今日は、昨年末の引っ越しにより自分の会社の登記を移転したので、新しく謄本を取りに法務局へ行く日。
個人事業主で自営業デザイン仕事をして8年、その後法人化して3年目だけれど、会社にすると住所を変えるだけで10万円近くお金がかかるなんて全く知らなかった。かなりお金が惜しい気持ち(手続き料だけでなぜそんなにかかる?)だったので提出書類は頑張って自力で作った(士業の方に頼むと更にお金がかかるので)。法務局でやっている無料相談(制限時間15分)でも事前にチェックしてもらって、なんとか提出。しかし税関係も全てそうだけど、なぜ公的な書類の作成案内文ってあんなにわかりづらい文面と言い回し、読みづらいレイアウトなのだろうか……。年末の繁忙期に加えて引っ越し作業もあった中で、これをやった自分を褒めてあげたい。
法務局は歩いて30分弱の距離なので、迷わず走り&歩きで向かう。正月あるあるだけど、今年こそ運動を続けようと朝ランをやっている。昨年は事務所のすぐ近くに小さいジムが出来たので、そこに夜に通って軽いランニングとストレッチをやっていた。女性専用で出来立てだったので人が少なかったのと、屋内なので天気も気にせず行けるのはすごく良かったのだけれど、引っ越し先の近くにあるジムは基本男女共用で、外から姿が見えるし、割と混み合っていそうな場所。幸いにも周辺の環境が良くて公園や緑道が沢山あるし、坂道もほぼない。出来るだけ他人の目を気にしたくないので、気温が暑くなるまではいったん外で走ってみようと思っている。それまでに梅雨が来るだろうから考えなくてはいけないけど。食事が人生の楽しみと言っても過言ではないので、食べることを我慢しないのであれば動くしかない。それは代謝が落ち始めた30代に突入した頃からわかっている。ただ運動が嫌いなまま大人になった者たちには、スポーツをするのには気持ちにハードルが沢山ある。そのうちのひとつ、「他人と競争させられたくない」をクリア出来るのは、超ゆっくりランニング。
無事に登記が終わっていることを確認したので、また歩いて帰る。帰り道にある肉まん屋がいつもより少し行列が短かったので、肉まん・ピザまん・あんまんを夫の分と合わせて2個ずつ買う。あんまんは明日の朝ごはん。買ってすぐに肉まんを歩き食いする。美味い。アツアツのものは本当に美味い。そうだ、この店のは生地がほんのり薄甘くて美味しかったんだ。最近は何かに紹介されたのか、行列がエグい長さになっていて食べていなかった。
帰り道の途中、民家のガレージに居座る3匹の猫ちゃんたちを眺める。外にベッドや爪研ぎが用意されているようだが、野良っぽい。ナイキのランニングアプリでその猫ちゃんたちの写真を記録。うちで飼えるようになるのはあともう少し落ち着いてから。長年の夢だった猫を迎えることが、楽しみであると同時に怖さが大きい。自分に生き物が飼えるのか? 小学生の頃、当時流行っていたハムスターを人からもらったのに、すぐに飽きて父親がほぼ面倒を見ていたことを思い出す。それなのに友達に自慢したくて、ビニール袋に入れて外へ連れて行ったという最悪の行為。子供の時の自分、怖い。そんなことはもう絶対しないけど、まだ飼っていないのに、たまに夢の中で猫がいることを忘れた自分が旅行に行ってしまっている状況が出てきて、焦って起きることがある。この話は何人かにしてるけど、すっごくわかる! と言ってくれる人と全く意味わからないという人が同数いる。
帰ってきてから仕事。入稿数本、アポ数本、メールで打ち合わせの返信など。
昨年の文フリで購入した、千葉美穂さんの『dee’s magazineとわたし』を最近やっと読んだ。これについての感想をどこかに書きたいと思っていたんだけど、SNSがだるい。インスタ投稿は仕事や作品だけにすると決めてしまっているし、ストーリーはあんまり考えずパッと10秒くらいで終わらせたい。ストーリーでの長文って、なんか「無理やり読ませるつもりはないんですけど読みたければ手を止めてわざわざ拡大してどうぞ」って感じがしてちょっと恥ずかしい(あえてやる時もあるけど)。全く知らない人も意外と自分のアカウントを見ているということを実感する機会が昨年何度かあり(初対面の人からストーリー見てます! と言われたり)自分の無防備さにちょっと怖くなったこともある。Xはもはや誰も見ていないし情報としての信憑性が低すぎて意味がないなと思って昨年末にやっとアカウントを消してすっきりした。自分は壁打ち的に言葉をめちゃくちゃに吐き出してスッキリするというタイプでは無く、自分の中である程度思考を重ねて言葉で整理したい時に書き出すという感覚が近いんだけど、そういう時に誰にも見られていない場所に書けばいいわけでもなく、誰かの意見や反応も聞いてみたいなとは思う。だから友人など、ある程度親しい人と直接会った時に会話する感覚で書ければ一番いいんだけど、zineを作るのがその感覚に一番近かったのかも。でも1冊にまとめて書くほどの文量でもないので、zineにならなかった日記やテキストが結構ある。
千葉さんのzineは、美大を出てから出版社に勤め、デザインの仕事を頑張っている最中に結婚妊娠でキャリアが中断され、数年後フリーランスで仕事をやりながらdee’s magazineというフリーペーパーを自らの手で作り始めた経緯のエッセイである。誰から頼まれたわけでもない物を作ることで、自分で自分の存在価値を取り戻していく過程に見えた。作り始めたら始めたで、身の丈に合っているか、金銭面の問題、些細な面倒事など出てくるのもリアルで、感動的だった。自分はこういうタイミングや時期の時どうだったかな。妊娠出産を経て仕事をしている友達はどういう気持ちだったのだろう。いろんなことを重ね合わせて読んだ。
特に私がcurry noteというzineを10年間作っていた時の心境とすごく重なった。大学在学中から作り始めて、5年目までは制作会社で働いていた時期だった。そこでは上司に仕事の回し方やプレゼンの仕方、ラフの作り方、カメラマンへの指示の出し方、営業さんの見積もりの作り方など沢山のことを勉強させてもらった。が、会社自体が古い価値観の環境だったため、今思い返すと私は怒りを沢山抱えていた。役職が男性しかいない。チームリーダーも男性しかいない。アシスタント的な立場や派遣社員は全員女性。営業部も女性は1人だけで、産休育休もまともに取れない。撮影の仕事依頼があってもカメラマンは必ず男性、アシスタントは女性。私はそこに偉そうに座って社歴が長いだけ・文句を言うだけで手を動かす気もない、タバコ休憩だらけのおじさんたちの何人分もの仕事をしようと思っていたし、やれば評価されて給料も最低ラインから上がるはずだと思っていた。クライアントにも直接会いに行って、資料を大量に用意したコンペも勝った。おかしいと思ったことは意見として冷静に上司に伝えていた。ただ結果的に5年間で給与は全く上がらなかったし、契約社員から正社員に変更はされなかった。現場の直属上司は信頼してくれていたけれど、それ以外の上司は評価をしてくれなかった。最初からフリーランスで働く方法を目指していた私は、そのために学べることが学べたらすぐ辞めようと思っていたこともあり、自分の価値を低く見積もる場所にいつまでもいるのを辞めようと思って、独立した。不安よりも怒りが大きかったんだと思う。最後のボーナスを全部使ってcurry note5年分の合本を作った。zineが売れるかどうかは全く関係なかった。このzineを作ったことで繋がった人やお店、zinesterたちが、気持ちの面での大きな支えだった。価値評価軸が一つじゃないこと。社会の中で生産的であることだけが、必要なことじゃない。お金を稼ぎたい気持ちと同じくらい、お金を稼がなくても大きな意味があることが存在して、それに支えられている気持ちがあった。
出産か仕事かを選ばなくてはならないような、二者択一的な状況はひと昔前よりは少しだけ改善しているのだろうけど、やはり自分の中でも根強く分断的な意識が刷り込まれてしまっている部分がある。独身、既婚、事実婚、子あり、子なし、会社員、自営業、親の介護あり、なし。
長嶋りかこさんの本『色と形のずっと手前で』を次読むものとしてバッグに入れている。