20歳で撮った初の長編『地獄のSE』。大きな力に奪われないために
2024/11/16
川上さわさんが20歳のときに撮った映画『地獄のSE』。ざらついた映像、詩を彷彿させる言葉、鮮烈なアニメーションと音楽、「狂い」の雰囲気が解き放たれた町で、恋をしたり愛をしなかったりする中学生たち、さまざまな模様で繰り返し描かれる死、不穏に包まれていながら、青春を感じるやりとり。絶妙なバランスで成立しているこの作品が上映に至るまで、川上さわさんはどのように思考し、生きてきたのでしょうか。遡ると、講談社が主催する、新しい時代をサバイブする多様な女性のためのコンテスト『ミスiD2021』では、参加者の一人としてたしかさと危うさが共存した不思議な魅力でその存在を光らせていた川上さわさん。当時、地元・岡山にいたさわさんが映画に巡り会うまで、上京してから、劇映画の衝撃と日記映画のケア性に出会うまで、そして、『地獄のSE』ができるまでの話を聞きました。
ーさわさんが上京する前、地元・岡山で暮らしていた頃の話から伺いたいです。どんな10代でしたか?
川上:岡山にいた頃はずっと音楽をやっていました。小学4年生からマリンバを習い始めて、中学高校も吹奏楽部に入っていたので、その頃は音楽を続けると思っていましたね。でも実力面や金銭面で挫折して、部活が厳し過ぎて精神的につらくなったのもあって、音楽以外の逃げ場を探すなかで詩を書くようになりました。その後、高校3年生のときに映像作家で詩人のジョナス・メカスを知って好きになって、映画とはなにか学びたいという思いから立教大学の映像身体学科に進学しました。
ただ、当時ジョナス・メカス作品は詩の延長として観ていたので、劇映画といえばTSUTAYAで借りたホラーしか観ていなかったんです。岡山にあるミニシアターも好きなんですけど、家からすごく遠くて年に1回行くくらいだったので、全然映画を観ていない10代でした。でも、自分にしっくりくる表現を探していたところで映画に巡り会えてよかったと思います。
ー映画の方面に進路の舵をきった高校3年生のときは、講談社主催のコンテスト『ミスiD』にも参加されていました。
川上:『ミスiD』に出ていなかったら、多分本当に何もできていなかったと思います。『ミスiD』に参加して、世界って意外と広いなと思ったというか……それまでは自分のなかにあまり他者への意識がなくて岡山で独りだと思っていたけれど、クラスで浮いていた自分が『ミスiD』では浮かなかったし、自意識が爆発していても普通のこととして扱ってもらえてありがたかったです。
最終面接の最後に「これから何をしたいですか」と聞かれたのに対して、「ホラー映画を撮りたいです」と言って、そう言うと決めていたわけじゃなかったので、終わった後に「自分は映画が撮りたいんだ」と気づくきっかけにもなりました。
それからアメイジングミスiDという賞に選ばれて、その年の審査員だったSPOTTED PRODUCTIONSの直井さんや映画監督の今泉力哉さん、戸田真琴さんとはその後お仕事をさせてもらっています。審査員長の小林司さんにも、ずっと相談に乗ってもらっていますね。
ーさわさんの監督1作目『散文、ただしルール』にも、2作目の『地獄のSE』にも、キャスト・スタッフに『ミスiD』に参加していた方々が名を連ねています。
川上:2作品とも出演してもらった瞳水ひまりは同い歳で、同じアメイジングミスiD2021という賞をもらって、地元も、上京のタイミングも近くて、ずっと仲がいいです。『ミスiD』の卒業式が終わってすぐに話しかけて、一緒に今泉さんの映画を観に行ってからの付き合いです。
『地獄のSE』の主演の綴由良も同じ賞でずっと仲がいいですね。でも、ただ単に『ミスiD』に参加していた人たちを集めて映画を撮ったと言うよりは、自分にとってすごく大切なコミュニティだからこそ一緒に映画を撮りたいと強く思う人が多くて、作品に合う人たちを選んで声をかけました。同世代の女の子たちが多いので、一緒にがんばっていきたいと思っています。まだまだ映画界には女性が少ないし、わたしもみんなも頼れる人が少ないから、お互いに助け合っていこうという気持ちです。
あとは、『ミスiD』の友人にはお互いを肯定し合うコミュニケーションをする人が多いので、現場でそういう雰囲気を大切にしたかったというのもあります。前に小林さんが「『ミスiD』はムーミン谷みたいだといい」と言っていて。一人ひとり違って好き勝手やってるけど助け合って共生するみたいな。それを聞いて、私が現場でやりたいこともそうかも、と思いました。
ーその後、上京してすぐポレポレ東中野で山中瑶子監督の作品『あみこ』を観たそうですね。
川上:岡山にいたとき、山中瑶子さんが20歳で『あみこ』という映画を撮ってどうやらすごいことになっているらしい、と知って憧れていました。当時は若いうちになにかしなきゃと思っていて、若くして作品が評価されている人に強い憧れがあったんです。それで上京後すぐポレポレ東中野に『あみこ』を観に行ったら、「わたしも映画を撮らなきゃ!」という気持ちになりました。焦りというより、それまで観ていた映画と文法が違ってわくわくしたというか。
それまで劇映画はストーリーを中心に観ていたのですが、どんなショットがあるかとか、どうやってカットをつないでいるかとか、画面を観る初めての経験になったのが、『あみこ』でした。あんなに自由な劇映画は初めてで原体験になりましたし、あんな高校生が映画になっているのを観るのも初めてで、自分や自分の周りの子たちを映画にしてくれたみたいに感じて嬉しかったです。
ーさわさんは日記映画を制作したり日記映画の上映会を企画したりもされていますが、日記映画との出会いはどのようなものだったのでしょう。
川上:大学1年のときは劇映画の衝撃が大きかったんですけど、その後日記映画に興味を持ったのは2年で中村佑子先生のシネエッセイの授業を選択したのがきっかけです。人生が変わったと言えるくらい素晴らしい授業で、「自分を語ることとは」「私性とは」といったテーマについて学んだというか、引き出してもらいました。
講義の後にオープンダイアローグの形式で話を聞き合う時間があったり、いつでも佑子先生に相談をしてよくて、いつも長文で丁寧にアドバイスをくれたりしたことを含めて、すごくいい授業で今の映画づくりにもつながっていると思います。
佑子先生の授業を受けているタイミングでケアの倫理の概念を知ったり、「ケアの倫理と魔法少女」をテーマに研究をされていた三園彩華さんの修論発表会に聞き役として参加したり、野村健太さんの日記映画を観たりするなかで、日記映画にあるケア性をどんどん実感するようになりました。
それから、佑子先生の授業で日記っぽいシネエッセイを制作していた同級生が何人かいたこともあり、「この時代に日記映画のムーブメントがあったことを誰かが言っておかないと」と思って、烏滸がましいけれど自分が、上映会を企画したりクマ財団の展示で複数人が同じ日に撮った日記映画をまとめて作品を発表したりしました。
ー日記映画のケア性について、さわさんが感じたことをもっと知りたいです。
川上:わたしは喋ったり書いたりするのが苦手というか、上手くできないと思っているところがあるんですけど、日記映画やシネエッセイを撮って、映像という新しい言語を獲得できたように感じました。映像のほうが雄弁に語る場面があるから、文字より映像のほうが日記を残しやすい人もいるんじゃないかなと思います。
あとは日記っていろんなことが無茶苦茶でよくて、客観性がいらなくて、自分を主語にして感じたことが守られる、あまりない空間だと思います。そういう空間で表現をするのはセルフケアにつながるとも思いますね。
それと、日記映画を撮っていると、手の震えとか、腕の可動域とか、カメラを持つ身体が関わってくるので、自分が自分であることがわかって安心します。同じように、他人が他人であることもよくわかります。そうやって一人ひとりが生きていることをわたしたちはもっとわかるべきであるというか……。
ー「一人ひとりが生きていること」を感じられる表現はすごく大切ですね。その反面、自分の身体から目を逸らせないのはもしかしたらつらいときもあるかもしれないと思ったのですが、さわさんはいかがでしたか?
川上:佑子先生の授業を受けてつくった日記映画がシアターコモンズで展示されていた時期、東京にいると地に足がつかないと感じて、それがしんどい時期だったんです。でも、自分がどこにいるのかわからないときに、自分が撮った日記映画を通して身体がちゃんとここにあることや心と脳と身体がつながっていることを実感できて、安心できました。
ー10月26日からポレポレ東中野で公開されているさわさんの監督作『地獄のSE』についても伺っていきたいです。まず、ストーリーはどのようにつくっていったのでしょうか。
川上:『地獄のSE』でスチールとSNSを担当している写真家の兒崎七海が大学に入学したときから仲のいい友人なんですけど、兒崎が学ランを着て、わたしがセーラー服を着て、二人でやっていた「こざきくん」というラブコメコントが『地獄のSE』の原案です。そのコントから派生して、高円寺の七つ森という喫茶店で「こういうこざきくんがいたら好きだな」「こういうこざきくんもいるかもしれない」とか嘘の恋バナをして……(笑)。そこから生まれたのが天野モモという『地獄のSE』の主人公です。
あと、高校時代に後輩に「あなたがもし映画を撮るなら、生理の映画を撮れ」と言われていたので、生理の要素を取り入れたことで、天野が恋をする、月経性愛者の早坂にに子が生まれました。
ー始まりはコントだったんですね! 言われてみれば、その名残がある気もします。
川上:「こざきくん」のコントはワタナベエンターテインメントのコンペに出したこともありました(笑)。『地獄のSE』は『カナザワ映画祭』のスカラシップ作品なので、映画が撮れると決まってから脚本を書き始めて、人物が見えてきてからは当て書きで進めました。島倉いづみ役の瞳水ひまりさんと保健室の先生役の橋村いつかさんは最初から当て書きです。
ー今作で初めて演技をしたというキャストの方もいたそうですね。
川上:演技経験があるかどうかは気にしていなかったです。訓練によって制御された身体とそうでない身体、どちらにもよさがあると思うんですよね。演技経験がある方はカメラを通して見られることをわかっているというか、カメラ越しのフレーミングされた身体を意識されていて制御が効いているので、演出もそのコントロールの力に働きかける方向になって、具体的な身体の動きや発話の仕方について伝えるようになります。
一方、演技経験のない方は、ただそこにいてくれるありがたさがあるというか、映ることを意識していない身体があるので、こちらの都合で「はみ出るからこっち寄ってください」と伝えるくらいだったらカメラを動かそう、と、伝えた通りに身体をコントロールしてもらうような制御方向でない演出になります。でも、演技経験のある方もない方も、表現力や脚本の読み込み方、お芝居の提案に差はないと思いますね。
ー演出は各キャストに合わせた方法で、主に現場で伝えるんですね。動作や感情、状況の指定や説明をする台本の記述「ト書き」が少ないとも伺いました。
川上:やばいくらいト書きがないんですよ! 台本に書いてあるのはほとんど場面とセリフだけなので、撮影前に助監督に呼び出されてファミレスで打ち合わせをしました。「こんなにト書きのない映画は見たことがない」と言われましたね(笑)。絵コンテもなくて、どんなカットを撮るかを文字で説明するための字コンテは共有したんですが、それも説明がなさすぎてひどくて……。「カット①役名②役名」みたいな、カットの順番と映る人の役名だけが書かれた、だからなんなのかわからない字コンテがあります(笑)。でも撮影のアガツマさんも現場ですぐ対応してくれてありがたかったです。
ーアガツマさんの撮影も素晴らしかったですし、他にもアニメーションにぽに青さん、音楽にhonninmanさんと、個性豊かな作家が参加しています。
川上:ぽに青ちゃんは、『ミスiD2022』に参加しているのをずっとチェックしていて、一度一緒にサンリオピューロランドに行って、完全に惚れ込みました。バイトして貯めたお金で借りたアパートで描いたというでっかい絵が賞を獲って六本木で飾られていたこともあって、なんてかっこいいんだ! と思いましたね。会うと気さくでキュートで、ピューロランドに行ったときに見せてもらった漫画もすごくて感動して、アニメーションもつくっていると聞いていたので今回お願いしました。
honninmanさんも大好きで! honninmanさんが音楽を担当していた『ミニミニポッケの大きな庭で』という短編映画を観て音楽がすごくいいなと思って、連絡してお願いできることになりました。音楽がどういう意味を持つのかとか、この音はこのイメージで、とか、いろいろ話してくれて、時間をかけて進めました。
ーさわさんの文章を読んだりさわさんと話したりすると、他者との関わり方に繊細な感覚を持っていて、他者と関わる自己を注意深く見ているように感じます。『地獄のSE』では、好意の暴力性がテーマの一つになっているのではないかと感じましたが、他者との関わりや好意の暴力性についてどうお考えですか?
川上:大学3年生くらいから、それまであった希死念慮がなくなってきたんですよね。自分が人と出会って関わって、影響をさせている時点で、自分一人の存在ではない気がして、死ねないなと思うようになって……友好関係にある人たちがいる時点で、今わたしが死んだらその人たちは悲しむし、つらかろうな、と。以前はわたしがいなくなってもつらい人なんていないだろうと思っていたんですけど、つらい人がいないことよりつらい人がいることのほうがわたしにとってはしんどくて、そのしんどさから逃げてはいけないと考えるようになりました。
あとは、わたしは感情が大きくて、意外と人生を結構がんばるタイプなんですけど、それらを他人に押し付けるのはよくないと思いますし、他人の前で発揮しすぎるとだめかも、暴力になるかも、とも思います。「めっちゃ好き」とか、「めっちゃ友達だと思ってる」とか、そういう好意のことも、みんな思っていても言わなかったり、抑えてたりするじゃないですか。『地獄のSE』をつくっていた大学2年のとき、そういうことをよく考えていました。
ー人と関わるなかで、よくも悪くも自分が誰かに影響することは避けて通れない、と自覚して振る舞いも変化したということでしょうか。
川上:そうですね。でも、同時に自分の制御できなさも愛していて。どっちかっていうと制御できない人が好きだし、制御できない映画も好きだし。あとはもちろん関係性によると思うから、ずっと考え続けて、ずっとマジになってないとだめだな、と思います。感情を出さないでい続けるのも違うし、出し続けるのも違うから。自分の他人への影響力や加害性のなかで想像できるものもあればどうしてもできないものもあるけれど、人と知り合った以上、想像し続けなきゃいけないと思います。
あと、わたしは恋愛と友情の違いがないかもしれなくて。『地獄のSE』でも最初は恋と愛のことを書いているつもりでいたけど、恋とか愛とかの前に、すべて人間関係でもあるし……。わたしは友人に対しても恋と愛があって、そこにロマンチックな感情が生まれると恋愛になるかもしれないんですけど、そうであっても恋愛も人と人との関係性のことだから、浮かれないで誠実にやろうみたいな気持ちが自戒としてあります。
ーそういった考え方をベースに、『地獄のSE』では、型にはめないやり方で人間関係や恋や愛を描いていると思います。女の子たちが学ランを着て演じている、という見方もできる作品ですが、その表象についてはどのようなことを考えていましたか?
川上:まずわたしは今回、俳優さんたちの性別を確認していないんです。役の性別も決めたようで決めていなくて、それはこちらが断定するものなのか? という疑問も持っています。でも学ランを着ている役柄の人たちがパッと見たときに男装に見えるのはわかっていて、そう言われることは想定内なのですが、自分たちで男装と言うのはやめようね、と話しています。
前に、大学のゼミの先生である劇作家・演出家の松田正隆さんが「役を与えることは元の属性に新たな属性を付与すること」と言っていたのが自分のなかで残っているのもあるかもしれません。演劇の場合は、映画よりそういうキャスティング方法がよく使われていると思います。たとえば、シス女性と公言している俳優さんが、劇中でシス男性と明言されている役を演じるとか、役柄として誰かが新たな属性を付与されていることに対して観客があんまり違和感を抱かないじゃないですか。
ー演劇だと、食事のシーンで実際には食べ物がなくても、誰も「食べてないじゃないか」と指摘しない、というのも近い話かもしれません。観客それぞれがイメージで補いながら観るのが前提になっているから、俳優本人の性別と役柄の性別が異なるキャスティングが映画より多いのでしょうか。
川上:そうですね。他にも、わたしが一回観た演劇では、左乳首の役を演じる人が出てきました。人間の形で出てきたんですが、左乳首ですって言われたら、あ、そうなんだ、って納得できたんです。そして、そのキャスティングが自由でいいなと思いました。左乳首の役だから左乳首に似てる人を探そう、じゃなくて、その役を託したい人、その役を演じられる人を探そうって。『地獄のSE』でも、役柄の魂と近い俳優さんをキャスティングをした結果、新たな属性を付与する側面が出てきたと思っています。
あとは、シス女性の役をシス女性が演じているなかにも、その人物を目にするわたしたちがその人物の言動のなかにちらっと別の属性を感じる可能性があって、そういう揺らぎって日常でもあると思います。なので、違う属性のイメージを付与しているように見えるかもしれないけれど、違う属性と言い切ることもできない、と捉えています。
ー性別や性表現をいたずらに入れ替えるような意図は一切なく、ただ、人物像先行でキャスティングしたところ、結果的に現在の表現になったということですね。また性別や性表現には揺らぎがあって、他者が規定したり、断定したりするものでもない、という。
作中では死や暴力についても多く描かれていますが、フィクションであることを明示しながら、説明的でない、詩的な言葉とともに描いているのが特徴的だと感じました。
川上:死とか絶望とか、捉えるのが難しくて上手く処理できないものを、フィクションとポエジーの力でどうにか乗り越えてやろう! という気持ちがありました。
暴力に関しては、今いろんなところで暴力があるなかで、自暴自棄になって全てを破壊しようとするような暴力ではなにも変わらないし誰も救われないということをまず伝えたいですね。わかりにくいかもしれないんですけど、でかめの力が個人を自死や他害に向かわせるなかで、自分の言葉や友達と遊ぶ時間を奪われるとその力に負けてしまうということや、恋だったりカラオケだったり映画だったりが結果的にあらゆる死や暴力を遠ざけるということをこの作品では描いているんです。でかめの力というのは、現実でいうと権力とか。
セリフは自分では普通に書いたつもりなんですが、みんなに見せたら「詩だね」「セリフがおもしろいね」と言われました。漫画家のいがらしみきおさんには、「登場人物が変な喋り方をしているから最近の若い人はみんなこういう喋り方なのかと思ったら川上さんだけなんですね」と言われました(笑)。
ー奇を衒ってるわけじゃなくて本当の言葉なんだけど、めっちゃ詩、というのは興味深いですね。
川上:大学1年のときに読んだロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』に「セリフでなーんも説明すんな!」「画でできること画でやれ!」といったことが書いてあったのもずっと頭の中にあります。
ーたしかに、説明と詩って割と遠くのところにあるから、説明を省くと自ずと詩が残るのかもしれないです。
川上:そうかもしれないです。あとは複雑なものと対峙すると詩にならざるをえないというか、説明ではなにも喋れないという側面もあると思います。でも、撮影を終えて素材を見たときに、わかりにくいなりにテーマや人物の感情にわかる部分がないと露悪的になるな、と思ったので、「露悪になるのはやだよ〜〜〜」と思いながら編集しました。
ーいよいよ劇場公開がされていますが、振り返るといかがでしたか?
川上:まだ嘘みたいですね。ポレポレで? 初日満席? と信じられない気持ちです。自主配給で始まったので、ポレポレ東中野の小原さんにメールをしたのが最初で、そこからいろんな人と協力しながら、予告編やパンフレットをつくったり、グッズの発注をしたり。宣伝も、「こういうSNS運用はやだね」とか「こういうキャッチコピーがいいよね」とか考えながら。初めてで大変なこともありましたが、監督がここまでできることはないと思いますし、とても楽しかったです。
客層もまだわからないんですが、おもしろい映画だとは思うから、いろんな感想が聞きたいですね。わたしたちの感覚がずれているのか、ちょうど最近も作品のスタッフたちと「全然わかりにくくないよね? 変でもないよね?」と話していたんですが、わかりにくいとか変だという感想もあるとは思います。
ー表現の自由さやオルタナティブに感じる作風がそういった感想につながるのかもしれません。
川上:ハリウッド映画や日本のシネコンでかかるような映画の理論についてももちろん学んできたのですが、それ以外にもさまざまな映画があると知ることができて、自分に合う方法で、映画をつくれてよかったです。山中瑶子さんや中村佑子先生、ゼミの先生である松田正隆さんといった、自分が信じられる先人たちに出会えたこともあり、自由にできているかもしれません。先人たちには本当に勇気をもらっています。
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