5月30日月曜日6時 尼崎市 燈里が書いたスナネコの日記
10年間トリップしていて、その時のことを今も頻繁に夢に見る。目覚めて即吐き気と眩暈を感じて、現実のこの世に戻ってきた。尼崎にあるアパートの8畳の部屋で朝を迎えていた。喉が張り声が掠れる。手足が冷たく頭は熱い。頬、肩、胸、腹と手で触る。滑らかで薄い乾燥した皮膚だ。膝を折り曲げて小さく体を縮め、息を深く吸って肺に空気が流れ込むのを太腿で感じる。僕の体には怒りと柔らかさが内在し共存する。苦しみも傷も溶け込んだ唯一無二の体。僕は確かに今ここに存在する。
起き上がると、まずは煙草に火をつけ、Spotifyの自分のプレイリストを再生する。最近友達のRからもらったソニーのスピーカーが震え、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の旋律が部屋に響いた。♩そうさ何かに凝らなくては駄目だ 狂ったように凝れば凝るほど 君は1人の人間として 幸せな道を歩いているだろう♩ブルシット・ジョブが始まる前、音楽のリズムとグルーヴに乗って、朝決まった習慣を2時間かけて丁寧に悠々とこなす。朝の過ごし方には儀式に近いこだわりがある。些細な朝の日課を繰り返し積み重ねて、毎日の生活を作っている。
朝は必ず筋トレをする。自分の引き締まった腹を見るとキマる。そして朝風呂。湯船に浸かると腕も脚も気持ち良く伸びるようになる。歯を1本1本時間をかけて磨く、これもまたキマる。merry christmas Mr. Lawrenceのピアノと自分の息遣いで湯が細かく波打つ。風呂から上がると、髪にドライヤーの温風を当てる。指を通る黒髪が柔らかい。今日は髪を七三にきっちり分けられて気分が良い。自分の髪が好きだ。以前は平凡無味な日常茶飯事に感じられたことが、病と薬と痛みが染み込んだ体には十分刺激的で詩情と興味を駆り立てる。鏡を真っ直ぐ見据えると、瞳孔が開いた大きな両目が見返してくる。それは僕でありあなたでもある。
職場には歩いて向かう。ヘッドフォンから流れるLou Reedの歌声に合わせて大股で一歩一歩踏み込んで歩く。コンビニに寄ってコーヒーとパンを買う。職場には余裕を持って早めに着くよう計算済みだ。叩きつけるようにタイムカードを押し、同僚や上司は一切無視する。なぜなら♩you’re so vicious♩ゆっくりと階段を上って屋上へ。3階建ての工場の屋上は十分な高さと広さがあり、似通った色と背格好の工場の並びをぐるりと見渡せる。治安が悪い町だ。誰もいない屋上で1人煙草を吸い、死んだ面構えの娑婆い奴らを見下ろし、ロックを聴いて頭を振る。これは学生の時から変わらない。ロックを能動的に解釈し、込められた感情に呼応し、自分の生き様と重ね合わせられる自分の感性が誇りだ。
遠方に汚い川が見える。真っ黒な水面を微風が揺らし、そこに朝日が反射している。体と自然が共振する。川の漣、肺を循環する空気、湯船の湯、波文様の髪、鶏頭の花弁、そして自分の心身と感受性。全ては寄せては押してを繰り返す波であり、流動している。この不定の揺れこそ、この瞬間を生きている証だ。始業前、最後に再生されたのはthe rolling stonesだった。♩you can’t always get what you want but if you try sometimes you’ll find what you need♩自意識と剥き出しの感受性だけは何があっても手放さなくて良かった。自分が自分であって本当に良かった。僕は1人で屋上に立っているが孤独ではない。あなたも今、遠く離れた土地の屋上で町を見下ろし、同じロックを聞きながら同じ思いで煙を蒸していると知っているから。潮流に乗ってこれからどんな風に生きていこう。