SNSの普及などによって、今社会が抱える問題や、周縁化されてきた人々の声が少しずつ可視化されるようになっています。それは重要な歩みである一方で、流れの速さのなかで一過性の話題として消費され/消費してしまったり、忘れられ/忘れてしまったりすることも少なくありません。ものごとは一つひとつのできごとや、一人ひとりの声の積み重ねのうえに成り立っていますが、個人はそのすべてを捉えることはできず、誰しもが世界の見方には多かれ少なかれ偏りがあります。そのことを意識したうえで、一人ひとりがどんな声を聞き、どんな視点でものごとを捉えていくかを考え続けることは、個人や社会のあり方を少しずつ変えていくことにつながっていくのではないかと思います。
ノーマルスクリーンの秋田さんは、主にクィアの作家による作品の上映・発信をインディペンデントで行っています。「クィアの人たちが安心していられる空間」や「マイノリティの人たちが同じ興味を持って集まる場」を自分がつくる必要があると語り、クィアの会話を前進させたいという秋田さん。歴史のなかで聞かれてこなかった無数の声を振り返り、光をあてようと取り組み続ける秋田さんに、現状の主流の映像作品からこぼれ落ちてしまっているものやクィアの表象に「欠けている」もの、アクティビズムとアートの関係、作品のアーカイブによって声が生き延びること、まだ表に出ていない声があると意識することなどについて話を聞きました。「完成された、完璧な歴史はない」なかで、現在だけでなく過去からなにを学び、どんな未来を紡ぐのか、考えることを手放さないための対話の時間となりました。