日記を書いて人に見せることになった。一瞬、人に見せるようなまとまった文章を書きたいと思った。その次の瞬間、「自分が文章から“真実っぽさ”を見るとき、それは必ず散文的で、ある程度脈絡が無い」と思った。完全で居たい。何も誇張することなく、省くこともなく、完全でありたい。夜の月が湖を隅々まで照らすように。そういう、普通のつまらない日記を書こうと思う。
昼前に起きた。
恋人からおはようとLINEが来ている。返事をする。
自分はフリーターなので休日を割と自由に決められるが恋人は土日が休日なので、日中から二人で遊びに行くとなると土日になる。
今日は土曜日で、且つ自分の仕事もひと段落したタイミングだったから、恋人と豪徳寺でランチしてから羽根木公園に行って、行ってみたかった近所の洋食屋「フライパン」でディナーするデートプランを立てていた。
豪徳寺に14時に集合する。おいらはいつもながら10分遅刻する。恋人はおおらかに許してくれる。
目当てだったランチが満席で、2位候補だったカレー屋に行く。当たりだった。スパイスをアーユルヴェーダ的に扱う店で、アンビエントが流れている。謎に「整った」感じを得る。
羽根木公園近くのコーヒー屋、フグレンでコーヒーを買う。美味しいコーヒーに、素敵な店内。こういう洒落ている店にフラッと寄る、みたいな生活も、あと4日で終わるのだなみたいなことをふと思う。
あと4日で、おいらは3年住んだ下北沢での一人暮らしをやめて、郊外に引っ越して母と暮らす。18歳から始めた一人暮らし、11年間の孤独と自由のモラトリアムの終わり。
羽根木公園に着く。昨日電話では「羽根木公園でバドミントンして、ポータブルプレイヤーでレコードかけて、芝生の上で本とか読めたらいいね」と言っていた。
我々は、重くて嵩張るバドミントンやポータブルレコードプレイヤー、レコード、本などをわざわざ持って来ていたが、案外寒くて風も強かった。「これじゃバドミントンできないね」「本読みする気分でもない」
我々はそこら辺の石垣に腰を下ろしてコーヒーを飲み、ただボーッとしていた。
赤ちゃんを二人連れた女性が散歩している。
赤ちゃんと目が合って挨拶する。赤ちゃんは1歳4ヶ月らしく、一人で歩くけれど何も喋っていない。
地面に落ちている落ち葉を物色して、良さそうな落ち葉をお母さんにプレゼントしていた。
プレゼントしては、また新たな落ち葉を探しに行って、またプレゼントする。
そんな様子だから、三人の進みはとても遅い。赤ちゃんは人と目が合うと、キョトンとしたり、ニコーとしたりしている。何を考えていらっしゃるのだろう。
隣で携帯を見ていた恋人が「今日母校の学園祭だ」と言った。
彼の出身大学はそこから近かったので、寄ってみることに。
大学に到着すると、学園祭内で俵万智さんと阿部公彦さんの対談イベントが開催されると告知されていて、聴講しに行く。
俵万智さんが「短歌で表現するということは、“情報量が多い方がいい”という価値観から離れたところからの出発。ある種の時間の流れの一瞬を、短歌にしなければなんでもない時間の流れの中の一瞬を留めたい。そしてそのことでなるべく世界を肯定したい」ということを仰っていた。
自分の知っている俵万智さんの歌をいくつか思い出した。俵さんが言った言葉は、俵さんの真実で、温かくて、少し泣いた。
イベントが終わると学園祭はもう片付けの時間になっていた。来場者が帰りだして人通りがまばらになるなか騒いでいる大学生たちを見て、もう一回大学に行きたいなあなんて思う。帰り道、短歌を詠んでみたい気持ちでいっぱいになっていた。
下北沢まで歩いて帰ってくる。ここを離れる前に、行ってみたかった店に全て行こうとして、我々二人の最近の外食費はとんでもないことになっている。でもそれもあと4日でおしまい。
引っ越し前最後の週末だった。これからの3日間で荷造りを終わらせる。二人でここで過ごす最後の日だった。
レストランの予約の時間までまだ少しあって、センスのいい酒屋の角打ちで一杯飲む。セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ‼」を意識しているであろうパッケージのデザインのワインも買う。
引っ越し先に、こういう酒屋は無い。
レストランに着く。最後の晩餐だとばかりにそれはそれは飲んで食べた。どんなことを話したかなんてこれを書いている今現在全て忘れた。いろんなことを考えて、全て忘れる。
寒かった。とても狭くて古くて汚いユニットバスの浴槽に、今シーズンで初めてお湯を張って湯船に浸かった。引っ越し先は、世田谷よりずっと郊外の、綺麗なマンション。ユニットバスじゃない。
昼から沢山デートして、はち切れんばかりに食べて飲んで疲れていた。次の日は朝が早かった。我々は、速やかに、狭いシングルベッドに入って寝た。もうこのベッドに二人で寝ることも、無い。
18の頃家を出て、学芸大学、雑司ヶ谷、所沢、江古田、浅草、下北沢と居を移してきた。中でも下北沢での生活は、絵に描いたような「ザ・20代フリーターのモラトリアム貧乏カルチャー自堕落一人暮らし」そのものであった。
さようなら。この街に戻ってくることはあっても、こういう生活には二度と帰ってこないだろう。一人で過ごす生活にもう飽きているのか、寂しさのようなものはあまりない。一人で過ごした20代は、この街で過ごした20代後半は、これはこれで私なりの青春でした。ありがとう。