創作・論考
新たにエロティシズムについての映画が生まれるのならば、きっとここから、こんなふうに
2025/1/10
1974年、官能シーン満載にもかかわらず一般映画として公開された『エマニエル夫人』。大人から女子高生までが劇場に押し寄せ、大ヒットを記録したといいます。そんな『エマニエル夫人』と原作を同じくしながらも、より主人公の「エマニュエル」を性の対象ではなくストーリーの主題として捉え直し、現代におけるエロティシズムとは何かを探究したのが、オードレイ・ディヴァン監督による新生『エマニュエル』です。
観られる対象としての振る舞いを余儀なくされてきた者が失った欲望や快楽が、解放されていく過程を丁寧に描いた本作。元セクシー女優として「観られる」生/性を生きながら、映画監督として「観る」ことにも向き合っている文筆家・映画監督・元セクシー女優の戸田真琴さんに言葉を綴っていただきました。
とあるクラブでは大小さまざまなダイヤモンドが並べられ、女性たちは”飲み込んだ分だけ”そのダイヤを自分のものにできるという。
映画『エマニュエル』で、主人公のエマニュエルが耳にした話だ。
初めて聞いたのに何度もそれをなぞったことがあるような気がする、この実話なのか比喩なのかわからないフレーズに、私は強く惹かれた。ダイヤモンドは大きければ大きいほど飲み下すのに危険が伴う。だけれど、うまく受け入れることができたなら利はある。女にとって、セックスが何度このダイヤモンドの置き換えになってきただろうか、と考える。
この映画は鋭い暗喩に満ちたソリッドな、しかし繊細な映画だ。これまで観てきた数々の映画の性描写に実感との乖離を感じてきた人々でさえも、観ているうちに思わぬ部位を撫でられて徐々に感性をひらいてしまうかもしれないような、ささやかな魔法に満ちている。
若妻が奔放な性体験によって開花していく“おしゃれなエロ”映画として一斉を風靡した『エマニエル夫人』(1974)と原作を同じくし、しかし大胆な翻案で生まれ変わった『エマニュエル』は、主人公エマニュエルの主観への服従と、映画をつらぬく快楽というテーマを徹底して追求することで、観たことのない官能映画に仕上がっていた。
舞台は香港のラグジュアリーなホテル。エマニュエルの仕事は、利用者の立ち位置からサービスを体験し、ホテルの品質管理を行うエージェントである。この映画の殆どのシーンが描かれているホテルは、利用者にとって“都合の良い”美しさ、清潔さ、洗練さ、便利さを一定のクオリティで提供し続ける永久機関だ。きれいで、豊かなのに、“それ以上”がない空間。提供しているサービスはどれも“利用者が求めているor求めるであろう”ものの範囲から出ず、それらをいかに滞りなく提供できるか、によって評価が下される。
エマニュエルは減点するべきポイントを探し、それが見つからない場合は最高評価で上に報告をする。ホテルにとっての“求められる姿“は、“指摘する箇所のない姿”とごく近い。
エマニュエルが調査しているホテルは表向き完璧なサービスを提供しつづけているが、その裏では改修工事を行っている。営業に一切の影響がないように減音され、見えないように隠された工事現場は、求められる姿以外を見せないようにと圧力をかけられ続け、いざそれが見えると非難される、という経験をしたことのある人には思うところがあるだろう。
映画では、このホテルの状態が、高度な暗喩として機能している。
淡々と仕事をこなすと同時に、求められるがままに性を差し出すエマニュエルだが、それらのシーンでの彼女のまなざしは退屈と無感情のムードを宿し、彼女自身の悦びを表すに至らない。淡々としたピストン運動に動かされ上下する身体は、精神や眼差しと離れたところで絶頂らしきものを通過するが、そこで訪れる絶頂は本当に女にとってのオルガズムと呼ぶに値するものなのだろうか? と、だれもが疑問に思うだろう。あの眼差しに既視感があり、私はいくつかの映画を思い出す。シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』やニナ・メンケスの『マグダレーナ・ヴィラガ』。男のオルガズムに向かうために適切な速度で繰り返される運動と、その最中、女におとずれる身体と精神の乖離を。
永遠に客を失望させない姿であるよう求められ、強い個性は嫌厭され、能動的なサービスのようなものを求められるがそれは“ほんとうに”能動からくるものであってはならない、そんな高級ホテルのような窮屈さをベーシックとして求められ、そこから外れれば性的利用価値がないと糾弾されたり存在を無視される。女にとっての人生がこのようであることを、わたしたちはすでに知っているし、認めている。
この世界に新たにエロティシズムについての映画が生まれるのならば、きっとここから、こんなふうに咲くのがいいだろう。『エマニュエル』は映画の半ばから、徐々に蕾を震わせていく。諦めに満ちたわたしたちを、そっと導くように。
自らの欲望を見失ったエマニュエルがふたたびそれを手繰り寄せるための物語は、二人のキーパーソンによって進展する。
ひとりは、ホテルのミステリアスな常連客の男性・ケイ・シノハラ。稀有な色気を放つが、掴みどころがなく、エマニュエルにすべてを明け渡さないまま深みへと導く不思議な案内人である。本人のセクシュアリティについては明言されないが、様々な解釈ができる奥行きのある魅力的な人物だ。
シノハラとエマニュエルの会話は示唆に富み、言葉のやり取りでカウンセリングをし合うような凄みさえある。
そして、この映画の白眉ともいうべきもう一人のキーパーソンが、プールの利用客として登場する“英文学の学生”であるというゼルダ。彼女はホテル内で客を誘惑し売春をしており、そのことをエマニュエルに指摘されても悪びれず、自らの悦びを伝授するかたちであらたにエマニュエルを誘惑してみせる。ゼルダは自然体で、理知的で、無防備で、しなやかな女として描かれる。からだを持っている者の悦びを屈託なく享受し、その方法を眼の前の人間になめらかに明け渡す。
彼女の在り方がエマニュエルの解放を促すように魅力的に描かれるパートから、映画はそっと探るように観る者の感性を愛撫しはじめる。
この映画のインティマシーシーンの多くは、自慰行為を中心に費やされる。“観られるもの”としての振る舞いが板についた女たちが、みずからの身体を改めてあたらしく見つめ、探り、確かめていく様を男女の性行為よりもじっくりと官能的に描くことが、この映画のエロティシズム哲学を物語っている。それは、女と、受動的な役割を演じさせられ続けてきたすべての者に贈られる官能映画としての正しさを、シーン自体の輝きによって証明するだろう。
物語は、守られた空間を飛び出し、危険と魅惑に満ちた裏路地へと展開していく。
語るべきことはシンプルだ。久しく意識すらしてこなかった、生々しい“怖れ”をあらためて甘受すること。怖れは足を止める理由にもなるが、それこそが足を進める理由にもなるのだという理屈は、何かを勝ち取ることよりも失うことのほうがずっと怖いと思い込んできた我々にとって、簡単に飲み込めるものでもないだろう。
しかし、編集の独特なリズムと感覚世界をなぞるような劇伴、なにより微細な変化で鑑賞者の目線を奪い続けやがて体内に取り込んでしまうエマニュエル役のノエミの演技に導かれるままになり、私はいつからか主観を一時的に明け渡し、エマニュエルの身体に乗り移ったかのように揺られていた。彼女の中に入ったならば、もうその身体が不安を凌駕する期待にちいさく震えていることさえわかってしまう。
“怖れ”を、甘美な人生の褒美とする。その甘い香りを嗅いだら最後、誘われるようにエマニュエルは走り出す。どうか、あなたの身体越しに、忘れてしまった快楽をまた見つけ出して、と欲望し始めたわたしたちをのせて。
映画が丁寧に愛撫を重ね、あのささやかな吐息にたどり着いたことを、わたしは一人の女として祝福せざるを得ない。あれは、自身の欲望の在処も、撫で方さえも忘れてきた人々へと贈られる、懐かしく新しいオルガズムなのだ。
戸田真琴
文筆家・映画監督・元セクシー女優。
「いちばんさみしい人の味方をする」を理念に活動中。著書に「あなたの孤独は美しい」(竹書房)「そっちにいかないで」(太田出版)等、監督作に映画「永遠が通り過ぎていく」がある。小学館『GOAT』『STORY BOX』にて「かつて私のものだった男の子たち」を連載中。
プロフィール
『エマニュエル』
2025年1月10日(金)TOHO シネマズ 日比谷他全国公開
監督:オードレイ・ディヴァン
原案:エマニエル・アルサン著『エマニエル夫人』
出演:ノエミ・メルラン、ウィル・シャープ、ジェイミー・キャンベル・バウアー、チャチャ・ホアン、アンソニー・ウォン、ナオミ・ワッツ他
配給:ギャガ
R15+
映画情報
関連記事
本当に孤独な魂は、長い歴史の上、ばらばらと散らばっている
2022/09/20
2022/09/20
「いじわるで、嘘つきで、暴力的」な主人公・カナと周囲の人々との関係性
2024/10/18
2024/10/18
創作・論考
社会批判がユーモアを持って鮮やかに読み取れるロルヴァケル作品の魅力
2024/07/29
2024/07/29
忙しい日々を生きる人々の本能が目覚め、小さな革命が起きる映画
2024/09/21
2024/09/21
20歳で撮った初の長編『地獄のSE』。大きな力に奪われないために
2024/11/16
2024/11/16
創作・論考
余命幾許もない父トナの最後の誕生日パーティーの準備をする家族の1日
2024/08/28
2024/08/28
newsletter
me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。
me and you shop
me and youが発行している小さな本や、トートバッグやステッカーなどの小物を販売しています。
売上の一部は、パレスチナと能登半島地震の被災地に寄付します。
※寄付先は予告なく変更になる可能性がございますので、ご了承ください。