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i meet you

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

大作からこぼれ落ちるもの、インディペンデントや「実験的」である理由

社会のことから、ごく個人的なことまで。me and youがこの場所を耕すために考えを深めたい「6つの灯火」をめぐる対話シリーズ、「i meet you」。2005年にノーマルスクリーンを立ち上げ、主にジェンダーアイデンティティやセクシュアル・マイノリティに関する作品の上映・発信や、「歴史や記憶や保存について考える特集」を継続して行う秋田祥さんにお話をうかがいました。このテキストは、me and youの本『わたしとあなた 小さな光のための対話集』にも収録されています。

SNSの普及などによって、今社会が抱える問題や、周縁化されてきた人々の声が少しずつ可視化されるようになっています。それは重要な歩みである一方で、流れの速さのなかで一過性の話題として消費され/消費してしまったり、忘れられ/忘れてしまったりすることも少なくありません。ものごとは一つひとつのできごとや、一人ひとりの声の積み重ねのうえに成り立っていますが、個人はそのすべてを捉えることはできず、誰しもが世界の見方には多かれ少なかれ偏りがあります。そのことを意識したうえで、一人ひとりがどんな声を聞き、どんな視点でものごとを捉えていくかを考え続けることは、個人や社会のあり方を少しずつ変えていくことにつながっていくのではないかと思います。

ノーマルスクリーンの秋田さんは、主にクィアの作家による作品の上映・発信をインディペンデントで行っています。「クィアの人たちが安心していられる空間」や「マイノリティの人たちが同じ興味を持って集まる場」を自分がつくる必要があると語り、クィアの会話を前進させたいという秋田さん。歴史のなかで聞かれてこなかった無数の声を振り返り、光をあてようと取り組み続ける秋田さんに、現状の主流の映像作品からこぼれ落ちてしまっているものやクィアの表象に「欠けている」もの、アクティビズムとアートの関係、作品のアーカイブによって声が生き延びること、まだ表に出ていない声があると意識することなどについて話を聞きました。「完成された、完璧な歴史はない」なかで、現在だけでなく過去からなにを学び、どんな未来を紡ぐのか、考えることを手放さないための対話の時間となりました。

「これまでクィアの映画が、宣伝によって歪められる様子をたくさん見てきました」

─「ノーマルスクリーン」の活動を始めた経緯を教えてください。

秋田:自分は大学でずっと映画を勉強してきたんですね。クィア(※1)の作家のドキュメンタリーや実験映画を調べたり、クィアの表象の歴史を学んだり。そのうちに、だんだん理論と実践の「論理」だけに偏っているというか、インプットばっかりしている感じがしたんです。それで映画祭や上映イベントを手伝うようになりました。

でも映画祭って通常は一年に一回ですよね。映画祭のソーシャルメディアも開催の前後に動かすだけで、継続的な発信媒体としてはあまり機能してない。というのを間近で見ていたので、もし自分がやるなら、一年中SNSで情報を発信しながら、不定期でクィア作家の作品を上映していく場所をつくりたいと思ったんです。それがきっかけでした。

─それが何年ですか?

秋田:2015年ですね。初めは日本のクィアの人たちが安心して鑑賞できて、来場者同士が交流する場をつくりたいと思っていました。だけど、思っていたより難しくて。それは今後の課題かなと思います。今はいろんな場所を借りて上映会をするのが活動の中心です。

─ただ作品を上映するだけではなくて、クィア関連の情報発信にも積極的ですよね?

秋田:軸は上映ですけど、年中ソーシャルメディアで、クィア関連のイベント情報やおもしろい情報を投稿したりしようとははじめから考えていました。あと、上映する作品に出てくるアーティストや文化についても短い記事を書いて、誰でもアクセスできるようにしています。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

「ノーマルの気になる催し物リスト」では気になる映画や展示、インターネット上のサイトを毎月紹介

─映画祭より持続的な活動で、でも配給会社とも違う活動形式ですね。

秋田:映画祭は「フェスティバル感」をつくらないと機能しないと思うんですよね。それが映画祭のおもしろさでもあるし、大事だと思うんです。だけどそうした型にとらわれずに活動したくて、はじめから細々とやっていきたい気持ちがありました。

「映画の配給をしたらいいんじゃない?」とよく言われるんですけど、配給し始めたら集客しないと成り立たないですよね。これまでクィアの映画が、宣伝によって歪められる様子をたくさん見てきましたけど、それは結局集客のためなんです。自分はそういう既存のシステムから外れたところでやっていきたかったんです。

クィアの人たちが安心していられる空間と、マイノリティの人たちが同じ興味を持って集まること。それを自分がつくる必要があると感じていた

─さきほど「クィアの人が安心できる場所をつくりたい」とおっしゃっていました。現状ではそうした場があまりないということでしょうか。

秋田:そうですね。例えば、レズビアンのカップルを描いた映画なのに、宣伝の時点でターゲットが男性にされていることがありますよね。で劇場に足を運んでみると、実際に男性たちが、当事者だったら絶対笑わないところで笑っていたりする。当事者がそういう経験をしなくていい場所をつくりたかったんです。クィアの人たちが安心していられる空間を。あと、マイノリティの人たちが同じ興味を持って集まれる場所ってそんなにないんです。それを自分がつくる必要があると感じていました。

LGBTQ+の当事者たちが、マジョリティに学びを深めてもらうために行っている上映や映画祭も大事です。ただそういう場所は、ターゲットが多数派の人たちであって、自分たちではない。それだとたとえ、「クィアの人ももちろん歓迎しますよ」というイベントでも、結局マジョリティへの説明を繰り返さないといけなくて、クィアの人にとってはなにも前進しないんです。知識も広がらないし深まらない。だからクィアの人たちのためのイベントはすごく大事だと思ってます。

─秋田さんはアメリカやアジア各国に行かれる機会も多いと思います。ノーマルスクリーンを立ち上げるにあたって参考にした団体や活動はありましたか。

秋田:直接的ではないですけど、20代の頃にアメリカで映画館以外の場所でやっている上映会を見ていたので、その体験に背中を押されたかもしれないですね。例えば(日本でもそうかもしれないけど)パブリックなイベントとして、公民館や教会、図書館、屋上で上映会をするのは珍しくないんです。映画館は作家にとって理想的な空間かもしれないけど、映画館じゃなくてもいいんだと気づかされました。ちょうどデジタル化の広まりや機材の性能が向上してきて、DIYで上映会がやりやすくなっていた頃でもあったと思います。

ノーマルスクリーンを始めた2015年頃は、同じような活動をしてる人は身近にいなかったんです。だけど、出版関係にはいました。C.I.P. BOOKS とか里山社とか、SUNNY BOY BOOKSとか。DIYで自分が大事に思うことや小さな声を大切にした出版社や本屋を個人でやっている人がいることが心の支えになっていました。その人たちはなぜかみんな、近い時期に始めているんですよね。それで実際にお互いに情報交換をしたり、刺激を与え合ったりしてやってきた。そういう実感はあります。

「『観る』とか『友達と話す』ってシンプルなことですよね。でも、そういう単純なものこそ、力を秘めている」

─上映作品はどう選定されているんですか?

秋田:「欠けているもの」を上映しているという感覚があります。自分はハリウッド映画とか韓国ドラマも大好きなんですけど、それらの多くからはこぼれ落ちるものがあると思っているんです。例えば、マイノリティを描いた話では抑圧やそれにまつわる感情が描かれることが多くて、それは重要なことなんですけど、自分自身はクィアの友情を描いているものとか、クィアの人が感じている喜びを描いている作品も積極的に上映しています。

『WEEKENDS』(イ・ドンハ監督/2016年)という韓国のゲイのコーラス・グループを捉えたドキュメンタリーは、毎週集まってコーラスの練習をしながら、ばかなことを言い合ったりして楽しそうにしている男の子たちの姿も描いている作品です。実際にはこれまでも世界中にあったし、今もあるのに、可視化されてこなかったものをちゃんと捉えている。そういう多様で複雑な状況や心境を描いた作品はプッシュしたいですね。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

『WEEKENDS』

─なるほど。

秋田:だけど、全体ではあまりガチガチには決めすぎないで、ご縁を大事にしています。知り合いが作品を紹介してくれたり、上映してから連絡を取り合うようになったアーティストが他のアーティストを紹介してくれたりすることがあるので、臨機応変に対応できるようにプランはゆったり組むようにしているんです。旅の計画の立て方に似ているかもしれないですね。自分は一週間旅行するとなったら、絶対に行く予定は一日に一つくらいしか入れないんです。ノーマルスクリーンのプログラムもそういう感じで準備しています。現地での出会いや情報に導いてもらって、よりリアルな世界を見せてもらうイメージです。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

2022年度にノーマルスクリーンで配信した作品。カリフォルニアのアーティストによるトランスジェンダー アートハウス ホラー『Love You Forever』(監督:マシアホフ・セパンド、マシアホフ・セペール、原田波奈)

─主流の映像作品に「欠けているもの」を上映することの意義はなんだと思いますか?

秋田:例えば、「地味なゲイが仕事に追われていい出会いもなく、でも週末は友だちと会って気晴らしをして暮らしている」みたいな、特に大きなできごとが起きるわけでもないクィアの日常を描いた作品ってメインストリームではあまりないですよね。日本における女性の表象もそうだと思うんですけど、限定的な描かれ方が多いなかで、映画とかドラマで「こういうの観たことなかった」と衝撃を受ける作品に出あえることがあると思うんです。そこで初めて、なにが自分から奪われているのかに気づけたり、その原因はなんなのかと考えられたりする。自分は「観る」ことの力を信じているんです。映像を観ることで、自分の置かれている状況をもっと広い視点で認識できる。そういうことがすごく大事だと思っています。

─それが会話を前進させもする。

秋田:そうですね。「観る」とか「友達と話す」ってシンプルなことですよね。でも、そういう単純なものこそ、力を秘めているんだと思います。

「実験的」な手法でしか語れないクィアの人たちの体験がある

─ノーマルスクリーンで上映されている作品は個人やごく少数によってつくられた映像が多いですが、そうした作品の魅力はどこにあると思いますか?

秋田:これまで上映した作品は全部インディペンデントのものなんですけど、どれもすごく複雑なんです。物語やそこで語られている体験はもちろん、テクニカルな面もシンプルではなくて。「無視されていた存在」や「新しい声」や「新しい感情」を映像化させるために、実験的な手法を使っている作品が多い。

そういう仕方でしか語れないクィアの人たちの体験があるんです。2021年5月に配信した『アグネス〜過去から今へ〜』(チェイス・ジョイント+クリステン・シルト監督/2018年)のチェイス・ジョイント監督は、「普通のナラティブではトランスジェンダーの経験は描けない」と言っていました。彼はドキュメンタリーと劇映画的なナラティブを混ぜるスタイルを取っています。つまりそれは、マジョリティの経験とクィア/トランスの人々の体験がそれだけ違っている、ということなんだと思います。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

『アグネス 〜過去から今へ〜』

─一見して「実験的」な表現にも必然性があるということですよね。以前上映されていた『タンズ アンタイド』(マーロン・リグス監督/1989年)でもそれは感じました。

秋田:そうですね。だから、実験的なものを上映したいと思っているわけではなくて、自然にそうなる、ということなんです。

ハリウッド映画でも最近はLGBTQ+のキャラクターが多く登場するようになってきましたけど、単純化されて語られてしまうこともよくあります。例えば、フレディ・マーキュリーの人生を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督/2018年)は、QUEEN の他のメンバー(ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー)がエピソードを提供してつくられた映画です。フレディはほとんどクローゼット(※2)だったので、彼一人で夜遊びをしたり人と会ったりした時間があったはずですけど、ストレートのバンドメンバーは、彼のその豊かな経験を知らないわけです。クィアの人がどんな人生を歩んでいるかを知り得ないのに、知ったつもりになって「フレディ・マーキュリーの人生」として映画をつくっている。そういうレベルの問題もハリウッド映画にはあります。もちろんインディペンデントな映画でも、同じような問題が出てくる可能性はありますけど。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

『タンズ アンタイド』

アートとアクティビズムの関係性、それぞれができること

─同じメッセージを伝えるのでも、直接的な訴えを行動で示すアクティビズムもあれば、表現を通してメッセージを伝えるやり方もありますよね。それぞれに良さがあると思いますが、秋田さんはその二つをどう捉えていますか。

秋田:エイズ・アクティビズム(※3)に関する映像をたくさん上映/配信していてよく考えるんですけど、両方大事だと思っています。アクティビズムには、なにかを前進させるときに必要な、明確なアイデアとか言葉があると思うんですけど、アートはそういうものでは抱えきれない思いや複雑な物事を盛り込めるんですよね。

自分がノーマルスクリーンの活動をやっていて感じるのは、そういう作品は、直接行動やアクティビズムをしている人たちの憩いの場にもなるということです。時々この活動を「アクティビズムだね」みたいに言われることもあるんですけど、自分としては、政治的ではあるけど、アクティビズムと言えるようなことはなにもできていない、という認識で。アクティビズムはすごく大事で自分もやらないといけないという気持ちはあるんですけど、できていない。でも今は、そうした運動の最前列に立って、自らをさらけ出す状態に身を置いて活動している人たちが、時々鎧を脱いで他のアクティビズムの状況を知ってもらったり、エンパワーされたりする場を提供できたらいいなと思っています。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

トウガラシ・アート・コレクティブ + ノーマルスクリーン present『Visual AIDS’ Day With(out) Art 2021: ENDURING CARE』。ニューヨークの非営利アート団体「Visual AIDS」が1989年から毎年行っているDay With(out) Art「アートの(ない)日」というプロジェクトの2021年版である7つの短編映像集「ENDURING CARE」を、アーティストとキュレーターによるトウガラシ・アート・コレクティブとノーマルスクリーンが日本語字幕と解説の翻訳をして公開(ステートメントはこちら

─アーティストとアクティビズムが関わり合い、時に助け合うようなイメージなんですね。両輪というか。

秋田:アートもアクティビズムも切り離して考えることはできないトピックだと思います。今クィアの人たちの話をするときに、かつて仕事や家族や命を失うかもしれないような状況で声をあげたアクティビストの歴史は本当に大事なんです。

あと自分ができることをするのが大事だと思います。あれもこれも一人が全部する必要はない。デモをするときにポスターはつくれるけど、道に立てない人はそれで良くて。できる人ができることをやればいい、ということかなと思うんです。

─アクティビズム関連の映像作品もよく上映されていますよね。

秋田:古いアクティビズムの映像を使った作品はアメリカのものが多いですね。その背景としては、今アメリカが変革の真っただ中にあって、社会が抱える問題が明確になり、アクティビズムも盛り上がっていることがあると思います。過去にインスピレーションを求めたり、運動の歴史を再確認したりしようという気運が高まっているからだと感じます。

上映作品を観た人に一つだけ持ち帰ってほしいと思っているものがあるとしたら、完成した歴史、完璧な歴史はない、ということ

─数十年前につくられた作品も上映されていますが、過去の埋もれた作品を現代に掘り起こすことの意義はどこにあると思いますか?

秋田:いいアートは、時代の先を予見していると言われますよね。だから、時間が経ってから観るのがちょうど良かったりもすると思うんです。いい作品はいつ観てもいい、という感覚もあります。でも、作品がつくられた時代背景や文脈を説明するのは大事で、それをやるのも自分の仕事だと思ってやっています。

─「いい作品は未来を予見している」って、どういうことなんでしょう?

秋田:最近では主流メディアが「ジェンダー」とか「特権」を取り上げるようになって、普段の会話でも使われるようになりましたけど、クィアのアカデミアやアーティストは1990年代からそういう話をしているんですね。当時のエッセイや映画にも残っています。最近になってメインストリームが使い始めた言葉を、クィアの人たちは30年、40年前から考えていた。なぜそんなことができたかというと、それは彼らが実際に体験していることだったからです。そういう意味では、当事者は予見していたわけじゃなくて、経験として問題がもう見えていたということですよね。

─90年代にもマイノリティはいたはずですが、今になってマジョリティはようやくその言葉の存在に気づき始めた?

秋田:当時は今よりもさらに鈍感でいられる特権があって、気づいていなかったということかなと思います。自分もすごく詳しいとか、やるべきことができていると思っているわけではないんです。でも、上映する映画のために勉強していて、知ろうとすることが大切なのかなと思います。

me and you野村:『アグネス〜過去から今へ〜』を観たときに、作品に流れた「時間」が印象的でした。この作品は、1950年代後半にトランス女性が医療に意見を求めた資料を、再現とインタビューで甦らせていますよね。当時は聞かれることのなかった声が、記録として残されて、また上映されることで、観ている人たちの認識が変わっていく。ノーマルスクリーンが「歴史や記憶や保存について考える特集」を行っていることにつながりますが、作品は記録や保存という行為によって歴史を捉え直す力を持ち得るとあらためて思いました。

秋田:あの特集の作品を観た人に一つだけ持ち帰ってほしいと思っているものがあるとしたら、完成した歴史、完璧な歴史はない、ということです。だから、現代に生きる人は常に学んだり、調べたり、考えたりしないといけない。

─「歴史」といっても勝者・強者の歴史でしかなかったりします。

秋田:マイノリティの話にしても、それぞれの声や話がいくらでもあります。そして過去に起きたことであっても、人によってはその影響を今もダイレクトに受け続けていることもある。その複雑さを意識して向き合いたいと、自分自身思いますね。

マジョリティに求められる態度は、あらゆるマイノリティの人のあらゆる声を聞くこと

秋田:近いうちに、オーラルヒストリー(※4)について考える特集もできたらと思ってます。日本語で「オーラルヒストリー」と検索すると、戦後の政治家のオーラルヒストリーみたいなものも出てきます。でも自分が興味があるのは、歴史から蔑ろにされてきた声です。今アメリカではオーラルヒストリーの活動が盛り上がっているんです。道にマイクを置いて、道行く人の人生経験を語ってもらうプロジェクトがいくつもあります。

─どういう団体がやっているんですか?

秋田:大学とか図書館ですね。「StoryCorps」という専用のアプリがあって、家の人に話を聞いてみようと呼びかけたりしています。アメリカではオーラルヒストリーを先導している団体にお金が回ったりしているみたいです。

例えばスミソニアン博物館は数年前に、アメリカにおけるアーティストとエイズについてのオーラルヒストリー・プロジェクトを始めました。30〜40年経ってようやく当時の記録を残そうという話が出てきたんですね。もっと早くやっているべきだったと言っている人もいます。じゃあ1995年に当事者が話せたかというと、直近すぎて話せなかったかもしれず、それはわかりません。でも、自分はそういうオーラルヒストリーに興味があるし、それこそ今必要なものなんじゃないかなと思ってます。日本でも例えば、東日本大震災の体験についてインタビューを行い、その録音を保存している人もいますよね。

クィアの表象に「欠けているもの」を上映する。ノーマルスクリーン秋田祥さん

左上から時計まわりにme and you野村由芽、me and you竹中万季、秋田祥さん、平岩壮悟さん

─メディア報道でもセクシュアル・マイノリティの問題が取り上げられる回数が増えましたが、そうしたごく一部の報道に触れただけで、わかった気になってしまっているマジョリティもいるのではないかと思います。今後マジョリティに求められる態度はどんなものだと思われますか?

秋田:話を聞くこと、だと思います。あらゆるマイノリティの人のあらゆる声を聞く。マイノリティのなかには「自分は大丈夫だよ」と言う人がいます。だけど、そういう話に引っ張られないで、声になってない声がまだまだあるということを忘れない、そういう姿勢が大切なんじゃないかと思います。

ファッション業界とかアート業界の知り合いから、「ゲイとかレズビアンの存在は、アートとかファッションでは当たり前だから」といったことを自分自身で言う人たちがいると聞くんですけど、マジョリティ、マイノリティを問わずそう言える人たちは、もしかしたらある種の特権を持っているだけかもしれない。今は一部のLGBTQ+の存在が可視化され始めていることで、そうした声が前に出やすく目立っていると思うんですけど、まだ表に出てきてない声があるということを意識するべきだし、自分もノーマルスクリーンの活動をするなかで、そうありたいと思っています。クィアだけに絞れば、個人の聞かれにくい声は文章やアートとしてわりと存在しているので、そうした作品にたくさん触れることが大事かなと思います。

一方、人間不信になるような経験によって閉じこもってしまうことって誰しもあると思うんです。でも、まわりにいる60、70歳ぐらいの素敵な人たちは、そういった経験をたくさんしているはずなのに、努力してでも新しいことを学ぼうとするオープンな姿勢があって。自然にはそうはなれないから、わたしも好奇心を忘れずに活動していきたいです。

※1:「もともとは英語圏で『奇妙な』という意味で使われた言葉であり、『ホモセクシャル』を差別的に表現する言葉として使用されてきました。80年代後半には同性愛者らが肯定的な意味をもって自らを『クィア』と呼び、『クィア』はジェンダーやセクシュアリティに関する規範に抵抗し差異そのものから脱構築することを目指す概念として認識され、異性愛規範や性科学における前提の見直しや男/女、異性愛/同性愛、正常/異常などの二項対立的な分類を問い直す学問として確立されました。同時に、細かな定義は使われる場所により変化し、近年、アメリカなどでは性的マイノリティの総称として気軽につかわれることも多くなっています」(クィア・アニメーション201Q 資料
※2:クローゼット/自身のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティを公表していない状態
※3:エイズ・アクティビズム/エイズをめぐる政府の対応の遅れなどを含む諸問題や、エイズとともに生きる人への差別に対する抗議運動など、政治・医療・教育・文化など多方面においての抗議活動や当人へのサポートのこと
※4:オーラルヒストリー/口述歴史。歴史研究の一つとして、関係者から話を聞き取り、記録としてまとめ保存する手法のこと。一方、研究対象から外れたり、見落とされたできごとや人々が自ら語りを録音する活動や記録をそう呼ぶこともある

秋田祥

映画館や団体などと協働しながら、主に性的マイノリティの人々の経験をとらえた実験的な映像作品を新旧/地域を問わず上映、配信。
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『わたしとあなた 小さな光のための対話集』

編集:me and you(野村由芽・竹中万季)
発行:me and you
価格:3,850円(税込)
発売日:2022年8月20日

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