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映画『二十歳の息子』を観て考えたこと/黒木萌

親を頼れない子どもたちの背景を知ることから始めたい

児童養護施設等の子どもたちの自立支援団体で働き、さまざまなマイノリティのための団体を立ち上げてきたゲイの男性が、支援してきた一人である二十歳の青年と養子縁組をして共に暮らすことを申し出る。それぞれに「普通」の家族や人生を選択してこなかった/できなかった二人の男性の新たな共同生活を、島田隆一監督が1年にわたり記録したドキュメンタリー映画『二十歳の息子』。この映画を観た黒木萌さんが、自ら進んで送ってくださったエッセイをお届けします。

ゲイの男性が児童養護施設出身者と養子縁組をする映画『二十歳の息子』

2月11日に公開される映画『二十歳の息子』は、ゲイで、親を頼ることのできない子どもたちの支援活動を行っている男性・網谷勇気が、児童養護施設で育ち、前科持ちになった20歳の男性・渉(わたる)と養子縁組し、家族となる話を扱ったドキュメンタリーです。

『二十歳の息子』予告編

筆者は、自身の息子を児童養護施設に預けていたことがあります。もうすぐ7歳になる彼が4歳のときのことです。私の持病が悪化して、そうせざるを得ませんでした。その経験を経て、世の中にはさまざまな事情で親と暮らすことができず、施設で生活している子どもたちがたくさんいることを知りました。

それ以来、児童養護施設で暮らす子どもたちと私の息子とは、何ら違いのない存在だと考えるようになりました。息子が今、血縁関係のある親である私と共に暮らせているのは、奇跡的な偶然の重なりの上に成り立つものです。もしも彼らが息子で、息子が彼らであったとしても、何ら不思議ではない、と私は考えています。

児童養護施設で暮らす子どもたちに限らず、さまざまな理由で親を頼ることができない子どもたちはたくさんいます。

映画の中で、東京拘置所から出所した渉は、養子縁組をして親となった勇気と、アパートで共に暮らし始めます。二人は一緒に食卓を囲み、渉は勇気の家族にも受け入れられ、居場所を獲得していきます。

アルバイトを掛け持ちし、勇気と共に順調に生活していた渉は、正月に再び勇気の実家で過ごします。そこで勇気の親戚から渉が浴びせられた言葉は「親がいない、だから何?」というもので、それは親に頼れない子どもたちに対する社会の無理解さを象徴するものであるように私には感じられました。

親を頼れない子どもたちの背景を想像する。「無関心は罪」という言葉

もしかしたらこの文章を読んでいる人のなかにも、同じように思ったことのある人や、思っている人がいるかもしれません。当たり前のように親がいる環境のなかで育ってきて、親がいないという状況が具体的にどういうことなのか、思い描くことがむずかしい人もたくさんいることでしょう。

全く同じ状況になかったとしても、それぞれ何らかの困難を抱えつつ生きている人が大半の世の中で、「親がいない」「親がいたとしても頼れない」ことが特別に困難を意味することだとは思えない、という人だっているかもしれません。

だけれど、この文章を読んでいる間だけでもいいので、少し想像してみてほしいのです。

映画の中で渉は、自身の生い立ちを次のように語ります。生みの親や育ての親の記憶もない。最初は乳児院で育ち、その後里親から虐待を受けた。小学生のときに中学生と交流するようになり、彼らにそそのかされて万引きをするようになった。そのため一時保護所に2回入ったが、そこでもほかの子どもたちに暴力を振るっていた。小5で「少年院の一個下の施設」である児童自立支援施設に入り、小6の終わりに出た。暴走族に入り、傷害で捕まった。高2で児童養護施設に入り、そこで勇気の勤めるNPO法人『ブリッジフォースマイル』とかかわり、勇気と出会った、と。

映画『二十歳の息子』を観て考えたこと/黒木萌

『二十歳の息子』© JyaJya Films

渉が出所してからの気持ちを「怖い」と語るシーンがあります。逮捕されたときに、自分が犯罪を犯している自覚がなかったから、ほかにも無自覚に行った犯罪があるのではないかと思うと怖いと。渉のように、子どものときの養育環境によって、社会における善悪の基準が育たない子どもたちはほかにもいることでしょう。それを「彼らが悪い」と個人の責任に帰してしまっていいのでしょうか。

精神的にも経済的にも基盤が揺らぐ環境で生きてきた渉に対して投げられた「親がいない、だから何?」という言葉は、無知と無関心が放った暴力だと私は思います。

映画の中のある場面で、勇気は「無関心は罪」だと話します。その意味で誰しもが罪人であり、自分の中にある罪と向き合えない状態で、つまり当事者性を持たずに、世の中に存在する罪をまるで他人事のように語るべきではないのではないかと。勇気は、当事者性を持って渉にかかわり続けた結果、養子縁組という選択肢と出会ったのかもしれません。

映画『二十歳の息子』を観て考えたこと/黒木萌

『二十歳の息子』© JyaJya Films

ただ、筆者である私だって何か掛け違えれば、同じ言葉を渉にかけていた可能性もあります。勇気の親戚だけを責めるわけにはいきません。私だけその罪を免れている、などとは言えないのです。

親を頼れない子どもたちを取り巻く現状を知ることから始めたい

私は以前、児童養護施設出身者のことを知りたいと、自主的にインタビュー(※1)を企画しました。インタビュイーであるりゅうさんは、思春期に児童養護施設に入ることになりました。しかしりゅうさんはそれが嫌で、施設に入所する前に過ごしていた児童養護施設の一時保護所から何度も抜け出してしまいます。最後に抜け出して1年ほどが経ち、再び一時保護されたりゅうさんは、児童自立支援施設に入らないといけなくなってしまいました。しかしその時に児童自立支援施設ではなく、児童養護施設で暮らせるよう、尽力してくれた職員さんについて、りゅうさんは以下のように語ります。

“児童養護施設とか役所とかって人が見えなくて組織というものにスポットを当てちゃいがちですよね。僕もなんとなく「児童相談所の人」という風に見てたんだけど、 その時からその人のことを「山下さん」という風に見れるようになりました”

勇気が渉と養子縁組をしようと思うに至った理由の一つが、ここにあるのではないかと私は考えています。それまで勇気は、団体職員の一人として渉にかかわってきました。しかし、子どもたちは、支援という枠組みや職員という壁を超えて、1対1の「生身の存在」としてかかわり続けてくれる大人を必要としているのではないでしょうか。勇気が渉とそのように向き合い続けるための手段が、「養子縁組」だったのではないかと私は考えます。

映画『二十歳の息子』を観て考えたこと/黒木萌

『二十歳の息子』© JyaJya Films

この映画は、思わぬ結末を迎えます。それを観て私は、「共に暮らす」こと、「家族」「親子」、「他人」と「かかわる」ということの間にあるあいまいなものや、それぞれに付けられた名前の意味を問われたような心持ちになりました。

それらについて考えるためのきっかけとして、勇気と渉が共に暮らすに至った背景、つまり親を頼れない子どもたちを取り巻く現状を知ろうとすることから、私はまず始めたいと思います。これを最後まで読んでくださったあなたも、ぜひ一緒にこの映画を観て考えてみませんか。

黒木萌

宮崎県延岡市生まれ、在住。大学卒業後、企業で総務、人事・勤労業務を経験。通信制高校サポート校での勤務を経験。文章を読むことと書くことが好きで、本に関するイベントを多数企画。最近の癒しは絵を描く(特に色を塗る)こと。好きな色は青で、春の海が好き。今年から始めた畑にほぼ毎日通っている。

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note

『二十歳の息子』

監督:島田隆一
出演:網谷勇気、網谷渉
2023年2月11日(土)ポレポレ東中野にて公開 以降全国順次

島田隆一監督『二十歳の息子』公式サイト

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