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同じ日の日記

なぞり書きのように、離陸する飛行機のように/小沼理

新刊やパレスチナについて考えながら、明日からの旅の準備をする

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年5月は、5月27日(月)の日記を集めました。ゲイ男性としての日々や社会に対する思いを綴ったエッセイや日記などを書くライター・編集者の小沼理さんの日記です。

5月27日の日記を書いてください、そう伝えられた瞬間から5月27日がはじまっていく。その日どんな予定があったか思い出し、iPhoneのカレンダーで確認している時、頭の中にはもう5月27日の朝の光景が広がっている。恋人は出張でいないから部屋はきっと静かだろう。椅子や花瓶の配置は眠った時からなにひとつ変わらず、窓の外の空だけが違っているだろう。家具の表面に白い塵のように、うっすら静けさが降り積もったような朝だろう。そして布団から抜け出ると空気がふるえ、塵は雲散し一日がはじまっていくだろう。

「前日がバイト先の蟹ブックスで新刊の手売り、翌日から韓国に行くので
余韻を引きずりながら明日からのことを考えるような、はざまの一日になりそうな気がしています。」

空想の5月27日の朝から、今、ここに戻ってきて、依頼のメールにそう返信した。少し自信がなかったが、1日だけ日記を書くことは、ちょうどいいリハビリになるんじゃないかと思った。
日記集を出したり、人に日記を書くことを勧めるZINEを作ったりしていたのに、長いこと気持ちが日記から離れてしまっていた。新しいエッセイ集『共感と距離感の練習』を作るために自分のモードが日記からエッセイに移っていたこともある。だけど何より大きかったのは、2023年の10月以降、今回のイスラエルによるガザ侵攻、パレスチナ人に対する虐殺がはじまったことだった。
新型コロナウイルスが流行しはじめたころ、この社会のことを記録しようと思って日記をウェブで公開しはじめた。それと同じことを今回もやってみよう、何度かそう考えたのだけど、いつも数行で手が止まった。日記を書いていると、自分には眠る場所があること、食べるものがあること、生命の危険を脅かされていないこと、娯楽を買って楽しむ余裕があること、怪我や病気をしても治療を受けられることが浮き彫りになる。それはガザにいる人々の状況とあまりにも違っていて、自分の生活に目を凝らし振り返ると後ろめたくなった。後ろめたさが支配的な時に何かを書くと、言い訳ばかりになる。だったら書く意味ないなと思った。
とはいえ、書かなければ後ろめたさと向き合わずに済んでしまうのも違う。やっぱりちゃんと引き受けるために、私は自分の生活と結びつけながら考えたくて、日記はその役に立つと思う。

目が覚めた時、空想の5月27日をなぞり書きするみたいな気分だった。メールの返信に書いた5月27日も、予言のように頭の片隅にあった。恋人は出張でいないから部屋は静か。眠った時と目覚めた時で椅子や花瓶の配置は何一つ変わらず、窓の外の空だけが違っている。
空想の5月27日の朝の陽射しは強烈だったけど、現実の5月27日は曇っていて窓の明るさはやわらかかった。枕元のiPhoneを見るとミラノにいる恋人からLINEで短いボイスメッセージが届いている。聞いたあと、私もボイスメッセージを返した。布団から抜け出るよりも先にその声が空気をふるわせたから、静けさが降り積もったような朝だったのかはわからなかった。
なぞり書きの下絵は断片的だ。何も考えずになぞれるほどちゃんと用意されているわけではない。想像していたことの間を、想像していなかったこと——それは大したことではなく、意識するまでもないようなこと——で繋いでいくように、1日が動き出す。
なんとなく窓から外を見下ろすと、通勤通学で駅へと向かう人たちの流れが見えた。上から見ると本当に流れって感じだなと思った。これは想像していなかったこと。こういう些細なことがらが胸に留まる時、日記を書く目になっているなと思う。

午前中、締め切りが近づいている原稿を書き進める。8割方できたところでお昼。駅前の富士そばでさっと食べようかと思ったけれど、エレベーターホールまで来たところで冷蔵庫に野菜があるのを思い出し、引き返す。明日の旅行までに使い切らないと駄目になってしまう。
食パンを焼きながら、きゅうり一本半を薄切りにし塩を振って水気を絞り、マヨネーズ、ノンオイルのツナ缶と和える。思いのほかたくさんできてしまい、トーストにのりきらない。半分ほど使って、あとは小腹が空いた時に食べようと冷蔵庫にしまった。
トースト、さっぱりしていておいしい。バターを塗ったらもっとおいしいはずだけど、ちょうど切らしていた。食べながらXで新刊のエゴサ。まだ発売されて間もないし、感想らしい感想は見当たらない。いくつかの書店が入荷したことを投稿してくれていた。ありがたい。いいねなどのリアクションをする。
昨日蟹ブックスでお店番をした時のことを思い返す。開店前、外へ看板を出しに行くと入り口に人がいた。「もう大丈夫ですか」と聞かれ、もちろんです、と答えて一緒に店内へ。昼から予定があるけど、開店直後なら時間があるからと急いで買いに来てくれた人だった。自分用と、「友人にプレゼントするので」と、『共感と距離感の練習』を二冊買ってくれる。
店には他に誰もいなかったので、少し話をした。本をプレゼントする友人の話、ガザの話、ピンクウォッシュの話。何かしなくちゃ、という強い思いがその人の中にたしかにあるのが伝わってきて、話しながら自分の目が潤んでいくのがわかった。こらえたつもりでいたけど、私は涙もろいというか涙の量が多く、すぐに目が赤くなるので、きっと気づかれていたんじゃないかと思う。その上で、気づいていないことにして話を続けてくれたのかもしれない。
結局トーストだけでは足りず、残りのツナきゅうりも全部食べた。冷蔵庫にはブラウニーもあった。一昨日のホームパーティでケネスが作ってくれたもので、余ったぶんを少し持ち帰らせてもらったのだ。ひときれ食べる。ぎゅっとしていて甘くておいしい。

午後から原稿の続き。途中、一緒にソウル・クィア・パレードを歩く人たちのグループLINEにゆうすけさんからメッセージが届く。6月1日のパレードの日、ソウルのイスラエル大使館近くでパレスチナ解放を求める集会があるという情報。私もインスタで見かけて気になっていた。当日はどんな雰囲気なのだろう。SNSで見たソウルのパレスチナ解放デモの映像、日本のデモやTRP(東京レインボープライド)で見た光景のいくつかが頭の中を同時に流れていく。
15時過ぎに原稿を書き終える。思っていたより時間がかかってしまった。部屋の日当たりが良くて蒸し暑い。少し窓を開ける。ソウルの気候はどうなのだろうと思って、天気予報を調べてみる。最高気温は日本と同じくらいで、最低気温が5度ほど低い。滞在中は晴れの日が続くみたいだった。

録画していた今朝の『虎に翼』を見る。東京大空襲の場面からはじまったこの回では、空襲を逃れ疎開している寅子と義姉の花江のもとに、寅子の兄・直道が戦死したという報せが届く。1945年8月15日に「終戦の日」を迎える一ヶ月前のことだ。
戦争が終わらない限り死者は増え続けること、一日、一週間、一ヶ月早く終わっていれば、それだけ多くの人が生き延びたことを思う。ガザで起きていることを重ねる。今朝もラファの難民キャンプに爆弾が投下され、大勢の人が焼き殺された。つい数日前、国際司法裁判所がイスラエルにラファへの攻撃の即時停止を命じていたのに。
その遺体と焼けた街の映像を、インスタグラムで私は見ている。いつからかインスタグラムのアカウントには、ガザにいる人から経済的な支援を求めるメッセージがたくさん届くようになった。物資が入らずあらゆるものの値段が高騰する中で生活を続けるために、ガザからの避難に必要な法外な費用を集めるために、かれらはメッセージを送る。でも、私はそのほとんどをサポートすることができずにいる。
仕事に戻る気分になれないので、荷造りに取り掛かる。去年韓国へ行った時はまだコロナの検疫があって、入国前にいくつかの手続きが必要だった。今年はどうなんだろう。ケネスのホームパーティで会った時、らんらんさん(一緒に韓国に行くはずだったけど、仕事で行けなくなってしまった。残念)は「パスポートだけで大丈夫だよ〜」と言っていたけど、一応自分でもちゃんとわかっておこうと思って調べる。
Q-CODEは不要になったそうだ。
K-ETAも免除。
本当にパスポートだけあればよさそう。
たったそれだけで、私は自由に国境を超えていくことができる。
先日買っておいたeSIMをアクティベートする。エラーメッセージが表示されるが、それが正常にアクティベートできた証拠なのだと説明書には書かれていた。

だいたいの荷造りを済ませたら仕事の続き。トラブルが発生している案件があって、今後の進め方を調整する。他にもうまくいっていない案件があり、不確定要素が多くてストレスを感じてしまう。頭の中がごちゃごちゃしていて何から手をつけていいのか混乱するので、ブロックメモにタスクを書き出し、一つ終わらせては上から順に線を引いて消していく。
最後の一つに線を引く頃には、すっかり外は暗くなっていた。
SNSを見ると、潟見さんが新宿三丁目にあるバー、タックスノットのアカウントで「今夜はお店で小沼さんミニブックフェアでお待ちしています🌈」と投稿していた。新刊や、潟見さんと一緒に作ったZINEの画像も一緒に。好意がうれしく、投稿を引用しながら「お店に顔出します」とポストした。急いで出かける準備。途中、なんで明日5時起きなのに顔出すとか言っちゃったんだろうと若干めんどくさくなるが、気づかないふり。だって潟見さんも明日から同じ便でソウルに行くけど、深夜までバー営業だし。
タックスノットに着くと馴染みの人たちが何人も来ていた。その場で本を買ってくれた人にサインを書く。名前と、その人ごとに違う一言メッセージ。
途中でだいきさんがお店に来た。だいきさんは昨日の蟹ブックスに来て新刊を買ってくれた人。もう読んだだろうか。聞いてみようか。でも昨日の今日だし、あんまり圧はかけたくないしな。席も離れてるし。
ぐるぐる考えて色んな理由が頭に浮かんだけど、要は怖気付いているのだった。どう感じたのかを知りたいけど、さらけ出して書いたから、感想を聞くのは恐ろしくもあった。本を出した直後はいつもこんなふうに恐ろしい気持ちが常にどこかにある。
帰り際にだいきさんに挨拶すると、「よかったです」と目を見て言われた。ほっとした。こんなことならさっと隣に行って、「どうでしたか?」と聞いたらよかった。私は時間を遡り、空想の1時間前が頭の中で再生されはじめる。でも、いやそれはさすがに都合よすぎ、と思ってすぐに遠ざけた。少しだけ話して店を出る。短い会話でも心はほぐれていた。

日付が変わる前に家に着き、すぐシャワーを浴びてベッドに入った。恋人と少しLINEする。ミラノと東京の時差は7時間だから、向こうは夜の入り口に差し掛かったところか。
さっきまで人がたくさんいる場所にいたせいか頭が冴えていて、なかなか寝付けなかった。そして一人になると、さっきまで忘れていた後ろめたさが湧き上がってくる。
この後ろめたさ自体はなくならないのだろう。でも、耐えよう、と思う。できないこともあるけれど、やらなければならないことをやっていこう。
5月27日が終わっていく。振り返ってみれば下絵があったのはほんの最初だけで、途中からはずっと想像していなかったことが起こり続けていた。ずっとなぞり書きの比喩を使っていたけれど、滑走路を加速する飛行機が離陸していくのにも似ていると思いつく。横たわる体が、車輪が地面を離れてふっと機体が浮く瞬間を思い出している。それは過去の記憶であり、明日きっと味わうはずの未来の記憶でもある。
朝、ちゃんと起きられるだろうか。不安になるけれど、こういう時に寝過ごしたことはこれまで一度もないから、きっと大丈夫だろう。想定外のことがなければの話だけど、今ここにいる私に何かが起こる可能性は、相対的にみてとても低い。

小沼理

1992年、富山県生まれ。ライター・編集者。著書に『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)、『共感と距離感の練習』(柏書房)。編著に『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』(河出書房新社)。

(撮影:宮本七生)

『共感と距離感の練習』

著:小沼理
発行:柏書房
発売日:2024/05/23
価格:1,760円(税込)

『共感と距離感の練習』

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