伸ばしかけの髪が肩に当たって跳ねる。
自分のお店(西瓜糖)のスタッフが本業で字幕を手掛けた『私、オルガ・ヘプナロヴァー』を見るために、渋谷の映画館へ出向く。
1970年代のチェコを舞台に生きるオルガは反抗としてのボブヘアで、それを見ながら、わたしはどうして昔からこの髪型が好きなんだろう、そしてどうして今それを伸ばそうとしているんだろう? と考える。 確かに意思の強そうな印象がこのスタイルにはある。何かを決意(それは些細なことであったり、ときには生き方そのものをガラリと変えてしまうようなことであったり様々だ)するタイミングで髪を切り揃え、また揺らいでは伸ばしはじめるというパターンを繰り返している気がする。
ついさいきん観たばかりのヴァルダ監督作『冬の旅』の主人公ともリンクする、世間からはみだした少女オルガ。凶悪さや不良さとされる行いの核から反射する切実にふるえるたましい。映画の中の彼女にとって、日記を書く行為は数少ない拠り所だった。
わたしは普段、日付の下に並んだ十行の欄を一年ずつ埋めていく形式の「10年日記」を書き留めていて、過去の同日に何をしていたのか確認する習慣がある。いくつかの箇条書きをすれば埋まってしまうような狭いスペースなので、ディテールこそ無いけれど、それでも全く思い出せない記載は意外と少ない。ちなみにちょうど一年前のわたしは、代々木上原でブータン料理を食べている。近しい人と知らない料理を食べる冒険が好き。
映画館から喫茶店へ移動し、先ほど観た映画のパンフレットと、それから大竹伸朗著の旅行記『カスバの男』を読む。二冊目に挙げたものは、9月にモロッコとポルトガルへ旅をする予定があるので、それに関連した書籍をいくつか買った中の一冊。映像としてのイメージがふわりとあるだけのモロッコが、文章とドローイングという別角度から輪郭を与えられていく不思議にときめきを覚えはするけれど、その場所へ訪れるという実感はまだ湧いてこない。
日が翳ってきたので伊勢丹の閉店までに間に合うよう足早に新宿へ移動、お目当ては数年ぶりに買う新しい香水。
何度か飲み屋で居合わせた女性がまとっていたお寺のような香りが忘れられず、勇気を出して使用しているアイテムを尋ねたところ快く教えていただいたので、忘れないうちに手元に置いておくことにした。
パンフレットと香水が増えた鞄を下げて西瓜糖へ行き、月曜スタッフのお客さんとして、日付が変わって朝になるまでお酒を飲んだ。映像、文章、旅、香り、アルコール。強く記憶に残るそれぞれが時間を経て抱きしめてくれるとは限らないけど、定着させようとする行為そのものにセラピーのような作用がある、わたしも確かにそう思う。きっとオルガもそうだったように。