「1850年から1948年のあいだ、カリフォルニア州では異人種間混交禁止法によって、異人種が混合する婚姻が禁じられていた。アメリカがフィリピンを植民地化した後の1900年代初頭に移住してきたフィリピン人を含め、異なる人種とされるグループ間の婚姻は認められなかった」
そう書かれた字幕の後、寝転んだ白人の農夫に半透明の女の姿が重なる。大恐慌時代のカリフォルニア、次のシーンで半袖の赤茶けたワンピースを着たその女の上半身を真正面からカメラが捉え、罪の告白が始まる。日没後も収穫の手伝いをしていたとき、いっしょに働きはじめて一年になる農夫の顔が星明かりに照らされて、衝動が抑えられなくなった、服を脱がせたくなった。そう欲望を吐露する。女は、顔立ちからしてきっと、字幕で示唆されていたフィリピン人の移民だろう。
こうして始まる短編映画『Shangri-La』を、わたしは今年の初夏にブルックリン美術館のホールで観た。ブルックリン美術館では毎月はじめの土曜日の夜にイベントが催され、6月のそのイベントの一環として企画された「センシュアル・シネマ」で、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』とこの短編が併映されていた。主人公のフィリピン系の女性を演じるのは監督のイザベル・サンドバル自身。罪の告白であるはずなのに香気が匂い立つように話す女性の、まっすぐ向けられたカメラにやや顔も身体も傾けて話す姿、ときどきアップになる唇、妄想なのか現実に起きたことなのか曖昧な夜の光のなか重ねられる身体の一部のカットの挿入のため、恥の意識が焼きつけられているようで緊張感が通底する。
その禁忌と官能が入り混じるムードから、わたしはカーウァイの2000年の映画『花様年華』を想起していた。すると、上映後のトークが終わってから声をかけたサンドバルから教えてもらった、影響を受けた作品のリストのなかに同作があった。禁忌のムードは近いものの、汗の滲みが香るような『Shangri-La』と比して、『花様年華』の官能は窃視するカメラによって、1962年の香港(実際はほとんどがタイのバンコクで撮影されたという)が主人公たちにとっての監獄のようだ。『花様年華』はほとんど外界の風通しは感じられず、せまい共同住宅や密室のシチュエーションと共に、寄りのカットで緊密な圧迫を感じる。
人を愛したり官能的な感情を抱いたりすること、または特定の属性間での/属性の人へのそういった感情や欲望のみに対する禁忌の念が、異常なもの、低俗なもの、公然と語るべきではないものとして忌避され、ないものとする意識や、そういった意識を醸成する教育。こうしたムードが不問とされ続けることで、わたしたちの内から自動的に罪悪感が生成されるような規範となり続けるのではないだろうか、と考える。
『Shangri-La』のほうが開放感と自信に満ちていると感じられるのはどうしてか。禁じられた関係性について密かに語る女性のいる教会の告解室は、記憶上か空想上かの、アメリカ独立記念日の花火の夜空の下で語り合う、ロマンティックな恋人たちの親密さを祝福する空間へと変容していく。19世紀末のアメリカの農民の服から、現代のMiu Miu製の服(この映画はファッションブランド「Miu Miu」の短編映像企画「女性たちの物語」の21作目として撮られた)へと変わる瞬間の力が、風通しの良さに一役買ってるのかもしれない。