渋川清彦、松浦りょう、山本奈衣瑠出演の映画『オン・ア・ボート』が完成するまで
2025/2/17
現在CMディレクターとして活躍するヘソ監督が、初めて監督した32分の短編映画『オン・ア・ボート』。2025年2月14日公開のこの作品は、ずっと映画を撮りたいと思っていたヘソさん自身が「回り道」と話すこれまでのキャリアのなかで出会った、松浦りょうさん、山本奈衣瑠さん、渋川清彦さんらとつくり上げられました。
そんなこの作品で描かれているのは、結婚によって新居と経済的な自由を手に入れたと信じる妻のさら、一家の絶対的な主でありたい夫の忠、さらの旧友で、かつてと変わらず自由奔放な鈴木えだまめの三者。選ばれた調度品に囲まれた家でひとまわり歳上の夫と暮らすさらは、えだまめに揺さぶられ、忠に苛立ちを覚えます。結婚というものをめぐり、それぞれの考える「自由」の形がほのかに浮かび上がり、互いの想いや関係性は、ボートのようにゆらゆらと揺れ動きます。
ヘソ監督がこの作品で描きだしたかったことや、作品を撮るまでの歩みを伺いました。
ー『オン・ア・ボート』では、高橋さらと、その夫の忠、そしてさらの旧友である鈴木えだまめの三人が描かれています。それぞれの違いやわかりあえなさを感じる作品ですが、三人の人物像と物語はどのように書いていったのでしょうか。
ヘソ:当初は、鈴木えだまめを中心に脚本を書いていました。物語をつくるときにはえだまめのような自由奔放なキャラクターを描きたいと思うことが多く、『オン・ア・ボート』の前にもそんな人物を中心に何本もの脚本を書いていたんです。でも、どうしてこんなにその人物に惹きつけられるのか考えたら、自分と対極の性格だからだと思い至りました。
その感情は半ば憧れで、「生まれ変わったらこうなりたい」というようなものでもあった。だから、本質的に彼女の言動すべてに共感できるわけではなく、自分を偽らないと彼女のことを書ききれないのだと気づいてしまいました。そうして、自分が持っているもののマイナス面にも目を向けていく過程のなかで生まれたのが、高橋忠です。
ー山本奈衣瑠さん演じるえだまめは、強引なところもありますがはっきりした性格で、思わず惹きつけられてしまう魅力の持ち主ですね。一方、渋川清彦さん演じる忠は、細かいことに気づく性格で、几帳面とも、神経質とも取れる言動をします。
ヘソ:そうですね。そうして忠という人物を描いていた頃、豊田利晃監督の映画を観に行った際に、出演していた渋川清彦さんが舞台挨拶でいらっしゃっていて。出口でお会いしたときに、かっこいいな、人の目の奥まで見る方だな、と思って、忠役は渋川さんにお願いしたいと思うようになりました。やっぱり、誰かのことを思い浮かべないと脚本上の人物描写の発展に限界があるんですよね。
えだまめがいて、忠が出てきて、でもその二人の物語を無理やり書いても反発しあって終わってしまう気がしたので、間に立つ人が必要で、さらという人物が生まれました。
ー主人公のさらが最後に生まれたというのは興味深いですね。
ヘソ:さらという役も、最初から松浦りょうさんをイメージして書いた、いわゆる 「当て書き」です。松浦さんには以前からずっと仲良くしていただいてたので、彼女が昔言っていたことなども思い出しながら書きました。えだまめも、映画に出演し始める前に出会っていた、山本奈衣瑠さんに当て書きです。
それから中尾有伽さん演じるツバサも、和田紗也加さん演じるティアラも、杏奈メロディーさん演じるハナも、ある程度人物像ができてからはイメージに合う人を探して当て書きして、出演していただけないか、と手紙を出しました。皆さんOKしていただけて、超ラッキーです……!
ー家というワンシチュエーションでの一晩の出来事が描かれていて、回想や説明台詞で明示するのではなく、動作や表情から感じ取れることの多いシーンもある作品だと思います。
ヘソ:そう言っていただけるのは嬉しいです。僕が普段つくっている広告の映像と、今回初めて撮った映画には共通点も多いですが、違いも多いと思います。広告の映像は、何を見せるかが全て、映っているものが全てというのが一般的だと思うんですよ。でも映画では、観ている人が間をつないで、描かれていないことまで想像できる作品が僕は好きだなと思います。『オン・ア・ボート』でもそういう作品を目指しました。
ーたしかに、描かれていないことを想像しながら観られるのは映画の醍醐味ですね。キャスト・スタッフの皆さんとは、どのようにコミュニケーションしましたか。
ヘソ:できるだけ先回りせず、「こういう意味だから」「こういうイメージで」と言いすぎないようにしました。もちろん聞かれたら応えたいのですが、一方的にコントロールしようとするのではなく、脚本を基に話し合って生まれる広がりを生かしたいと思っていました。
ー出自も国籍もさまざまなキャスト・スタッフの方々が集まって作品が完成したそうですね。より広がりのある現場だったのかと想像しますが、どのような雰囲気でしたか。
ヘソ:現場は和気藹々としていて、年齢やキャリアにかかわらずお互いに対するリスペクトがあって、こんなに嫌な人がいないことがあるんだ、と思うほどでした。渋川さんが年齢もキャリアも一番上の方だと思うのですが、どのセクションの人にも自然に話しかけていて、そうやって考えてくださったから現場の雰囲気がよかったのは大いにあると思います。
スタッフも、こういう作品だからこういう人に頼もうというより、コミュニケーションできることを大切にして、これまで広告の仕事をするなかで一緒にやってきた方や、プロデューサーの依田さんはじめ、信頼している方々に紹介していただいた方にお願いしました。たとえば撮影監督のダニエルとはもう6〜7年一緒に仕事をしていて、公私ともに、一緒に泣いたことも喧嘩したこともあります。
ー劇中で描かれていることや印象的なシーンについても伺っていけたらと思います。さらと忠という新婚夫婦と、そのお祝いに来たえだまめのやりとりから結婚について考えさせられますが、結婚をテーマに据えた理由や、そのアイデアの源流について教えてください。
ヘソ:アイデアの源流には、母の言葉があります。自分が子どものとき、母が「本当は美大に行きたかった。画家になりたかった」と言っていたんですよね。でも、うちの両親は同じ一般の大学で出会ったので、母が美大に進学していたら父とは出会わなかった。自分の存在がなかったかもしれないと思うと、母のその選択について考えさせられました。
僕が小さい頃、母は、河原にみんなで行ったときの家族の風景とか、そういった絵をよく描いていました。本当はもっと絵を究めたかったのかもしれないけれど、そうしなかった選択の結果として今ある風景をどんな気持ちで絵に描いていたのかな、と想像して、人生における選択にまつわる作品を撮りたいと思うようになりました。
それから、今は昔より結婚をすることが当たり前でなくなって、選択としての意味を帯びてきていると思います。僕自身結婚しているんですが、結婚しなくてもパートナーと生きていくことはできるとして、なぜ結婚したのか、と聞かれると答えに窮するところがあるんです。もちろん、後悔しているとかでは全くないのですが。
ーたしかに、結婚が選択になってきている一方で、個人の価値観や求めるパートナーシップは多様にもかかわらず結婚制度には変化が見られず、「こうすべき」という風潮が残っている側面もあると思います。劇中には、えだまめが今のさらの不自由さを指摘するように、「さらが仕事を辞めて、郊外の一軒家で夫の帰りを待つ妻になる結婚」と言うシーンがあります。対するさらの言葉も含めて、観客が結婚という選択について考える、示唆的なやりとりだと感じました。
ヘソ:この作品では、やっぱり選択のことを描きたくて、それぞれの「こっちを選んだらこうなった」が一晩に共存した状態をつくりたかったんです。えだまめが自分の主張をどれくらい言わずにはいられなかったかとか、さらだったらどれくらいストレートに話すだろうかとか、台詞の面ではそういうことを考えました。映像面では、できるだけ話しているほうは映さず、聞いているほうのリアクションを見せました。話している人がいたらそっちのほうを見たくなると思うので、映っていない、話しているほうの表情や心情を想像してもらえたらいいなと思いました。
ー結婚することで手に入れられる自由があると信じるさらと、それは自由ではない、あるいはもっと必要な自由がある、と考えるえだまめ、個人的にはどちらの気持ちにも共感できるところがありました。
ヘソ:僕の妻はイラストレーターで、 もともとシニカルな目線が人気の作家でした。でも本人も言っているんですが、出会って結婚してから、表現が和らいでいった。もちろん彼女は結婚後も自分の仕事で成功しているし、僕一人の力で彼女の人生を大きく変えることはないと思うんですけど……でもどうしても、もし出会っていなかったら、彼女はもっと違う形で成功していたかもしれない、と思ってしまうことがあります。
これは最近思ったことで台本を書いているときは全然思っていなかったのですが、そういう後ろめたさみたいなものは表れているかもしれないです。それが、観ていただいて共感できるっていうのと一致したのもあるかもしれない。
ーそのように内省的なのは、ヘソ監督のお人柄なのでしょうか。それとも、映画を撮ることが内省から始まるのでしょうか。
ヘソ:性格的には後ろ向きというか、なにに対しても上手くいかないんじゃないか、とかって考えてしまうところがあります。あとは、さっき話したような脚本を書いていく工程のなかで、内省的にならざるを得なかったのかもしれません。えだまめは自分の理想的な人物でしかないと気づいて、忠という人物を書いていこうと思ったときから内省的になりました。そのときから、こういう映画を撮りたいとかこういう物語が必要だとか、そういうことを一旦捨てて、あとは自分しかいない、というふうに思いました。
ーえだまめがピアノを弾き、さらが「私たちは自由だ」と歌うシーンもとても印象的でした。完全にはわかりあえなかったとしても、ひとつのボートでの記憶を共有していて、同じ歌を一緒に演奏することができる、という希望も感じましたが、この歌とシーンはどのようにつくっていったのでしょうか。
ヘソ:あのシーンは、自分でも何度観ても鳥肌が立つシーンになりました。歌詞は脚本の段階で書いていて、Kan Sanoさんにはピアノ一台で、さらとえだまめの二人で演奏できる曲、ということを伝えて、曲をつけていただきました。
山本奈衣瑠さんは現場で空き時間があればずっとピアノを弾いて、ホテルの部屋にもキーボードを持ち込んで、ずっと練習してくれました。松浦りょうさんは、あのシーンで真骨頂を見せてくれたというか、おそらく多くの人が持っている、普段押さえつけられているものまでが解放されていて、想像以上のシーンになったと思います。
そしてあのシーンの前向きな側面は、選択がその後を変えてしまうことはあっても、二人が共有している過去の記憶にはいつでもアクセスできるということですよね。
ー二人がボートで共有した過去の時間が見えてくるようなシーンでもあった一方で、今はそれぞれの自由が異なるものであることをいっそう感じる側面もありました。また、さらの自由を欲する気持ちの割り切れなさも感じました。
ヘソ:言われてみてたしかに、と思います。さらの感情としては、いろいろ欲しいっていうのもあるし、自分が欲しいものが自分ではわからないっていうのもあると思うんですよね。本当に欲しいものは言葉にならないというか、「今は全部自分のもの」と言うけれど、本当に欲しいものはそういうことじゃない気もするし。「自由だ」と歌うけど、本当に自由が欲しいのかとも思うし。
ークライマックスのシーンは特に、セリフがなく、言葉にできない複雑さが感じられました。
ヘソ:言葉にできることと実際の感覚にはズレがありますよね。でも人に伝えようと思うと言葉にしなきゃいけない。その点、クライマックスの忠とさらの行動は言葉じゃない。それはネガティブで、褒められたことじゃないんだけど、それでも二人で過ごして毎日をやっていこう、となるのは、結婚によってもたらされる一つの姿なのかもしれないと思います。
また、本来言葉にしないと伝わらないはずが、言葉で上手く伝えられなかった結果、言葉以外でアクションをしたことでなにかが伝わってしまう場合もあると思います。結婚とは、よくも悪くも言葉を超えたコミュニケーションや関係性の築き方が成立しやすい仕組みなのかもしれないとも思います。
自分と異なる価値観の人たちが自分の望まない形で自分の家にいる状況に耐えきれなくなった忠が起こした行動はエクストリームだと思うんですけど、意外とそういう情景を見たことがあるとか、うちはもっとひどかった、という感想もあって、言葉で伝わらなくて限界が来るのは現実でもあるんだと思います。
ー言葉で伝わりにくいこととしては、タイトルにもある「ボート」も象徴的です。
ヘソ:ボートは、言葉の不安定さや伝わらないこと、わかりあえなさの象徴ですね。人の思い出話とかって、断片的に聞いても全然わからないじゃないじゃないですか。友達同士が話している「あのときのあれがさ!」「ああ、超おもしろかったよね!」みたいな会話って、その場にいなかった人にとってはなにがおもしろかったのかわかりにくい。
さらとえだまめは同じ「ボート」でのことを共有しているけれど、その場にいなかった忠が「ボートって?」と聞いたり、えだまめのパートナーのツバサがさらのことを「ボートの人」と言ったりするとき、それぞれの言う「ボート」は違うものを指している可能性がありますよね。映画祭でこの作品を上映したときには観客の皆さんのなかで見方の幅があって、おもしろかったです。考えている設定はあるんですが、ボートがなんなのかは観た人に委ねたいと思っています。
ー『オン・ア・ボート』がヘソさんの初監督作品とのことですが、この映画を撮るまでの歩みも伺いたいです。
ヘソ:中学の終わりか高校の始めに早稲田松竹でヴィム・ヴェンダース監督の作品を観て、「映画ってすごい!」と感激しました。
それから本当はずっと映画を撮りたいという思いがあったのですが、一歩踏み出せず回り道をしていました。大学卒業後はまずテレビの制作会社に入ったのですが、労働環境がよくなかったのこともあり、やめることに。でも当時、社会人の常識も業界の常識もわかっていなかったので、ADとして参加していたお笑い番組で知り合った芸人さんやマネージャーさんに連絡先を聞いてたんです(笑)。それで芸人さんたちとのつながりがあったのと、「構成作家は名乗った日から構成作家だよ」と聞いたことがあったので、名刺だけつくって構成作家を名乗り始めました。
ー映像業界の仕事や書く仕事など、現在につながる仕事をされてきたんですね。
ヘソ:その後も、自分でライブハウスを回ってかっこいいバンドがいたら映像を撮って編集したり、映画の配給会社で、劇場公開せずパッケージ化されることになったインディーズ映画の予告編をつくったり。構成を書いてみたら脚本に繋がるかな、とか、配給宣伝に関わったら映画がビジネスとしてどう成立しているのかわかるかな、などと考えてやっていましたね。
その流れで今度は、映像美を追求できる世界というイメージのあった広告の制作会社に入りました。広告の制作会社は環境もクリーンで信頼できる人も多く、楽しく働いていたのですが、楽しいままで終わっていくような危機感があり、2019年末に退職して、フリーランスのCMディレクターになりました。
ーその後、念願の初監督作として、『オン・ア・ボート』の企画が始まったのはどのようなきっかけだったのでしょう。
ヘソ:フリーになってしばらくしてコロナが流行し始めて、このコロナ禍はずっと終わらないんじゃないかと世界の終わりみたいに感じたのがきっかけです。本当にやりたいことをやらないといけないと思って脚本を書き始め、世界中の企画や脚本のコンペはオンラインでやっていたので、翻訳して、応募して。
脚本を人に見せるのって恥ずかしいですし、やったことがないことをやってみるって恐怖じゃないですか。「全然違うよ」「これじゃ撮れないよ」なんて言われたらどうしよう、と思うこともありました。でも、結果的にこの『オン・ア・ボート』を撮影できるとなって、上映に漕ぎ着けて、やったー! って、とても嬉しいです。
プロフィール
『オン・ア・ボート』
2025年2月14日より、
シモキタ – エキマエ – シネマ『K2』にて公開
監督・脚本:ヘソ
出演:渋川清彦、松浦りょう、山本奈衣瑠、中尾有伽、和田紗也加、杏奈メロディー
撮影:Daniel Lazoff
編集:佐々木幸
音楽:Kan Sano
照明:嶋田陽介、新部貴之
美術:秋葉悦子
録音・ミックス:Edan Mason
衣装:渡辺慎也
ヘア・アンド・メイク:髙千沙都
カラリスト:亀井俊貴
エグゼクティブプロデューサー:林哲平
プロデューサー:依田純季
アートディレクター:白石卓也
宣伝美術:小田原愛美
クラウドファンディング協力:中根大輔
製作:LIFE LABEL Dolive
制作会社:株式会社ピラミッドフィルム
2024年 / 日本 / 32分 / 16:9 / カラー / ステレオ
配給:株式会社ピラミッドフィルム ©️2024 PYRAMID FILM INC.
作品情報
newsletter
me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。
me and you shop
me and youが発行している小さな本や、トートバッグやステッカーなどの小物を販売しています。
売上の一部は、パレスチナと能登半島地震の被災地に寄付します。
※寄付先は予告なく変更になる可能性がございますので、ご了承ください。