公開初日から早一週間以上。自分の作品が初めて劇場で一般公開される機会で、場所は大好きな映画館の一つであるシアター・イメージフォーラム。配給会社をつけない“自主配給”ということもあり、宣伝の高田理沙さんに沢山助けていただきながら、夏から力を入れて準備をしてきた。思いがけない方々からの推薦コメントもいただいたし、新聞やWEBメディア、テレビやラジオ番組でも取り上げてもらった。無名の監督の無名の自主映画にも関わらず、公開後は少しずつお客さんが増え、旧友や知人からは「観たよ」「すごく良かった」というメッセージが沢山届いた。世代や立場を超えて、様々な方からの素敵な感想もネット上に多く上がるようになった。それらの一つ一つが、私を「劇場公開を決めて良かった」という気にさせた。
しかし、やはり映画を賞賛する言葉だけではないのも事実だ。映画レビューサイトやSNSを見ると、時折、名前も顔も知らない誰かの厳しい評価が綴られている。それらを目にすると、一瞬にして、全身をつんざくような痛みが走る。もちろん私自身の人格を貶したいのではなく、作品に対するその人なりの真摯で真っ当な評価なのだと納得できる。でもはじめは、作品を作る過程だけではなく、自分が生まれてきたこと自体が否定されてしまうかのような感覚に陥ってしまう。そのたび、作品と自分自身との距離がまだまだとれていないことも実感する。これも映画を制作する側に課された試練というか、通るべき道なのだと思う。おそらく、本作をずっと封印したままでは分からないことだった。
この先の自分自身を殺さないために、厳しい評価を受け止めつつ、だけどそれよりもずっと多かった、褒めてくれた人たちの顔や言葉を忘れないでいよう。私に涙ながらに感想を伝えてくれた人、「あまりにも良かったから」と二日連続で劇場に観に来てくれた人、「つらい題材なのに、すごく心が癒された」と私の制作意図を汲み取ってくれた人、「2024年のベスト映画」だと言ってくれた人……それらを思い浮かべると、酷評した方も含めて、観に来てくれた全員の人生に、自分の映画を介して一瞬でも関わることができて良かったと心から思える。
昨夜の舞台挨拶で冷や汗が止まらなかったのも、「この映画を良く思わない人が、この中にもいるかもしれない」という不安が元凶だったが、別にそれならそれで良いじゃないか。作品を観て何を思うかなんて、作品が手に渡った瞬間からその人の自由だし、全員が絶賛する映画なんてつまらない。そう自分に言い聞かせながら、舞台挨拶後に「観て良かった。ラストシーンにくらった」とあたたかい声をかけてくれた友人のことを思い出す。そうやって、自分に都合の良い言葉だけを大事に持ち続けて反芻するのも、この世界を生き続けるにおいて、時には必要なことだと思う。
今日の昼回も夜回も、お客さんが来るだろうか?「観にきて良かった」と思ってくれる方がいるだろうか?
ぐらぐらとした、でも希望にも満ちた思いを抱えながら、身支度をして、浜松町駅行きの電車に飛び乗る。
この日は昼から、次の監督作のオールラッシュがあった。
この2024年、文化庁委託事業の「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」の製作実地研修参加作家に選ばれ、夏から新しい短編映画の準備を始めていた。タイトルは『スリーピング・スワン』。11月末には都内で撮影、12月には前述の2作の劇場公開をする傍らで編集・仕上げ作業に取り組んだ。22作を作ってしばらく現場から遠ざかっていた私にとっては、久々の映画制作。今度は“震災”以外のテーマ、おそらく震災以前の小学生の頃から自分の中にあった、ある別の題材に取り組んだ。私にとっては、そしてある人たちにとっては、すごく深刻な題材だと思う。この映画のもつ視点や倫理観といったものが世間にどのように受け取られるか、脚本を書いている時からずっと不安と期待がないまぜになっていた。
一方で、撮影期間はとにかく恵まれていた。スタッフとキャストの皆さんが優しくプロフェッショナルで素晴らしい方たちばかりで、常に私は安心感に包まれ、可能な限りやりたいことを自由にやらせてもらえた。もちろん演出面においては自分の力不足で上手くいかなかった箇所もあるのだが、大袈裟ではなく、これまでの人生で一番幸せな時間が続いていた。
今日のオールラッシュは、編集したものを初めて関係者内で観る機会だった。クランクアップ後、久々に会うスタッフも多く観に来てくれた。自分の新しい作品が、大きなスクリーンで初めて他者に観られる時間はすごく緊張した。試写後、関係者から様々なフィードバックがあった。中には厳しい意見もあったが、以前の私──学生や会社員の頃、組織内の意見のやり取りや関わりの中で萎縮して勝手に心を壊していた私──からは比べ物にならないくらい、それらの全てをとても前向きにとらえられていた。作品のために、こんなに心を尽くして言葉を渡してくれる人がいる。なんてありがたいことなのだろう。話し合いが終わり、何人かで「梅蘭」の焼きそば(私の大好物だ)を食べながら、ずっとそんな思いに満たされていた。