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同じ日の日記

ラフレシア・捕虜の手紙・まちの張り紙/奈彩

シンガポール旅、博物館で知った植民地の歴史と本屋で知ったカルチャーシーン

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年8月は、8月19日(月)の日記を集めました。公募で送ってくれた、シンガポールへの旅行記を綴った奈彩さんの日記です。

シンガポール旅2日目、チャイナタウンのホステルで目覚める。移動の疲れで早くに就寝したけれど、冷房がめちゃくちゃに効いていて寒く、しかもタオルケットや布団の類が一切なくて、二度三度と起きる。最終的にまくらをお腹に乗せたらふとんの重みを再現できてうまく眠れた。

シンガポールと聞くと、でかい船がついたビルの上でインフィニティプールに入って、スパに行ったり、買い物したり、というイメージだったので、ラグジュアリーなものにまったく関心がない私が行ってもいいのだろうか? と思っていた。旅行を計画するときは、インディペンデントな本屋や、喫茶店、小さめのギャラリーなどがあるエリアについて調べることが多いのだが、シンガポールではなかなかそれがみつからない。どんなところにも有機的な文化シーンが必ずあるはずなのに、それがあまり表に出ていないところはたいへん不思議で、だからこそ深く知りたくて行くことにした。

朝はカヤトーストを食べるために近くのホーカーへ。ホーカーは、屋台が集まるショッピングモールみたいな場所のこと。行商人、を意味するHawkerから来ている名前らしい。ガイドに乗っているような場所だから観光客も多いけれど、ローカルの人も普通に来ている。今日は珈琲を出す店は一つしか開いていないようで、少し並ぶ。前に並んでいたひとは、これから会社に行くのか、珈琲を水筒に注いでもらっている。店員さんがテイクアウトを準備する手際の良さについ見とれる。

植物が見たくなって、Fort Canning Parkという公園に行く。公園といっても、街の中心にある小高い丘だ。むかし、灯台や砲台があったことからこの名がついている。東南アジアや東アジアに行くと、どこに行っても自国の植民地主義の跡と向き合わざるをえない。この灯台も、日本軍上陸後はもちろん接収されている。灯台にしては少し海からは遠いように思う。今はビル群が阻んで海はよく見えない。イギリスの植民地時代に作られたのだろう、いかにもコロニアルな庭園を歩いて、暑さで少しぼうっとしながら、なじみのない植物たちを見る。「What To Do When You Encounter Otters」(カワウソに遭遇したときの対処法)という張り紙が出ていて、カワウソ見たい……と思ったけれど会えなかった。

公園を抜けると、国立博物館がみえてくる。歴史に関する展示があるとのことで立ち寄る。常に交易の中間地点として栄えてきたシンガポールの歴史が編年式に展示されているのだが、多くのスペースは、19世紀以降の植民地主義の歴史に割かれている。シンガポールの植民地としての歴史は、イギリスの植物学者・行政官のトーマス・ラッフルズの上陸からはじまる。ラッフルズの名前は、シンガポールのまちなかのあらゆるところで見かけることになる。ラッフルズ・ホテル。ラッフルズ・シティ。ラッフルズ・プレイス。思えばさっきの公園にも、ラッフルズ・ハウスがあった。ラフレシアの名付け親でもあるらしい。

1942年以降の展示エリアに入った途端、軍靴の音が鳴り響く。日本軍はシンガポールを占領後、多数の中国系の市民を抗日勢力として殺害した。虐殺に関わった日本軍関係者の一部が死刑を免れたことで、抗議運動が起こった、ということなどをはじめて知る。

いまでは空港のあるチャンギには、戦争捕虜たちが劣悪な環境で収容されていた。そんな捕虜たちを助けようと、働いていた病院から食料や医薬品を密かに持ち出し、夫とともに捕虜に渡していたElizabeth Choyという女性がいた。この二人がいなかったらより多くの捕虜が亡くなっていただろう。映像では、彼女が日本軍に拷問を受けたときのことを、訥々と語っていた。世界史は高校のときに学んだけれど、シンガポールでの虐殺や、Elizabeth Choyについてはまったく知らず、たいへん恥ずかしい気持ちになる。歴史に関する一般的な知識体系はあまりにも鳥瞰的になりすぎていて、地上でなにがあったかということについては蔑ろにされやすい。

展示ではほとんど写真をとらないけれど、戦争捕虜が収容所から送った手紙の住所に、Malaya, Japanと書かれているのにすごく動揺してしまい、思わず写真を撮った。その土地にある歴史や暮らし、記憶を剥がすことは決してできないのに、それを力で塗り替えるのが植民地主義、帝国主義なのかと唖然とした。

ホーカーで昼食を取ったあと、急遽友人と会う約束をしたので、それまで近くのエリアを散策した。最初は違う本屋がお目当てだったのだが、友人が遅れてくると聞きふらっと入ったBook Barという本屋がとてもよかった。店主と思われる方が話しかけてくれて、インディペンデントな出版社や雑誌に興味があるというといろいろと教えてくれた。トピックはなにがいい? フェミニズム? 政治? エッセイ? Poetry? とどんどん本を出してくれる。詩は最近人気らしく、自主出版も含むたくさんの書籍があったが、詩をやっている人同士が買っていることがまだまだ多いと苦笑していた。でもコミュニティがあるだけで心強いひとたちはいるだろうね、と話す。雑誌が欲しかったので、紹介された『Mynah Magazine』を購入。街の張り紙をアップし続けている「SINGAPORE ON PUBLIC NOTICE」というInstagramアカウントについてや、建て替えのため閉鎖されたタイ移民の人たちのホーカーの記憶など、様々な交差性のなかにある物語を取り上げている。Mynahは昨年活動を終えてしまったらしく、少しかなしい。

友人とお茶をした。嵐のようなエネルギーで世界を飛び回っている素敵な女性なのだが、少し疲れてホステルに帰る。ふと、私はなんでZINEとか、インディペンデントな本屋や、屋台が好きなんだろうと考える。有機的だから。一回性・個別性の塊だから。それが生きてるってことだから。自分以外の人生が無数にあって、同じ時空のなかにまったく別の世界として存在している、ということが圧倒的な事実として向かってくる。重要なのは、これは思考実験ではなく、本当にあったことだということ。もちろん、「本当」はときには本当にはなくて、ただ本当「らしさ」があるだけで、容易に資本主義に飲み込まれる弱々しいものでもある。でも私が信じているのは、個人の声の、存在としての強さであり深さだ。

受付でブランケットが借りられることに気づき、乾燥機にかけたてのものを貸してもらう。ほかほかくるまりながら「SINGAPORE ON PUBLIC NOTICE」についての記事を読んでいたら「gloriously unpredictable human eccentricities」(すばらしく予測不可能な人間のエキセントリックさ)という言葉に出会う。単にへんてこな行動だけではなく、そこにある予測不可能性が大事だよねってひとりで納得する。無意識や日常の領域にこそ、人間の予測不可能性が出てきて、それがものすごく愛おしい。だから生きた声や、生活の跡、インディペンデントな表現が好きだし、その力を信じているのだろう。どうもこの感情は愛おしさ、という言葉以外では表現できないな。

奈彩

1998年生まれ。東京在住。イギリスでカルチュラル・スタディーズを学び、いまは会社員&ダンサーをしながら日記・短歌・ZINEをつくっている。

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ISBbooksさん主催の「ふ〜ん学フリマ」にて新作ZINEを出品予定です

日時:5月22日(木)〜5月25日(日) 14〜20時
(最終日は19時、オンラインは26日8時まで)
場所:ISBbooks(〒166-0004東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-25-23第一丸伊荘C号)、ISBbooks オンラインショップ(BASE)

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