引っ越しして4日目。喉がからからに乾いている。そういえば、日記を書かなきゃいけないのは今日だった。んー、なんにもないんだけどな。ぐいと全身を伸ばして、昨日遅くに作ったチリビーンズをあっためる。夜のうちにわけておいたサラダは、冷たいガラスのボウルにしんと収まって冷蔵庫の二段目。取り出して、鳥の声を聞きながらなんとなくインスタを開く。河田桟さんの投稿、与那国島の馬たち。ぼうっと見入っていると、外から聞こえてくる音と与那国の音とどっちがどっちかすっかりわからなくなった。窓の外は日差しが明るく、洗濯だな、と思う。
シャワーを浴びている最中、白くなめらかになった浴室の溝を見つめる。引っ越してきた当日に直してもらった風呂の溝。湯はすこし熱かった。頭を流しながら考えたこといくつか。母親が始めた「朝食日記」がとてもよかったこと(母は最近、その日の朝食と、朝に考えたこと、思い出したことを毎日書くようになっている)。NHKが記事にした性暴力裁判のこと。それから、ここのところあんまりものが書けないこと。なんか、言葉を持つって、どういうことなんだろう。わたしにとって書くことは思い出すことで、いまそれができていないのにはどういうわけがあるんだろう、等々。
母の日記がすごくおもしろいのは、彼女が「思い出して」いるからだ。人生のなかで起こった出来事、いまのいままで忘れていた、小さくてとりとめのない記憶。だけどたしかにあったこと。母にはずっと書こうとしていることがあって、いつか語ってくれたその話をわたしはもう一度聞きたいと思う。9歳の頃、彼女の暮らす小さな町にやってきたサーカスのこと、そのサーカスにいた同い年の少年(わたしは当然彼のことを知らない。それなのに、彼の華奢な背中や、うっすらと土で汚れた白いシャツをありありと想像する – まるで思い出すみたいに)。彼女が何度も書こうと試みながら、まだ書くことのできないでいる記憶のこと。
「思い出すというのは、それについて語る言葉が見つかるということです」。本で読んだ言葉が頭のなかでくるくるまわる。頬の高いところを避けるように水が流れていく。語ることはたぶん、手放してはじめて起こるのだ(まだ自分のなかに渦巻いているものは言葉にならない。そう思ってきた。歌や踊りならそれを共有できる気がして、だからわたしは踊りを習いたいとときどき思う。言葉がなくても、いや言葉がないから、だからこそ守られるもの。言葉が力を持たない場所でのみ、損なわれずにいるものはある)。母はいつか、その物語を滔々と語るだろう。わたしもいつか、語るに足るなにかを思い出すのだろうか。
お昼どうしよう、と思って駅前に出ると、KALDIが周年セールだった。RoiThaiのグリーンカレー、スキッピー、桃のお茶、冷凍のシナモンロールなど購入。今日はやけに優柔不断で、八百屋やスーパーをいくつも行き来しているうち焦りがやってきた。帰ったら、ベースの練習をしないといけない。今日はこっちにきてからはじめてのスタジオで、わたしはシンセサイザーじゃなくベースを弾くことになる。一週間後に控える自分たちのパーティーでいまの体制が終わるのだ。住む場所も編成も変えて、わたしたちはどんな水のなかを泳いでいくだろう。
もっと、ずっと自由になる。それだけはわかる、とふと窓に目をやればあっというまに夕方、楽器をさわったら最後、時間はおもしろいくらいに溶けていく。
☆
夜のスタジオを終えて0:30、駅から家まで歩く。帰ってこれから中華粥を作るか迷う。でも中華粥っぽくなりそうなものはごま油しかないな。生姜はあったっけ、なんてこと考えてたらいつのまにか家について、テーブルの上に出しっぱなしの皿をじっとり見つめる。よって、ストックしてあった水餃子をぽんぽんぽんとつかみ、沸かした湯のなかに放り込んだ。ポン酢がない、と思ったのもつかのま、Hさんが置いてってくれた按田餃子のスパイスのこと思い出してラッキー、なんとかおいしく食べられた。
ああ、一人暮らしは牛乳が減んないな。これからはもっと遠慮なくコーヒーに入れてやるのだ。