4連勤の最終日。4連勤といえば、一般的な「普通」の社会人の皆様からすれば楽勝かもしれないけれども、私にとってはかなりハードだ。私は人よりも労働に向いていない自覚があるから(人と比べられるものでもないけど)、4日も続けて出勤するとそれはもうへとへとになる。園芸店でのパート勤務は、植物の水やり、手入れ、生花の水替え、接客、レジ打ち、商品のラッピング、掃除、品出し、その他こまごまとした仕事が膨大にあって結構大変だ。のんびりと植物の世話をしているイメージがあるけど、実際はトランシーバー片手に広い店内を駆けずり回っている。4日連続でこれらの仕事内容をこなせるようになっただけでも、私にとっては大きな成長だからそれで良い。
園芸店に勤めていると、よく「日が当たらない場所でも育つ観葉植物はありますか」とお客さんから尋ねられる。今日も訊かれた。話を聞くと、「風水では、玄関やお手洗いに観葉植物を置くと良いというから」と皆さん口を揃えておっしゃる。
「植物は日に当ててなんぼ」が信条である私のように過激な日光原理主義者にとっては、日差しのない場所でも育つ植物といったらエアプランツくらいしか挙げられない。でも、エアプランツでは風水的には駄目らしい。ちなみに造花も良くないそうだ。私からすれば、この手の会話は例えると「酸素が薄い土地なんですけど、育てられる生き物はいますか」「クマムシくらいですかね」「いや、そういうのじゃなくて、もっとこう、うさぎとかネコとかが良いんですけど……」「うーん……」というレベルの無茶振りなんだけれど、なんだかなあ。
そういう訳ですから、風水を扱う専門家の皆様におかれましては、どうか園芸店にしわ寄せが来ないやり方を広めて頂けないでしょうか。「日の当たらない玄関やお手洗いには、フェイクグリーンを飾ると運気がアップ!」とか、「観葉植物は明るい窓辺に置きましょう。幸運を呼び込みますよ!」とか、そんな感じで。人によってはモンステラやシダ類を勧めているけど、あれは日光がなくても本当に育つものなのだろうか。今度、自分で育てて検証してみたほうが良いのかもしれない。場合によっては、頑なな日光原理主義の立場を見直す必要がある。
私には私の「植物は日光がないと育たない。ゆえに、日の当たらない場所に植物を置いてはいけない」という信念があって、風水には風水の「日が射さなくても、玄関やお手洗いに植物を置かなければならない」という決まりがある(多分)。お客さんには、矛盾する双方の意見を聞いて納得のいく方を選んでもらうしかない。
社会には、きっとこういう相容れない意見同士からどちらかを選んだり、良いと思う部分だけつまみ食いしたりしていく必要がある場面が他にも色々あるんだろう。昔受けたカウンセリングでは、「白か黒かの両極端な思考ではなく、中間のグレーでいられることもだいじ」と教わった。しかし、問題によっては、中立の立場でものごとを傍観することは多数派や強者及び加害者の側につくことにもなりうる。そして、中間・中立でいることの是非についてもまた、両立しえないこうした視点があるのだ。
大人になると、こういう複雑なことを考えて自分の意見を練り上げていかなければならないから難しい。考えすぎると、「何が正しくて何が事実ではないのか? そもそも事実というものが必ずしも正しいとは限らない。自分の目に見えているものが事実とも限らない。本当のことって何だ? 私に見えているものは他者と同じものなのか? 他者と同じならばそれは正しいのか?」といった具合に頭が混乱してくる。こうして従来の自分の価値観がぐらぐら揺さぶられて、ぐちゃぐちゃにこんがらがった所で、新しい視点がぽんと生まれてきたら良いんだけど、なかなかそういうこともない。
でも、思考がこうして遊園地の絶叫アトラクションに乗っているかのように上下左右に揺れ動く体験はとても楽しい。一粒の砂金が見つからなくても川底の砂を漁ることを楽しめるように、過程を楽しむ経験は貴重だ。そう思うと、風水にも感謝せざるをえなくなる。照明をつけなかったら普段は真っ暗だというお手洗いに置く植物は何が良いのかと聞かれたらやっぱり閉口するけど、それだって愉快なアトラクションが待つ遊園地のチケットかもしれない。
4連勤を頑張った自分へのご褒美に、小さなコウモリランの苗を買って帰った。税込420円の小さなポット苗だ。木の板に着生させた大きなコウモリランのある生活に憧れるけど、カイガラムシとの闘いからは逃れられないだろうな。日の当たる自室の窓辺にコウモリランを置いて、眺める。風水的には、観葉植物の鉢が所狭しとぎっしり置かれた部屋はどうなんだろう。自分と異なる意見を持つ立場とはいえ、相手に歩み寄ることだって重要だ。思考のジェットコースターに振り回されて叫び疲れた脳が、植物の緑に癒されていく。