夜に散歩をするのはひさしぶりだった。
歩きながら、夜に散歩をしなくなった理由を考えてみた。寒かったから。花粉が飛んでいるから。体力も気力もなかったから。コロナだから。コロナウイルスがひろまってから、お風呂から上がってから外を出歩くのを控えるようになった。でもそれ以上に、慢性的で形骸化した〈恐怖〉にかこつけて、怠惰になっただけなようにも思う。
夜には夜の記憶がある。あの交差点の手前にある家の庭にハクビシンがぬすっと忍び込んでいったのを見かけたのも、羽化したばかりのしろく半透明な蝉を遊歩道の街灯の下で見つけたのも、狸と鉢合わせしたのも、夜のことだった。真昼のひかりの下ではそういった記憶は陽射しのなかに隠れていて、そこを通りかかっても思い出しもしないのに、夜の帳が下りてからそこを通りかかれば、たちまち記憶は鮮やかに立ち上がる。夜の散歩をやめてから、そんなことすら忘れてしまっていた。そんな記憶たちを星座のように繋ぎ合わせながら、一日の仕事で疲れた足を引きずるようにして、夜のなかを進んでいった。
代わり映えのしない一日だった。
仕事の日はたいていそうだ。一日が始まった途端、一日の大部分は定められた時間で埋められている。仕事が終わった頃には、一日はもうほとんど終わっている。
四月から異動になり、上京してはじめて働いた職場へまた戻ってきた。二年働いた後に辞めて、その後職場を転々としていたが、三年前に同じ組織に再就職した。当時配属されたのはいま働いている最初の職場ではなく、駅前の十一階建てビルのうち、二階のイベントホールと十階・十一階の会議室・多目的室を管理する部署だった。事務所はビルの十階にあり、エレベーター脇の窓からは富士山が見えた。異動になったので、四月に入ってから富士山を見る機会はなかった(もとより、春になってから雲や靄に隠れて富士山が見えることは稀だったけれども)。人生最初の職場に戻ることに最初は微かなときめきのようなものを感じてもいたけれど、いざ戻ってみると日々の業務に追われる毎日が異動前と変わらず続く。今月観たある映画の中で「仕事なんて基本来た球打ち返すだけだ」という台詞があったけれど、まったくその通りだといまは思う。不満はあるが、だからといって爆発させるわけでもない。人生に目標がないわけでもないが、開花する兆しもいまのところはない。そういえば、今日の昼休憩中に読んだ本の中にこんな一節があった。「線香花火のようにちりちりと小さい⻩色い怒りを四方に飛ばす、そんな花があった」(多和田葉子『百年の散歩』/新潮文庫、2020年)。ああ、その花のことならよく知っています、それはわたしのことです、などと思ってみたりもするが、所詮花は自分の意思では移動できない。職場から帰って寝て起きてご飯を作って食べてお風呂に入って上がれば、もうすっかり夜になっている。
団地脇の緑道を抜けると公園に出る。手前側のベンチの前に自転車が停まっていて、その傍らになにか黒っぽい塊が丸まっているのが見えた。おそらく黒か紺のスーツを着て、頭を抱えるようにして座っている(あるいは、眠り込んでいる)人間だと判別するのに、しばらく時間がかかった。そう認識してからも、それがほんとうにヒトなのかどうか判然としなかった。奥のベンチには男女二人が腰掛け、なにやら話し込んでいた。公園の出口脇に建つ集会所の壁の時計は、夜の九時を回ろうとしているところだった。
マスクをせずに歩くのはひさしぶりだ。マスクをするようになってから鼻が蒸れ、なにかの発作のように突然無性に痒くなることが最近よくあった。春の夜風に鼻をさらすのはすーすーして気持ちがよかった。通り過ぎるひとたちも、夜遅い時間でひと通りも少ないこともあってか、マスクをしていないひとが多かった。マスクをしていないひとの顔は夜の闇によく溶け込んでいた。
公園を抜けてしばらく歩くと、跨線橋に着く。上京してはじめて富士山を見たのは、この橋からだった。夜となったいまではもちろん、富士山は見えない。階段を上り切ったところで、東から⻄へ走り抜けていく電車、⻄から東へ走り抜けていく電車を、それぞれパノラマ写真で撮影した。橋の下を越えるタイミングでシャッターを切って捉えた電車は、ちょうど橋を挟んで左右に伸びる光の線となり、それを追うようにカメラを動かした結果、無限に引き伸ばされているように写っていた。電車の乗客たちは、引き伸ばされた時間の中でいつまでも帰れないままだ。それから橋の真ん中に立ち、今度は360度のパノラマ写真を撮影してみた。いままでうまくいった試しがなかったけれど、四回目で成功した。撮影できた写真を見ると、二つの黒い洞穴が空いているようだった。