この日わたしは前橋のIKEAに来ていた。
コロナが流行する以前は東京に住んでいたが、ライブが軒並み中止になり外出する仕事もほとんど無くなったのを機に、わたしは群馬県高崎市へと引っ越した。それが2021年3月のことだ。駅周辺にはなんでもあるし、チェーン店ではない飲食店や本屋が割とあるのもいい(余談だがREBEL BOOKSという本屋が家の近くにあり、とても素晴らしい本屋なので高崎にお越しの際はぜひ行ってみてほしい)。車で10分くらいで畑と山と川しかないような場所へ行くこともできる。ご近所さんも優しいしこのままずっとここに住んでいてもいいなと漠然と考えていたが、昨年の度重なる海外ツアー(数えてないが多分100日近く家にいなかったと思う)の影響がわたしの考えを変えた。「居ない家の家賃、マジで払いたくね〜」と思ったのである。しかし普段は家から出ずに曲を作っている自分にとっては、家自体を無くすというのも現実的な選択肢ではない。そこで、どうせ家賃を払い続けなければならないのであれば家を買ってしまったほうが良いのではないかと考え、条件に合う家を探すことにした。半年ほど検討を重ねて住む家を決めた後は、とにかく引っ越しの準備に追われた。この日は、新居の家具や食器類を揃えるためにIKEAを訪れたという訳である。
わたしは取り立てて食器や家具にこだわりのあるタイプではないのだが、明らかに嫌いな色や形というものがある。それらを避けて予算を考えながら一つ一つのアイテムを吟味して全体として調和が取れた状態にすることは、大変な労力と時間を要する作業だ。暮らしていくには必要不可欠な労力なのに、わたしはそういった類の作業をとんでもなく苦痛に感じてしまう(そのくせまったくこだわらないということもできない!)。そこで、あらかたのものをIKEAで揃えてしまうことにした。割合どんな種類の家具も食器も調理器具もあり、シンプルなデザインが多いので全体的に調和を損なうことはないだろうという点と、多くの品物が自分の嫌いなデザインでないという点、そして価格の手頃さという点で、ほとんど選択肢がなかったとも言える。
さて、この「まったくこだわらないということもできない」せいでIKEAを選ばなければならなかったことにわたしは罪悪感を抱いていた。なぜなら、IKEAという企業がBDS運動の対象だからである。BDSとは、ボイコット、投資撤退、制裁の英単語の頭文字をとったもので、パレスチナ人への不当な虐殺や支配、抑圧を止めるようイスラエルに対して経済制裁を求める世界的な運動のことだ。一例を挙げると、ソーダストリームやプーマなどが消費者ボイコットの対象として、スターバックスやマクドナルドなどが草の根的に起こってきた市民運動ボイコットの対象として挙げられている。各企業がボイコット対象になっているのにはさまざまな理由があるが、IKEAはイスラエルに店舗を持っており、そこから入植地(イスラエルがパレスチナ人を不当に追い出したり殺したりして自国の土地として国民に住まわせている土地)への商品の配送が行われていることが要因のようである。
2023年10月7日にハマスがイスラエルに対して攻撃を行ったことによって皮肉にも、わたしはイスラエルという国家がパレスチナ人の権利、尊厳、生命を不当に奪取しその土地を植民地化してきた80年弱の歴史を知ることとなった。そしてSNSやニュースを通じて、パレスチナのガザ地区や西岸地区で何万人もの市民たちが見せしめのように家を奪われ餓え死んだり殺されたりするのをこの半年以上見続けていた。西洋型の社会倫理における「人権」の、この「人」の中に、アラブ人は含まれていないのだ、と思わせるには容易い暴力が我々の目の前で吹き荒れ、それはわたしがアジア人という属性や女性というジェンダーを生きることにおいて感じてきた痛み、そして自分自身であるということと社会的集団//規範との間で生じる摩擦を引き起こした構造と、根っこのところで同質のものが巻き起こしたのだと理解するには多くの時間を要さなかった。