです。でも、お互いの意見を無視することなく、ちゃんとぶつかれたことがすごくいい経験になりました。本当にたくさん対話をして、鈴ちゃんのことをより信頼できるようになった。
─一緒に暮らした時間を経て、お互いに対してはどんな印象を抱きましたか?
高島:金子はフィールドワーカー気質だなと思います。「この人は歩く人だな」って。街をすごくよく見ているし、情景を情景として見ることができる。例えば人が「電線だ」と思うところを、金子は「あれ、ペンギンに似てる」と捉えていたりするんです。詩の人でもあると思いますね。
金子:鈴ちゃんが私のモヤモヤした感覚を言葉に翻訳してくれたこともありました。そこですごく優しいな、と思うのは「でも、言葉は権威的なものでもあるから、この言葉だけに騙されないでね」と、ちゃんと付け加えてくれるところ。「一つの選択肢として、こういう考え方もあるよ」と提示してくれるのが、すごくありがたかったです。
あとは一緒に暮らして人となりを知っていく上で、『眠る虫』の上映後に声をかけてくれたことは、鈴ちゃんにとってとても勇気のいる行動だったんじゃないかと考えるようになりました。あの時声をかけてくれたことに、改めて感謝しています。
─先ほど「たくさん対話をした」というお話がありましたが、人と話そうとすると、プライドが邪魔したり、本音を言うのが怖くなったりする場合もあると思います。なぜお二人は対話を続けられたのだと思いますか?
高島:大人になると、黙ったままでも人間関係を続けられてしまう部分がありますよね。でも翻せば、それは「あえて黙らない」という選択を、どれだけできるかということでもあると思っていて。
例えば一緒に住んでいた時、金子に「自立した方がいいよ」というようなことを言われたことがあったんです。私はその言葉をそこまで気にしていなかったんですが、金子はすぐに「さっきは暴力的なことを言ってしまった。本当に申し訳ない」とすごく丁寧に謝ってくれました。その逆みたいな状況もたくさんあって。
「相手が何とも思っていないならいいや」と考えるのではなく、間違ったことを言ってしまったと思ったら、ちゃんと立ち止まることも大切なのかなと。
金子:無かったことにするより、ちゃんと伝えた方がいいということはすごく思いますね。時間はいくらかかってもいいし、綺麗な言葉じゃなくても全然いい。
高島:アナキストである師匠も「対話にコスパを持ち込んだら、対話は成り立たなくなる」と言っていました。今はあらゆるものの流れが早すぎるから、対話の流れを緩めることが大事で。これは違うとか、何かが引っかかると感じた時に、時間がかかってもいいから相手に伝えること。それと同時に、相手の言葉を簡単にまとめたりスルーしたりしないで待つことも必要だと思います。「早く結論を決めた方がいい」という考え方だと、発言できない人が絶対に出てくるから。
金子:流れを緩めたほうがいいのは、言葉だけでなく行為もそうですよね。例えば、泣いている人に対して、すぐに何かを発したり慰めたりすることが必ずしも正しいというわけではなく、相手が何を考えているのかをじっくり想像したほうがいい時もあるかもしれない。優しさだけでなく忍耐も大事になってくるのかな。
高島:あとは『ぬいしゃべ』でもやっていたことだけど、自分は何が辛くて、何に困っていて、何で元気がないのかを、どういう形でもいいから発露してみるのもいいと思う。それによって、対話の体力がつくんじゃないかと思いました。
『ぬいしゃべ』には、「観る対話の筋トレ」みたいな部分もある気がします。徹底してスムーズな発話がないところが素晴らしくて、「こうやって話してもいいんだ」と思わせてくれる。対面で話すのが極端に苦手な人や、とっさに言葉が出てこなくなる人、どんな状況にいる人にとっても、さまざまな対話への参与の形を伝えてくれる映画だと思いました。
─お二人が同居していた時期から『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の制作は始まっていたのでしょうか?
金子:はい。脚本の細かな言い回しや登場人物たちの関係性についてなど、鈴ちゃんにいろいろと相談させてもらいました。
高島:恋愛感情を抱かない主人公・七森について考えるため、金子はアロマンティック・アセクシュアルに関する本を読み込んでいましたね。自分と違う立場に置かれている人が何を考えているんだろうと考えるのをやめない勉強熱心な姿勢にも、自分は敬意を抱いています。
金子:ありがとう。少し話がそれますが、私は鈴ちゃんと一緒に住むまで、フェミニズムという言葉にもちゃんと出会えていなかったんです。生きている中で違和感を抱えたとしても「これって何だろう」とモヤモヤしていて。そんな時に鈴ちゃんにいろんな本を教えてもらったことで、視界がひらけていった部分が多くありました。
この映画の主人公・七森も、恋愛のノリに乗れない部分がありながらも、まだ「アロマンティック」という言葉には出会えていない人です。作品自体はアロマンティックの映画として読み解けると思うのですが、七森の状態を制作側の都合で規定しないということは意識していました。
─『ぬいしゃべ』には西村と佐々木という同性カップルも登場しますが、二人の描き方に関して考えていたことはありましたか?
金子:すごくいろんなことを考えていました。多くの物語においては、同性愛者が葛藤している様子が描かれがちだと思うんです。もちろん葛藤の絶えない社会だとも思うのですが、一方で、『ぬいしゃべ』の中では西村と佐々木がラブラブ、イチャイチャしているだけであってほしいと思っていて。
高島:でも、本人たちの葛藤も少し滲んでいたよね。
─彼女がいると言ったら「その場の言葉遣いが制限されたみたいになった」と西村がぬいぐるみに話すシーンがありました。
高島:ただ無邪気なだけじゃない、その塩梅がいいなと思います。いわゆるBLのジャンルなどで「ハッピーなマイノリティを楽園的に描くだけで、それが非常にユニコーン的だ」「存在しないマイノリティを描いている」という批判を目にすることがあります。でも、金子はマイノリティの存在がただの「キャッチーなもの」になってしまう可能性をすごく丁寧に避けていて。それは映画からも伝わってくるのではないかと思います。
金子:「生きづらい」と感じている人がコンテンツ化されてしまうのは、絶対に良くないと感じていて。そのことはすごく意識していましたね。
─高島さんが、実際に完成した『ぬいしゃべ』を初めて観たのはいつ頃だったんですか?
高島:実は完成前のダイジェスト版も観ていたのですが、完成版を観たのは、昨年末の試写会でした。自分ごととしてしか捉えられない映画で、映画館を出てからボロボロ泣いてしまったんです。「この世界で生きていくのは残酷なことだよね」「人間を軽んじて痛めつけてくる世の中を生きているよね」と確認した上で、それでも生きていくことに頷いてくれる映画で。「生きていて辛いよね」「辛いことを知っているよ」と言われるだけでこんなに楽になる部分があるのだということを知りましたし、映画という方法をフルに使ってそのことを伝えてくれた作品はこれまでなかったと思いました。私が映画を観に行ったんじゃなくて、映画に私を見てもらった、という感覚が残ったんです。
金子:私も鑑賞者に向けて「あなたはそのままでいいよ」と呼びかけたい気持ちがあったので、そんなふうに観てくれて嬉しいです。
─「大丈夫じゃない」状態を認めた上で生を肯定する姿勢は、高島さんの書籍『布団の中から蜂起せよ アナーカ・フェミニズムのための断章』(2022年、人文書院)にも通じると思います。金子さんもすでに同作を読まれましたか?
金子:もちろん。とにかく感動しました。さまざまな課題を縦横無尽に行き来しつつも、社会に対する怒りがちゃんとあるし、読んでいる人をアジテーションする文章で。「何もしなくても、生きているその生こそが抵抗だ」という姿勢も、たくさんの人を鼓舞するというか……多くの人の魂になっていると思います。自分も読み終えた後「本気の元気が出た」と感じました。心の動かないところが動いたというか。この本は絶対に死ぬまで本棚にあると思います。
高島:嬉しい。
─私もお二人の作品に「大丈夫じゃない」時間を肯定してもらえたことで、すごく励まされる部分がありました。一方で、自分のことになると急に客観的に見られなくなる感覚もあります。例えばメールが返せないだけで「自分はダメな人間だ」と落ち込んでしまうとか。お二人ならそんな時、どんな風に自分に呼びかけますか?
高島:自分が大事にしているのは、己の惨めさを笑わないことです。「今の自分は惨めだが、惨めで何が悪いんだ」って。もちろん「私は惨めなんかじゃない、これが本当の高貴なんじゃ!」と主張したい気持ちもあるのですが、同時に布団で這いつくばって着替えができないことに呻くような時間も捨てがたく存在しているじゃないですか。だから、例え今がどんなに惨めでも、それが私が生きているという証拠だし、それを笑うものを許さないでいたいと考えています。
それにどんなに自分が弱い存在に思えても、革命のことを考えながら生き延びているなら、一番先のユートピアを見据えているという意味で強いかもしれないとも思うんです。「弱い」と思われている行為に潜む強さを、もう一度位置付けたいですね。
金子:「弱い」と思われている行為の捉え直しに関連して話すと、私はこの前『大阪アジアン映画祭』のQ&Aに登壇した時、舞台上で泣いたんです。その様子がSNSで拡散されて。でも泣くという行為も、一見弱々しく見えますが、場合によっては心の中でキレている可能性もありますよね。
─「泣く=弱い」、「怒る=強い」というイメージが付随しがちですが、必ずしもそうとは限らないですよね。
高島:そんなイメージも、指でピンピンピンっとはじき飛ばしたいです。
金子:ピンピンピンですね。映画祭のことがあった時も、鈴ちゃんはLINEで「金子はどこでもわめいていいんだよ」と言ってくれました。
話を戻して、私はやり切れなさとどう折り合いをつけるかなと考えると、小さな切り替えを大事にしているかもしれません。そしてそれは、鈴ちゃんとの生活で学んだことでもあるんです。いつも、ちょくちょくティータイムを挟んでいたよね。
高島:ティータイムは我々の暮らしの重要なキーワードですね。私はめちゃめちゃお茶が好きで、つねに何種類もストックしているんですが、それを適当に二人で飲むんです。ポットにティーパックを2つ入れて、ガバーっとお湯を入れて。気圧がベトベトで、お互いに自分の部屋で寝そべりながら「今日無理だね〜」としゃべっているような日も、夕方になると「お茶飲もっか……!」と居間に集合して。
金子:別にそこでお茶を飲んだからと言って、そのあと何かを頑張らなくてもいいんですよ。お茶を飲んで、本当に小さな気分の切り替えをするだけ。切り替えのパターンはいくらでもあって、例えばペットボトルの水を飲み干すとか、お風呂に入るとか、お化粧するとか、何でもいいんです。でも、意識的に小さい切り替えをするのは、やりきれなさと向き合う時に、有効かもしれません。自分の場合は割と頼りにしています。
─大学のぬいぐるみサークルを舞台にした『ぬいしゃべ』に関連して、コミュニティに関するお話もうかがいたいと思っていました。『ぬいしゃべ』の劇中では登場人物の一人・白城がサークルで「セクハラっぽい」発言を受けていたことが明らかになりますが、そのシーンを観た時、『布団の中から蜂起せよ』の中で高島さんが「人生でほとんど初めて『女扱い』を受けた」大学での経験について書かれていたことも思い出されて。
高島:私は中高と女子校に通っていたこともあり、大学で突然、異性愛規範的なふるまいに晒されたような感覚がありました。先輩に「一女、好きなタイプを一人ずつ言っていって」と言われたこともありましたし。私という人間が、急激に「大学一年生の女」という記号になってしまった。
金子:我々の時代は本当にそんな感じだったよね。今はもう少し状況が変わっているのかもしれないけど。
高島:最近はコロナもあったし、状況が違う部分もあるかもしれないね。でも、高校を卒業したくらいのタイミングで、急にいろんな選択や圧力が降りかかってくることも事実だと思います。今は法的にも18歳が成人ですし、その時期から急激に「大人の世界」に適応しなくてはいけなくなる。「大人ぶらなければならない」となった時に降り掛かってくる大人の社会の規範が、もっと真っ当なものであったならと思います。例えば、「性差別的なことを言ってはいけない」というような。ある日突然出会う規範がどういう形をしているかは、すごく大切なことなのではないかと考えていて。
─おっしゃる通りですね。金子さんが「大学」という場について思うことはありますか?
金子:私は、大学になるとクラス制がなくなることも大きいのではないかと考えていました。高校までは、いろんな教科の先生が自分のクラスに来てくれていたのが、大学に入ったら急に放たれて、自力で授業に出ないと単位も落とすし卒業もできなくなる。気にしてくれる人がいなくなって不安だからこそ、防衛本能で何らかのコミュニティに属す人が多くなったり、縄張り意識が生まれたりするんじゃないかと思います。
高島:不安な時に「周りに合わせればいいか」と思うのは、人間として当たり前の反応だよね。
─コミュニティや縄張り意識が生まれた先で、その集団特有の「ノリ」が生まれることもありますよね。『ぬいしゃべ』の原作には、七森が「流されるままに自分は、自分たちじゃないものを笑ってきた」「こわかったから笑ってたのかなって、いまは思う」と高校時代を振り返る場面がありましたが、その場の「ノリ」から外れたいのに、孤立することが怖くて外れられない場合は、どうすれば良いのだろうとも考えます。
金子:鈴ちゃんが言っていた「自分の惨めさを笑わない」という話は、今の質問にも通じるのではないかと思いました。今まで自分が信じてきたものや温度感が、ある日「ノリ」みたいなものに脅かされた場合、傷つくこともあると思うんです。空気が読めなくて笑われるとか。そういった状況に置かれた時でも自分を笑わないことは、大切なことなんじゃないかなと。
高島:私は、孤立することが怖くて「ノリ」から外れられない人がいたとしたらーー「アナキストになっちゃえば?」と思います。「大きなものに飲まれていた方が安心なのだとしたら、この道に1回乗ってみるのはどう?」って。アナキストは倫理的な実践の積み重ねをしてきた人たち。先人たちの歩みが確かにあるので、そうした蓄積から学べることがたくさんあるんです。もしも嫌な「ノリ」に巻き込まれそうになっても「アナキストなんだから、ここで逆らうのは当たり前」って胸を張ればいい。
もちろん「帰属に安心を求める」考え方がアナキストとしてバッドだという意見もあると思います。一方で個人的には、「自分の行動がアナキストの系譜の中にある」と考えるのは、利用の仕方としてアリだと思うんです。
金子:いいですね。
高島:もちろん自分の頭で考えることもアナキストにとって必至のこと。でも、「自分がやっていることがアナーキーなんだ」と思うことが自分を認めることにつながる場合もあると思うし、そういう風に見方を転換してもいいんじゃないかと自分は思います。
─最後に、『ぬいしゃべ』が公開される春の季節は、新しい環境に戸惑う人も多くいる季節かと思います。「五月病」という言葉もありますが、そうした戸惑いや苦しみの渦中にある人たちに、この記事を通してお二人から伝えたいことがもしあれば、ぜひ。
高島:まず、学校や会社が辛かったら、行かなくてもいいです。あなたが苦しいと思う場所に無理やり行かなくていい。生きる道は一つじゃないし、やりようはいくらでもあります。
具体的なことを付け加えるなら、メンタルクリニックなどの医療機関を受診することで、あなたの尊厳が損なわれることはない、ということを言いたいですね。患者という立場になることによって、あなたの中の大切なものが傷つくことはないし、絶対に傷ついてはならないと思います。
金子:私も以前から精神科に行っていたのですが、鈴ちゃんと住んでからは通院するようになりました。「精神科なんて」というような考え方もありますが、それは社会の見方の問題だと思います。だからもしも病院に行くことを躊躇している人がいたとしたら「行ってみても全然いいんじゃない」と言いたいですね。それで楽になる部分があるなら。
高島:何かあった時に夜中じゅうくよくよ考えて混乱するんだったら、薬を飲んで寝るのが一番という場合もあるのではないかなと。もちろん薬害などで苦しまれている方もいるので、「ここの精神科、何かおかしいな」と思ったら転院を選択肢にいれること、薬は必ず用法容量を守って、絶対にオーバードーズはしないようにすること、も注意喚起しておきたいですが。
金子:あとは学校や会社に行けなかったら、別の場所にコミュニティを作ってもいいし、依存先が人間じゃなくてもいいとも思います。ぬいぐるみでもいいし、植物でもいい。そういう風に自分が関われる世界を分散しながら生き延びてほしいなと思いますね。
高島:金子はパートナーシップについて迷っていた時、鴨川と付き合っていたよね。稲妻と付き合うことも検討していた。
金子:そうそう。私は一人でいるのが好きな時もあるから、思いもよらないタイミングでたまに落ちてくる稲妻と付き合うのがいいかもと考えていた時期がありました。そうやって身の回りにはいろいろな事象があるわけだから、「そこだけがあなたの世界じゃないよ」と言いたいです。
高島:人間だけの世界で生きてるわけじゃないというのは、めちゃくちゃそう。それに人間の中にも、あなたに合う人がいるかもしれない。
私はstillichimiyaというヒップホップ・グループが書いた〈君は一人じゃない/潜伏を続けて時機を待て〉(※1)という言葉が大好きなんです。「君は一人じゃない」につながる言葉として、こんなに説得力のある言葉もないだろう、と。例えあなたが今一人だったとしても、それは潜伏の期間であって、必ずあなたが立ち上がるべき時は来る。私もそれを信じていてほしいなと思います。
※1:DJ KENSEI featuring stillichimiya “Khaen Whistle Reprise (JRPのテーマ)”より
金子由里奈
1995年東京生まれ。立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。最新作『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が2023年4月14日公開。
高島鈴
1995年、東京都生まれ。ライター、アナーカ・フェミニスト。
ele-kingにてエッセイ「There are many many alternatives. 道なら腐るほどある」、『シモーヌ』(現代書館)にてエッセイ「シスター、狂っているのか?」を連載中。ほか、『文藝』(河出書房新社)、『ユリイカ』(青土社)、『週刊文春』(文藝春秋)、山下壮起・二木信編著『ヒップホップ・アナムネーシス』(新教出版社)に寄稿。CINRA、WEZZYなどウェブマガジンにも寄稿。
プロフィール
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
4月14日から全国公開
出演:細田佳央太、駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳、真魚、上大迫祐希、若杉凩、ほか
原作:大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(河出書房新社)
監督:金子由里奈
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
撮影:平見優子
録音:五十嵐猛吏
音楽:ジョンのサン
プロデューサー:髭野純
ラインプロデューサー:田中佐知彦
製作・配給:イハフィルムズ
(2022|109 分|16:9|ステレオ|カラー|日本)
作品情報
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