Eid Mubarak!!(イードおめでとう!)
コロナ禍にマラウイから日本に帰国して以来、中学教員をやって、担任をやりながらレギュラーのラジオ番組が始まって、忙しく毎日を過ごしてきた。
朝の3時(もはや夜中)に起きて、4時に六本木ヒルズのスタジオに着いて、打ち合わせ、5時から6時の生放送、そのあと急いで乃木坂の駅に向かい、6時36分の千代田線に乗り鶴川駅へ。中学校に到着したらコンビニで買った朝ごはんを食べて授業の準備をする。8時35分から朝礼で、その後1日は目まぐるしく授業やいろんなことですぎてゆき、途端に夜だ。へとへとになりながら家まで帰って、バタンキュー。また朝3時に起きる。
こんな暮らしを1年半続けていた。とても忙しくていつも眠くて疲れているけれど、毎日ラジオでは文化人類学的な話、マラウイの村やチェワ語の話をしたり、取材に行ったりと、一から作り上げる楽しさがあった。そして学校では生徒たちと日々学びを深め、より面白い授業を作るために研究を重ねたりと、体はゾンビのようだが、ものすごく生きている感じがした。魂を燃料に毎日燃えて、燃え尽きる前にまた火が大きくなった。
でも、この4月から、生活に余白ができた。ラジオのナビゲーターを担当するのが午後のワイド番組になり、教員の任期を終えたのだ。常にゴングがなってタイムトライアルで過ごしていたような、闘いのようなあの日々とは打って変わって、朝7時に起きても大丈夫な日々になった。
あんなに望んでいたきちんと眠れる人間らしい毎日……。だけど、余白があるということで、これまでのような魂を薪にして火にくべたエネルギーで動く動力ではなく、エコカーで静かにウィーンと動く毎日になった感じもする。エコなのもいいけど、ゾンビになりながらも一分一秒を争い魂を燃やすあの感覚が少し恋しい。
そして、新たな生活が始まり、これまでになかった揺らぎを感じた。
「あなたらしくやればいいんだよ」「いや、新しいあなたを見たい」「あなたってこうだと思うんだよね」「いや、あなたらしいのはこうじゃないでしょ」
みんなのいう「あなた」と、ここにいま存在する「私」。みんなが思い描く「あなた」像が少しずつ違って、嬉しさとともに、「私」が揺らぐ感覚。
今日4月11日、朝起きると友人たちのSNSは「イードおめでとう!」という言葉で溢れていた。トルコの友達、インドの家族。イードは、イスラム教の祝祭だ。それぞれの祝祭が世界にはあるのだ。その祝祭の様子を見たら、なんだかお祭り感が伝染してきて嬉しくなって、番組で、この話をした。やっぱり、文化と人間の話をするのは楽しいし、なんだか「私」を感じた。そしたら、肺に空気が入ってきた感じがした。空気が入ったら、少し燃えた。久々の、魂を燃やして動いてる感覚。生きてる感じがする。そういえば、マラウイの村では毎日火おこしをしていたけど、きちんと空気を送り込まないとうまく燃えないんだった。これからもきちんと空気を送り込んで、魂を燃やしていこう。
今日は祝祭だ!