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同じ日の日記

立っていて無視される/小山田浩子

交通安全見守り当番で立つ、「FREE PALESTINE」の紙を持って立つ

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年1月は、1日31日(水)の日記を集めました。広島県で生まれ暮らしている小説家の小山田浩子さんの日記です。

朝6時に夫が起きてその気配で私も起きる。トイレに行って顔を洗って夫の弁当箱に作り置きのおかずと冷凍食品などを詰める。夫は自分で朝食を用意して食べる。夫が家を出るのと入れ違いくらいに子供が起きてくる。今朝はなにを食べるか聞くとおにぎりがいいと言うのでおにぎりとみかんを出す。朝に使った食器を洗い、最後にめがねを洗う。昔めがね屋で働いていたことがあり、家庭にあるものでは食器用洗剤がめがね洗いに好適であると習った。ハンドソープボディソープシャンプーなど人間を洗う用のものはだめだそうだ。

今日は小学校の登下校交通安全見守り当番なので蛍光色のタスキをかけて子供と一緒に外に出る。雨の予報で空は暗いがまだ降っていない、いや少し降っている、細かい雨がほんのちょっと、自分の子供が傘を差さず手に持って登校していくのを見送りながら私は傘を差す。めがねのレンズに水滴がつくのが昔から苦手だ。通りの誰も傘を差していないのに自分だけ差していることもよくあって、学生のころなどはそれが恥ずかしくて慌てて傘を下げたり、でもどうしても水滴が気になってまた差し直したりした。通学路に立って目の前を通る子供たちにおはようございますとかいってらっしゃいとか挨拶する。小学生以外の中高生や大人にも挨拶する。私以外誰も傘を差していないが、傘を傾けて確認するとやっぱりちょっとは降っている。みんな平気なんだな、めがねの人も結構いるのにな、私が当番に立っているといつも顔をそむける小学生が今朝もぷいっとそっぽを向いて通り過ぎていく。おはようございますと声をかけても返事はない。子供の友達とかご近所の顔見知りとかではない、名前も学年も知らない子だ。私にだけこういう態度なのか知らない相手には誰でもそうなのか、無視は無視だが、でも精神的には無視ではなくて逆になんというかすごくコミュニケーションを図られている感じがする。もちろん挨拶を返してもらえたらうれしいし、大人の知り合いにこんな態度をとられたらきついと思うが路上に立っている見守り当番保護者と見守られる側の小学生という立場だとしたらそれなりに健全な在り方なのではないか。近所の中学の制服を着た男の子たちが歩いていく。おはようございますというと「おはっ……す」という感じの返事が返ってくる。「オハッス」と言っているのではなくて、「ようございま」分の空気も口から出ているのにそれが声帯に充分絡まず音声化していないような言い方だ。中学生はどの子も大きなリュックを背負い、リュックにはなにかしらのキーホルダーをつけている。手がだらんと長い、なんの動物とも人間とも言い難い形状のマスコットを男女問わず複数の子の背中に見かけた。人気キャラなのかもしれない。

予鈴の時間になったので家に帰る。買い物袋を持ってスーパーに行く。ひき肉や牛乳などを買う。なんでもとても値上がりしているが肉類もここ数ヶ月で100グラムあたりプラス20円くらいになっている。肉類のパックは大体300から500グラムくらいだから、1パック買うごとに60円から100円程度値上がり、毎日のことだから少なくない変化だ。家に戻って買ってきたものを冷蔵庫などに入れてお茶を淹れて仕事をする。お茶は柿の葉茶とハトムギ茶を混ぜたやつで、多めに作って魔法瓶に入れる。今日はまず英語のメールを読んで返事を書かねばならない。翻訳サイトやアプリを使用して読み書きするが、いまやりとりしている内容は簡単な事実確認などではなく結構微妙な交渉や迷いのある問いかけを含むような感じのもので、日本語で書いたってちゃんと伝わるか不安なのに英語、混乱のあまり日本の出版社の人に助けを求めるとこういうことをこういう感じに伝えたらいいのではと英作文してくれる。もっと英語勉強しておけばよかった、編集の人に提案された文案も組み入れてどうにか返信を作成し送信する。送信してそれがちゃんと先方に通じたら返信が来てそれに対してまた返信が必要になる。やりとりはしばらく続くだろう。あまりにうろんなので今後のメールのやりとりには編集者の人に間に入ってもらうことになった。メール1本にへろへろになりながらラーメンに残り物の野菜炒めをのせたやつを作って食べ、食器を洗って仕事で必要な本を読む。10年くらい前に出版された本で、当時書評を書いたので繰り返し読んだ。久々に読み返すとこんなこと書いてあったっけと驚く。面白い本は何度読み返しても毎回驚くような、初めて読むようなことが書いてあると思う。つまらないと思った本はまず読み返さないからそうかどうかわからない。

子供の下校時刻まで本を読んで、またタスキをかけて見守り当番に行く。もう雨は降っていない。予報より降らなかった。暖かい。曇っているせいだろう。中学生のころの日誌に今日は雨で、雨が制服に当たると冷たいのに空気はむしろあったかくて不思議です、みたいなことを書いたら担任の先生がそれは雲によって放射冷却が阻害されるからですと赤ペンで返事を書いてくれたことを、今日あったかいな曇ってるからかな、と思うたび欠かさず思い出す。日誌には地球と、それをとり囲む雲と、温まった空気の動きを示す矢印の絵も描いてあった。地球の表面から出た矢印が雲によって曲がってまた地表に戻ってくる図、あの先生はお元気だろうか、高校生の夏休み、友達と広島の東急ハンズに行こうとしていたらその先生にばったり会った。先生はあら、と私の名前を呼び、私いまからお友達と映画に行くのよこんなところで会うなんて偶然ね、と言って1000円札をくれた。なにかこれで2人でおやつでも食べてね、お札が裸でごめんなさい。私と友達はびっくりして、まさか先生が現金をくれるなんて、動転して辞退しようとしたが、いいのよいいの、じゃあ私は映画の時間があるからまたね、気をつけてね。私と友達は東急ハンズを見て周りながら先生にもらった1000円札で食べるべきおやつはなにか協議した。ジェラートとかミスドじゃない気がする、ハンズの近くで見つけた甘味処にここじゃない? ここだよね? と言いながら入ってわらび餅を食べた。甘味処に入るのは初めてだった。おいしい。おいしいね。先生のおごりだね。四角くて柔らかいわらび餅だった。私は友達がおらず中学時代ずっと1人で本を読んでいたのだが、そんな生徒が高校生になって友達と街に遊びにきていることが先生は多分とてもうれしかったんだろうな、と大人になったいまでは思う。通学路は朝より人通りが少ない。中高生はまだ下校時刻ではないらしいし、働く人の多くの帰宅もまだ先、お年寄りやスーパーへ行くらしい人がぽつぽつ通るのに一応こんにちはー、と声をかける。5、6人で歩いてくる小学生の中に子供の上着の色が見えた。近づくにつれ1人2人と道を曲がっていき、私のそばまで来たときは2人になっていた。えーこれ、お母さん? 連れ立っていた子に聞かれて私の子供がそうこれがうちのお母さん。こんにちは、気をつけて帰ってね、さようならー。さよなら、子供の友達が手をかかげたので私もそうすると軽くハイタッチしてくれた。手のひらの感触というか、手の大きさや当たる時の勢いなどが自分の子のとは全然違っていてちょっとハッとした。手が冷えていた。じゃーねーバイバーイ。バイバーイ。子供とその子が手を振り合った。下校時間が違ったのかそっぽを向くあの子は私の前を通らなかった。

家に帰りながら子供に今日はひき肉があってハンバーグもできるしそぼろご飯のようにもできるがどちらがいいか尋ねた。ドライカレーでもいいし。子供はんー、お母さんが楽な方でいいよと言った。どっちでも大丈夫だから正直に、どっちがいい? えーほんとにどっちでもいいって。子供に気を遣われている、と思うとき、成長したな、と思う一方でなにか我慢させているのではないかそれは私の常日頃の言動のせいではないかと不安にもなる。人間、誰だって誰かと気を遣いあって生きているが、子供の年齢と気を遣う度合いとのバランスはどれくらいが適正なのか、じゃあ、まあ、そぼろにしようかな……そう言った私への反応で子供の真意を読もうとするが全然わからなかった。そぼろとハンバーグだと手間が全然違うから楽なそぼろを提案したがうっすらどこか納得がいっていない感じがして、それは子供がではなくてむしろ私が、やっぱり子供はハンバーグがよかったのに遠慮したんじゃないか、もしくは私が本心ハンバーグがよかったけど面倒だからその後押しをして欲しかったのかも子供が食べたがっているなら頑張っちゃおうかなというような……だとしたらそんな面倒くさい内面を子供に負わせるんじゃない、いやいやいやでもそこまではっきり意識しているわけでもなく、つまり自分が本当に考えていることだって全然わからないのに子供の気持ちなんてなおのことわかるわけがない。日々毎日わからない。子供も心底どっちでもよかったのかも、決めるのが億劫だっただけかもしれない。まあじゃあ、そぼろね、そぼろご飯。

夫から仕事帰りにスタンディングしてきていいかとLINEが来たので気をつけてねーと返す。最近夫は時間があると1人で1時間くらいスタンディングしてくる。無言で、手に、パレスチナでの虐殺を止めたいという内容の紙を持って道端に立つ。紙はネットプリントで出力したり人からもらったり自分たちで作った文章を手書きしたり印刷したりしたものだ。詳しいことを書いたチラシも一応用意してはいるが、通る人に積極的に差し出したりはしない。もし興味がありそうな人がいたら渡すことになっているけれどいままでほとんど誰にも手渡せていない。

以前、休日に夫婦2人でもそうやって立ってみたのだがそのときは前を通る数百人くらいに無視された。ちらっとでもこちらを見る人の方が少なく大概が完全無視、でもまあそれもそうだよなと思う。道端で、なにか書いた紙をこちらに見せるように持って黙って立っている人物がいたら、それがなにか判別できるほど近づいたり目線を向けたり速度を落としたりせず通り過ぎるのがごく普通の現代的防犯意識だと思う。勧誘とかされたらいやだろうし。でも、歩き去るその一瞬でも、我々が持っている紙に印刷されたパレスチナの国旗の色を視線が捉えてくれれば、虐殺などの単語が意識に触れてくれれば、それは多分全然無駄ではない、と思いたい、夫婦で立ったその日、唯一しっかり立ち止まって紙を読む仕草をしてくれたのは中学生の集団で、夫が彼らの1人にチラシを渡すと笑顔で受けとってくれ、ガンバッテください、というようなガッツポーズまで見せてくれた。彼らはしばらく歩いてからチラシを握りつぶして路上に捨ててこちらを振り向いてから立ち去った。捨てた子とその後ろを歩いていた子と目があった気がしたが、2人が私を見て浮かべた表情がやべえ、だったかざまぁ、だったか判別できないくらいの距離だった。私は彼らの姿が見えなくなってからチラシを拾いに行ってコートのポケットに入れて持って帰った。

夫がスタンディングして帰るなら私と子供で先に夕飯を済ませる段取りになる、ひき肉を炒め、鍋でご飯を炊く。昨年末に突然炊飯器が壊れてから毎日鍋でご飯を炊いている。炊飯器よりおいしいし速い。別に炊飯用の特別な鍋とか土鍋ではないアルミのぺこぺこの片手鍋なのに、え、これっていままでと同じお米? と思うくらいおいしく炊ける。ただ火加減の調整がちょっと手間なのと2口しかないガスコンロが1つ炊飯で塞がってしまうのがデメリットで、やっぱり炊飯器買った方がいいかなあ、それともホットクックのような電気調理器具を買っておかずか汁物をむしろ電気で作るようにしようか、炊飯器が置いてあるスペースに入るだろうか、電気代はどれくらいだろう本体価格は、などと調べればすぐわかり調べなければずっとわからないことをぼそぼそ考えながら小さく切った大根をフライパンに入れてさらに炒める。うちのそぼろは牛豚鶏肉を混ぜて作る。鶏ひき肉は炒めてもカサがあまり減らないのが助かるし牛豚の脂っ気で一緒に炒めた野菜が食べやすくなる。みりんとか砂糖は入れず醤油中心に味つけする。トマトを切る。作り置きのもやしも添える。炊けたご飯の一部を夫の明日の弁当用にとりわける。子供と私がそぼろご飯を食べ終えたころに夫が帰ってきて、今日は人通りが多かったけどやっぱりあまりこちらを見る人はいなかった、と言った。まあそうだよねえ。でもちょっとずつでも、やってたらね。そうだね。雨は? 全然、降ってない。夫に温め直したそぼろをのせたご飯を出す。子供私夫の順に風呂に入って本を読んで寝る。

小山田浩子

2010年「工場」で新潮新人賞受賞。2013年、同作収録の単行本『工場』で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。著書に『工場』『穴』『庭』『小島』『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』
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『かえるはかえる パイプの中のかえる2』

著者:小山田浩子
発行:twililight
発売日:2023年11月11日
価格:1980円(税込)

『かえるはかえる』小山田浩子 *特典付き | twililight

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