多様な人々の日常や他者との関わりを漫画を通じて丁寧に描いてきた二人
2024/2/13
『今夜すきやきだよ』や『ふきよせレジデンス』などの作品で、「普通」や「こうあるべき」という価値観にぶつかり向き合いながら、自分なりの幸せな生き方を模索していく登場人物たちの複雑な感情や関係性をいきいきと描いてきた、漫画家の谷口菜津子さん。そして、42歳バツイチの息子と72歳の父が同居する様子を描いた物語『いいとしを』や、それぞれの「しんどい現実」を生きる50代女性3人の姿が印象深い『白木蓮はきれいに散らない』など、これまではあまり描かれてこなかったような人々の生活や心情を細やかに描いてきた、漫画家のオカヤイヅミさん。
奇しくも、同じ第26回手塚治虫文化賞でそれぞれ受賞されたという縁もあるお二人には、アプローチは異なりながらも、多様な人々のささやかな日常生活や他者との関わり、そのなかで感じ考えることの機微を、「漫画」という表現を通して丁寧に描いてきたという共通点があります。今回はそんな谷口さんとオカヤさんのお二人に、世の中の「こうあるべき」という価値観について感じることや、日常生活における実感と創作への反映、「家族」や「友達」という存在への思い、毎日を楽しく豊かにしてくれる「食」についてなど、さまざまなお話をざっくばらんに伺いました。
「生きづらさ」や「ままならなさ」を感じることも多い日々のなかで、誰もが自分にとっての「ちょうどよさ」を手探りで見つけながら、少しでも心地よく幸せに生きていくためのヒントがたくさん散りばめられたお二人の対談を、たっぷりとお楽しみください。
—お二人の最初の出会いは、どのようなものだったのでしょうか。
谷口:最初はたぶん、2017年に新宿のゴールデン街の店で……。
オカヤ:私が吐いた(笑)。 最悪の出会いですね。共通の知り合いがいて一緒に飲んでたんですけど、そのときはそのまま帰って記憶がなかったので、あとから平謝りしました。本当に申し訳なかったです。
谷口:その日はオカヤさんが吐いたことしかあんまり覚えてないです(笑)。そのあと、同じ会合に居合わせることはよくあったけど、それ以来、別にそういうことはないですしね。
オカヤ:本当にめったにないんですが、すごくめずらしい失態を晒したときの初対面でした。でも、谷口さんのことはその前から知ってはいて、ブログで「レバ刺しとわたし」を読んでましたよ。その頃から、「なんか近しいところにいるな」っていう感じはありましたね。
谷口:友達というと照れるけど、仲間みたいな感じですかね。
—お互いの作品に対しては、どんな印象をお持ちですか?
谷口:絵こそ違えど、たしかに共通点は結構あるなと思っています。それがどういうことなのかずっと考えていたんですが、自分のことを客観的に見られていないのでよくわからなくて。でも、作品を読んでいる人は近そうだなと思いました。
オカヤ:『月刊コミックビーム』で谷口さんの『ふきよせレジデンス』の連載が始まったときに、「あ、しまった。かぶった!」と思いました。今私が連載している『雨がしないこと』(2022年12月号〜2023年12月号に掲載、現在は単行本が販売)という作品は恋愛しない人の話なんですけど、そうした人たちが集まるコミュニティの話にしようかなと思っていたら、「ダメだ、もう始まってるじゃん」って。選ぶテーマというか、この位置にいる人たちを描きたい、という部分がかぶってるんだと思う。
谷口:全然かぶってないと思うけどな。読んだら全然違いますよね。
オカヤ:そう、「違いますから大丈夫ですよ」って編集担当者にも言われました(笑)。
谷口:あとは人物も、「これは描かなくていいだろう」という描写をお互い描いてますよね。癖とか。
オカヤ:「そこ?」みたいな。だらしないところとかのほうが描きたくなっちゃう。
谷口:そういうのが、漫画に深みが出ていいかなって思ってます。
—お二人の作品の共通点の一つに、「普通」や「こうあるべき」という社会や周囲から押し付けられる価値観や言葉に違和感や葛藤を覚える登場人物が多く登場したり、それらとどう向き合っていくかという姿が描かれているところがあると思います。お二人は、世の中にまだまだ強くある「こうあるべき」といった常識や価値観について、どんなことを感じていらっしゃいますか。
オカヤ:私はあまりじっとしていられないところがあるし、職業的にも普通に就職しなかったので、「普通でいられない」という感じがずっとあります。でも、一人暮らしを始めたらものすごく精神的に楽になったんですよね。
谷口:それまでは実家だったんですか?
オカヤ:そうですね。ずっと実家で、家を出る前は兄と二人で住んでました。一人暮らしを始めてみると、「あ、一人ならできるんだ」と気づいたことがたくさんあって。例えば、実家にいたときは全然片付けられなかったのが、一人暮らしをしたら「家をきれいにしていいんだ」「自分の好きにしていいんだ」と思えるようになりました。それまでは、片付けは人に言われてやることだと思っていたので、好きにしたい気持ちが散らかりの方に出ていたと思うんですけど、実家を出てからは「私が私のために素敵にしていいんだ」ということがだんだんわかってきたんです。
谷口:誰かと一緒だと、ルールを一緒に作るかどちらかのルールに合わせるかになっちゃうけど、一人であれば自分でルールを作れますよね。
オカヤ:20〜30代の頃は「結婚した方がいいよ」と家族や周りから言われることも多くて、その度に「一人ってすごく楽なのに?」と思っていました。だから「一人でいてもいいじゃん」と言ってもいい、という気持ちはあります。でもそれは東京で暮らしているからというのもあると思います。田舎みたいにコミュニティの狭いところに住んでいて、結婚するのがもっと当たり前という環境にいたら、「いいじゃん」とは言えないような気がしていて。
谷口:それはものすごくそう思います。東京は土地代も高いし部屋も狭いけど、地方に行くと東京じゃ考えられない価格で超デカい家を買えたりするじゃないですか。でも、自由を認めてもらう権利のために東京に住んでるのかもしれないと思ったりもします。
オカヤ:そうですね。「普通」を押し付けてくることに対して説得する気にもならない環境もあると思います。前に、若者の気持ちを知りたいと思ってTikTokを見てたら、投稿に対して「その化粧おかしい」「育ちが悪い」みたいなツッコミがたくさん入っていて。すごく同調圧力が強い世界なんですよね。
—漫画を描き始める前の学生時代から、そういった同調圧力や「みんながこうじゃなきゃいけない」ということに対する違和感はありましたか?
谷口:学生時代は「当たり前」を押し付け合う世界だったような気がします。私も「こうじゃなきゃ」と思ってたことがたくさんあると思うけど、「ちゃんと納得してそれをしたい」「意味がわかりたい」って思う方かも。
オカヤ:うちは親が世の中の「こうあるべき」を斜に見ているタイプの人で。例えば、習字バッグの色は女の子が赤で男の子が黒を選んでいたけれど、うちは「黒い方がいいじゃない」って言われて黒だったんです。でも、「女の子みんなが赤を選ばなくてもいい」というのは、自分の意思ではなくて母の受け売りだったから、その考え方が身につくには時間がかかりました。学校は「こうあるべき」の原理が強かったので、板挟みで育ったこともあって、ちょっと離れて見るような冷めた視線が育まれたような気がします。
—価値観や生き方の異なる人同士がともにいるとき、谷口さんの作品では、主人公たちがぶつかり合いながらも必ず対話をしてそこにある問題を解決したり、一緒に前に進んでいこうとしたりするところが印象的ですが、オカヤさんの作品では、登場人物たちが直接言葉で話し合うというよりは、時間や生活をともにしていくなかで少しずつ相手のことを想像して知っていきながら、互いにとって居心地のいい距離感や関係性を築いていくようなところがある印象を受けました。
谷口:オカヤさんは、自分を自由にすることで解放していくという感じがします。
オカヤ:それはすごくありますね。『ふきよせレジデンス』のあとがきにある、谷口さんが下の階のおばあさんに我慢できなくて言いに行ったときのエピソードを読んで、「そんな方法があるのか!」と思いました。自分だと言いに行くということは絶対にないので。
谷口:住んでいるマンションの下の階の人に苦情を入れられたんですけど、ボトルのキャップのようなちょっとしたものを床に落としただけで、「ドンドン」と叩かれちゃうような感じで。その人は一人暮らしの老人の女性だから、ずっと家にいるんですよ。そして私もずっと家にいるから、忍びのように暮らしていたんですけど、ドンドンやられるのが辛すぎて。それで、不動産業者の方にあいだに入ってくれってお願いしたら、その人が「もうボケちゃってるから通じないっすよ」みたいな感じだったので、「それでいいのか?」という気持ちになってしまいました。私は、お互い顔を合わせたら、もしかしたらわかり合える部分があるんじゃないかと思ったんです。
オカヤ:谷口さんの作品は「よくあろう」「よくしていこう」みたいな感じが強くて、「祈りだな」って思います。
谷口:そうですね。物語だったらこれくらいうまくいってもいいだろうっていう期待を込めて描いています。「もっと生きやすくならないかな」という思いや、自分の不満から物語が始まっていくので。「描き終わりはハッピーエンドがいいな」とか、この後どうなってほしいかを描いている途中に考えながら、キャラクターを動かしています。
私の作品を読んで「人はこんなに話さないだろ」って思われるかもしれないけど、私はパートナーとか身近な人ともすごく話し合いたいんですよ。子どもの頃から、戦争しないで話し合ってほしいという思いがずっとあって。パートナーと喧嘩したときは、どっちが正しいかではなく、お互いが思っていることをちゃんと話し合わなきゃいけないと思っています。そのとき、「今イライラしてるからこういうことを言ってるんだな」とちゃんと自分が理解しないと、二人で仲良く暮らすというゴールに辿り着けないんじゃないかなと思って。「その話し合いを上手にやるにはどうしたらいいんだろう」って、漫画だけじゃなくて、生活しながら考えてるかもしれないです。
—谷口さんの作品を読んでいると「こんなふうにできたらいいな」とすごく励まされます。その一方で、「実際にはなかなか対話するのが難しかったり、直接言えなかったりすることも多いよな」という複雑な思いも同時にあったりするのですが、オカヤさんの作品を読むと、後者のような思いがそっと撫でられ肯定されているような気持ちにもなって。対話をして前に進んでいくという希望や理想が描かれている谷口さんの感じと、直接言い合うのではないあり方でお互いが共存する姿が描かれているオカヤさんの感じは、どちらもすごく必要だし、大切ですよね。
オカヤ:ちょうどいい居場所を見つけるということですよね。「話し合おう」って言ってくれる人がいたらありがたいし、ほっといてくれる人もありがたいし、「こういう関係じゃなきゃ嫌だ」よりは、「いろんな人がいっぱいいたほうがおもしろいじゃない?」という感じじゃないですかね。
—さきほど、谷口さんは「自身の思いから登場人物の言動が途中で変わっていくこともある」ということをおっしゃっていましたが、オカヤさんはいかがですか。
オカヤ:変わっていくことはあるけど、こうあってほしいとはあんまり思っていないかもしれないです。私は「偶然できあがっちゃうもの」とか「その場の感じ」みたいなものを描きたいので。例えば、どんな関係でも気まずい状況もあれば変におもしろくなっちゃう状況もある。だから、私は「いい人」も「悪役」も描けないっていう。
一同:ああ〜。
谷口:たしかに、オカヤさんの作品には人間味のあるキャラクターがいっぱい出てきますもんね。『雨がしないこと』の雨ちゃんも、「いいヤツだな」って思うときもあれば「冷たいな」って思うときもあって、ただ「雨ちゃんだなあ」って思います。
オカヤ:そうそう、そういう感じしかできないんですよね。だから、谷口さんのポジティブさや前に進もうとする感じには、すごく憧れがあります。
谷口:『ふきよせレジデンス』を描くときも、「世の中もうちょっと一人暮らし同士でうまく回っていかないかな」と思って描きました。コロナで連絡が取れなくなってしまった一人暮らしの友達のことや、結婚して夫という人生のパートナーのようなものができたけど、死んだらどちらかが結局一人になることを考えていて。夫とは、「私たち」と思うときもあれば、「他人」同士なんだなとも思います。そんなふうに「一人」について考えることがすごく多かったんですけど、私の若い頃は一人暮らしの人に対するネガティブなイメージが特に強かったことが気になって。この地球上には一人暮らしの大人がかなりいるはずだから「それってどうなの?」と思って描いたんです。
—私も『ふきよせレジデンス』を読んでいて、一人同士で生きていく姿が描かれていることに、とても力をもらいました。「家族」という単位だけではなく「個」で安心して幸せに生きられるような世の中になったらいいですよね。
谷口:『雨がしないこと』の主人公の雨ちゃんが実家に帰る回で、お母さんが「私たちは『私たち』ではなかった」って思うシーンがあるじゃないですか。「雨ちゃんを自分の仲間だと思っていたけど、そうじゃなかった」みたいな。あれ、すごくいいなと思いました。家族は集合体や一つの生き物のようなものかと思いきや、一人ひとり全然違う人生があるっていう。
オカヤ:家族だからわかり合えるというのがいちばん厄介なんじゃないか、って最近思っています。友達とのほうが気楽にしゃべれることっていっぱいあるし。でも、家族だと「言われなくてもわかるだろう」と思われちゃうところがある。
―今、「家族よりも友達のほうが言えることがある」とおっしゃっていましたが、お二人の作品には、「友達」の形の多様さやグラデーションがたくさん描かれているのが印象的で、登場人物それぞれが自分なりの心地よさや関係性を探っているように感じます。例えば、オカヤさんの『白木蓮はきれいに散らない』で描かれている、大学生とその母親ぐらいの世代の人が心で結び合うような関係は、いわゆる一般的な「友達」とは違うけれども、名前をつけるとしたら「友達」であるようにも思えます。また、谷口さんの『うちらきっとズッ友』という短編集の最後には、モノローグのような形で「友達とは?」ということも書かれていたかと思うのですが、お二人は「友達」という存在をどのように思っているのでしょうか。
谷口:私は、助けてくれる仲間をたくさん増やしてやるという気持ちが結構大きいですね。自分の心の健康のためには友達がどうしても必要です。夫が病気などの重めのものを支えてくれるパートナーだとしたら、友達は、私の心の大きい荷物をちょっとずつちぎって、みんなの肩に乗せられるような存在でいてほしいと思っています。「みんなのちっちゃい荷物も私が預かるし」っていう気持ちですね。
オカヤ:私は友達って、ちょっと無責任なところもいいなと思っていて。家族だと「家族なんだから絶対に助けなきゃいけない」となったりするけど、それがないのがむしろいいところだと思う。だから、「友達でしょ?」ってなると、ちょっと厄介というか。私は、友達を家に呼んでごはんを食べてもらうことを割と頻繁にやるんですけど、ごはんをつくって、「うちでごはん食べていきな」みたいな関係がちょうどいいなと思います。
谷口:わかります。私も人を呼んでごはんを提供するのがすごく好きだから、「みんなで食べたい」と思う。
オカヤ:私はそんなにすごく仲良くない人でも、「ごはん食べに来てくださいよ」と言ってしまうところがあります。ごはんをつくってあげたことによって「なにかしてあげた」っていうこっちの満足感にもなって、Win-Win感がありますよね。
谷口:私は、駅近に家を建てて、みんなが仕事帰りにちょっと寄ってくれて、一緒にごはんを食べて、「このドラマいいよね」とか言いながら話したいというのが最近の夢です。
—谷口さんは作品のなかでもよく、みんなや誰かとごはんを食べて、弱っている人がちょっと回復する、みたいな描写がありますよね。
谷口:そうかも! 基本的には自分の食は全部自分で管理したいという欲望があるんですけど、やっぱり心なり身体なりが弱ってるときに人からなにかつくってもらうと、異常においしく感じたり、ありがたくて泣けてくる経験があったので。だから、そういうシーンを無意識に描いちゃう癖があるんだと思います。
—お二人の作品には、これまではあまり描かれてこなかった人々の姿が描かれていたり、一つの作品のなかに多様な価値観の人が登場したりする側面があるので、いろんな読者の方がいろんな形で「この物語には私がいる」と思うのではないかと感じています。お二人が多様な価値観について考えていることはありますか。
谷口:最近友達にすすめられて観ている『すいか』というドラマが、まさにオカヤさんの言う「それは描かなくていいだろ」みたいなものがたくさん出てくる作品で、毎日大事に観ています。コロナ禍で全然人と会わなかったときは、ものすごく煮詰まってしまったんです。夫とは話したりするけど、それでも価値観が一つか二つしか生まれないから、悩んだときにすごく風通しが悪くなって、必要以上に悩んでしまうことがあって。いろんな人と会って作品のおすすめをしてもらったり、違う意見や考え方を教えてもらったりするのはいいなと思います。
オカヤ:私はSNSの地獄っぽいところを見に行っちゃいます。「hell……」って思いながらも、最初のツイートまで深掘りして見に行っちゃう。でも、そういうのを多少知っておかないと、バランスが取れないなと思っていて。どうしても似たような価値観の人で固まっちゃうから「あんなのおかしいよね」と思うけど、それが普通だと感じる人たちもいるから。
谷口:でも、やっぱり見えなくなりません? 自分と考え方が違う人って、なかなかSNSでも出てこなくなる。
オカヤ:それも怖いなって思いますね。でも友達だと、ものすごく気が合わないところが一つあったとしても友達でいる、っていうことは結構ある。その感じは、大事だなと思います。
―ここまでのお話のなかで、人と一緒にどう過ごしていくかや、自分自身がどう生きていくかについてお伺いしてきましたが、自分と相手を両方大事にするには、どんなことを大切にしたらいいと思いますか?
谷口:私は最近、もっと図々しくなってもいいのかなって考えるようになりました。遠慮して人を誘えなかったり、断られるのが怖いと思ったりすることがあったけど、もっと断られても、多少傷ついてもいいやと思って、ふてぶてしく人を誘ったり、頼ったりできるようになったらいいなと。周りの人にも、私に対してもっと遠慮しないで図々しくなってほしいなって思ってます。
オカヤ:私はマイペースでもいいということですかね。マイペースって、だいたい悪口じゃないですか。子どものときからずっと、散々「マイペースだね」って言われてきたんですけど、それは「早くしてよ」という意味が含まれてるときもあるんですよ。でも、結局このままでしかいられないから、自分のペースを保つためになにをすればいいのか考えています。相手のペースを乱すんじゃなくて、自分がマイペースでいながら、相手のペースも見ることができればいいよね、と思います。
―それができると本当にいいですよね。
谷口:でも、オカヤさんにはマイペースでいてほしい(笑)。オカヤさんが焦って気を遣ってなにかしてるところは見たくないかもしれない。元気でいてほしいし、幸せに暮らしてほしいです。
―お二人の作品のもう一つの共通点に「生活」や「家事」がよく描かれているということがあると思います。一見みんなが自然と生活できているように思えますが、お二人の作品にはヘドロを取ることや税金を納めることなど、生々しい生活が描かれています。そういう生活の生々しさや、生活をやっていくことの難しさについて、感じていらっしゃることはありますか? 登場人物のなかにも、「生活をやっていくのが大変そうだな」と感じる人が多い印象もあるのですが……。
オカヤ:「誰も教えてくれなかった」「知りたかった」って思います。それと、みんな「自分以外の人は生活能力がすごく高いんじゃないか」って思っちゃうところがある気がしていて。人の家に行くと、すごくきれいだったりするから。
谷口:インスタを見ていても、とてもきれいだなと思いますよね。私はいつもインスタ用の写真を撮るとき、机の上のものが写らないように脇によけて撮ってるから(笑)。でも、最近はみんなを安心させてあげようと思って、ティッシュ箱をわざとちょっと写したりとか、失敗したごはんを載せたりもしてますよ。
—私自身も、家事や料理があまり得意ではなくて罪悪感を感じてしまったりするのですが、お二人の作品などを読んでいると、「あ、こんな感じでもいいのか」と安心する気持ちを抱いたりします。
谷口:家事ができないと、ダメ人間って思っちゃいますよね。でも塵があったとしても、元気に生活できたらそれでいいですよね。
オカヤ:気持ちいいところだけやってもいいと思うんですよ。「家事のここが好き」というところだけやって、あとは気力のあるときにやるのもいいですよね。
—それは、お二人の作品から感じると思ったところでもあります。「なんでも完璧にやらなきゃ」「しっかりしなきゃ」と、必ずしもそんなふうに思わなくてもいいんだよ、といったメッセージを、作品の随所から受け取ります。お二人の漫画のそういった部分に救われる読者の方もきっと多いのではないかなと思うのですが、作品を描かれる上で、そういう思いなどはあったりされますか。
谷口:ありますね。自分自身がまったく家事が好きじゃないし、料理も「分量通りやらなくてもいいじゃん」と思ってるタイプだから。でも、「レシピの最後に『パセリをかける』って書いてあるけど、パセリが家にないからつくれない」って思っちゃう人が結構多いらしくて。香りも多少はあるけど、飾りだし、気持ちの問題なんですけどね。
オカヤ:たぶん、人は意外とどこを省いていいのかわからない。「レシピ通りにつくった方が安心」っていう人もいますよね。私は面倒くさくなってしまってレシピ通りにつくれないタイプで。ブロークンな料理をいっぱいつくってきたことで技術を培ってきたから、最初から一つずつつくっていく人とは違うなにかができあがります。だから、きちっとやりたい人が見たらきっとイライラするんだろうな、って思う。
谷口:そうですね、私もよく真面目な人に怒られたり、「どういうこと?」って思われたりすることが多い気がします。ちょっと違うかもしれないですけど、友達と一緒に海外旅行に行ったときに、おもちゃ屋さんで現地の人たちが買うちっちゃいおもちゃみたいなものを大量に買ったら、友達に「それどうするの?」と言われて。私は理由なく「いい」と思って買っていたので、不思議だなと思ったことがありました。
オカヤ:無駄が好きというか、無駄の部分に楽しみを見出しちゃうところがある。
谷口:その無駄の部分に、学びがあったりするんですよね。料理も、レシピ通りにつくらなかったからこそ、失敗したり逆に成功したりして、その工程をなぜやるのかを理解できたりもする。
オカヤ:家事って10年くらいやらないとわからないな、って最近思います。「きれいにしなさい」って言われるけど、生活のルーティーンとしてやっていくなかで、何年もかかってやっと身につくものだなって。
谷口:そうですね。自分がどうすれば気分がいいかということも、気分が悪いときがないとわからなかったりもするし。
―忙しいとごはんをつくって食べることをしなくなったり、とりあえずなにか食べれば生きていけるからと投げやりにしてしまったりすることもありますよね。でも、お二人の作品のなかでご自身や登場人物たちが食事と向き合っている姿を見ていると、少しでも自分にとっていいごはんに変えていくことで、なにかもっと大きな、自分自身や生活自体が変わっていくような希望を感じます。お二人は食事とどのように向き合っているのでしょうか。
谷口:私はご褒美的なエンタメとして食事をしているかもしれないです。「夜ごはんは一日の打ち上げ!」「毎日打ち上げしたい!」みたいな気持ちで。あとはやっぱり、つくるのって楽しいです。料理ってつくってすぐ完成するじゃないですか。それでおいしいから最高だなって。
オカヤ:漫画はなかなかできあがらないですからね。
谷口:漫画だとあんまり読んでもらえないことも、感想がもらえないこともあって、思うように達成感が感じられないときもあるから。でも、食べ物はちゃんと自分をよろこばせることができるから、素晴らしい。
オカヤ:「これとあれ合わせたらおいしいかな? おいしかった! やったー!」みたいな。
谷口:おいしくなくても楽しいですよね。最近は私が料理担当だから、夫の分も含めて三食毎日つくらないといけなくて、そうするとエンタメ感が薄れてきてしまうんですよね。でも、デリバリーだと「つくったほうがもっと安いのに」と思って悔しくなっちゃう。そこで「オイシックス」を導入したら、料理もできるし、なかなかおいしいものもできて、材料にも無駄がないからいいです。
オカヤ:今住んでいる街にはガチな中華料理屋さんがいっぱいあるんですけど、メニューを見て読めない料理を頼むというのをやったりします。食べてみて、「あ、辛っ」みたいなこともありますし、あとで翻訳ソフトで見て「タニシか〜」とわかったり。
谷口:楽しいですね。
オカヤ:一人暮らしだから別につくらなきゃいけないわけじゃないし、コンビニで買うほうが早くて安いじゃないですか。だから、私はずっと「料理は趣味です」って言っていて、やりたくないときはやらない、娯楽として楽しんでいます。「自分のために料理をつくるのは嫌だ」「自分のためにそんないいものをつくっていいのだろうか」っていう人、結構いますよね。でも、「自分だからできるんだよ」と思います。
谷口:独り占めできて楽しいですよね、おいしいものを。
—ここまでいろいろなお話を伺ってきましたが、最後に、お二人が今後描いてみたい作品のテーマについて、ぜひ聞いてみたいです。
谷口:私は発酵が最近すごく気になっていて、「月9」のようなめっちゃ楽しい発酵漫画を描きたい。コーヒーもパンもお酒も発酵食品だし、菌や穀物が結び付くことで発酵できるから、そういうところに人の関係性も繋げられるかなって思ってます。
オカヤ:私はまだ全然固まってないですけど、子どもの話が描きたいなって思ってます。10代前半くらいの話。感情剥き出しな世代のことも描いてみたい。
谷口:たしかに、オカヤさんの作品は大人の話が多いから気になりますね。
オカヤ:あとは怖い話。たぶん朦朧としてたんだと思うんですが、このあいだAmazonから1冊だけ怪談の本が届いたんですけど、まったく覚えていなくて。
谷口:怖っ! それが怪談(笑)。
オカヤ:怪談の内容より、それが一番怖かったです(笑)。
谷口菜津子
7月7日生まれ。神奈川県出身。漫画家。Web、情報誌、コミック誌等で活動。comicタントにて『じゃあ、あんたが作ってみろよ』連載中。『教室の片隅で青春がはじまる 』『今夜すきやきだよ』は第26回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。
オカヤイヅミ
漫画家・イラストレーター。1978年生まれ。東京都出身。多摩美術大学卒。Webデザイナーとして勤務後、フリーランスに。独自の感性で日常を切り取った漫画『いろちがい』で2011年デビュー。『すきまめし』『ものするひと』『みつば通り商店街』、作家に理想の最後の晩餐を訊ねたコミックエッセイ『おあとがよろしいようで』など著書多数。『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』の2作で第26回手塚治虫文化賞短編賞受賞。趣味は自炊と海外ドラマ鑑賞。
プロフィール
『ふきよせレジデンス 上』
著者:谷口菜津子
発行:KADOKAWA
価格:880円(税込)
発売日:2023年7月12日
Website
『雨がしないこと 上』
著者:オカヤイヅミ
発行:KADOKAWA
価格:880円(税込)
発売日:2023年12月12日
Website
『あのにめし 名もなきごはんがいちばんうまい』
著者:オカヤイヅミ
発行:主婦と生活社
価格:792円(税込)
発売日:2023年2月17日
Website
『じゃあ、あんたが作ってみろよ (1)』
著者:谷口菜津子
発行:ぶんか社
価格:880円(税込)
発売日:2023年12月14日
Website
『今夜すきやきだよ』
著者:谷口菜津子
発行:新潮社
価格:704円(税込)
発売日:2021年9月9日
Website
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