道路カッターの轟音で目が覚めた。ここのところ、自宅付近でも出かけ先でも道路工事が行われていて、こんな暑い時期の現場仕事は本当に大変だなと思う。彼らの作業着の腰元には小さなファンが2つ3つ付いていて、通り過ぎる時は機械音とともに小さなモーターが鳴る音が聞こえた。「ご苦労さまです」と軽く会釈をして過ぎていく。
ヘルメットに装着されたヘッドライトで照らしながら確認する。タンピングランマーで舗装を締め固める。「通り抜けできません」と両腕を振ってサインを送る。いろいろな動作が目まぐるしく行われ、ほんの少しの間作業の様子を見ていると、信号は青に変わった。
友人とオンラインミーティングで話す前に、テイクアウトしたミルクティーをだらだら飲みながら昨年のこの頃に書いた日記を読み返してみる。2023年8月19日。憂鬱な気持ちを抱えながらも、自分がもっとちゃんと思考していた時期だった。内容は「大切な人を失う夢のなかで見た西瓜の断面の維管束が羊の顔に見えてしょうがない。ショックを受けている私をゲラゲラ笑う羊よ、ふざけるな」というようなもので、少々心配になる。
私は夏があまり好きではない。夏は、冬と春に蓄えた力を根こそぎ奪っていくような脅し方でいつもやってくる。焦燥によって脱水になる。だから夏はこまめに水を飲まないと倒れてしまうし、意識が明瞭なまま生き延びる努力をする必要があった。昨年の今頃、私はしっかり水を飲んでいたのかな。
当時、私はある人の喪失から立ち直れないでいた。ずっと慕ってきた人をほんのはずみで失って、数ヶ月間思い出しては顔を床につけて泣いていたと思う。幾度も日記に出てくる、その“H”という人が残していったものは大きかった。さまざまな問いかけから発達した思考は、積乱雲のように上昇と下降を促した。丸まった紙をのばすときに上下を押さえておく、そういったテンションがかかりっぱなしの状態で疲弊していたのだ。その時吐露した断片が、iPhoneのメモにも動画にもボイスメモにもいくつも残っていて、久しぶりに見返したり聞き返しても、あんまり思い出せなくなっていた。
Hが去り際に言った「自分自身に責任を持っていないじゃないか」という問いかけをずっと考えていた。考えて考えて、考え尽くしたけど当時の私にはよくわからない感情しか生まれずしばらく忘れていたのに、日記を読むと冷や汗がでるくらいに鮮明に思い出す。声色も眼差しも、また目の前で繰り広げられるし、再演される「私自身の責任感のなさ」。どうやってこの言葉に立ち向かえばいいのか、一年経ったばかりの私にはまだ難しかった。
夕方になり、友人とのオンラインミーティングが始まった。久しぶりに声を聞くが、以前よりも少し元気そうで忙しそうでもあった。あれこれ話していくなかで、久しぶりに「ケア」の話になり、昨年私が卒業制作作品を制作していた渦中に考えていたことを思い出したりもした。学生時代と社会で働く今とでは身体のあり方は変化していて、それに伴って必要な「ケア」も変化していくと。
そうしたら、昨年あの日記を書いていた私の身体と今こうして日記を書いている私の身体、それがどのように変化したのか、もっとクリアに「責任」を持って言葉にしていくこと、それこそ意識が明瞭なまま生き延びる努力をする必要があるのではないかと、ふと気づいた。
プラスチックカップを濯いで捨てた。1時間強ほどの楽しい時間はあっという間に終わり、夜が来る。卵を茹でていると亀裂部分からぷくぷくと、瞬きをするように気泡が水面まで昇って弾けた。それを見て、走って自室にカメラを取りに行く。西瓜の維管束のように、何かの比喩に思えた。8分測って、氷水のなかへ卵を移動する。冷やしている間にもこうして日記を書いた。書く、書くということ。過去の身体が書いていたということ、そして来年の身体が書くのであろうテキスト。ああ、まとまらない、まとまらない。水を飲む。水を飲んでまた自分を落ち着かせる。