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広告業界から花屋・IT業界へ。元同僚の橘優子と古田理恵が語らう「女性と仕事」

持続可能に働くために花屋として独立、ベビーシッターの経験からIT企業へ

広告業界で働いたキャリアを経て、逗子に花屋「橘」をオープンさせた橘優子さん。同じく広告業界を経て、現在は外資系IT企業でダイバーシティ推進プロジェクトを立ち上げ、誰もが自分らしく働ける環境を築くために活動する古田理恵さん。二人は元同僚であり、今では何でも話せる友人でもあります。

独立後、「自分らしく生きる女性」というふうに見られることが多くなったという橘優子さん。そんななかで、ふと湧き起こる疑問がありました。会社のなかでその場所をより良くするために動いていくことも、新たに場所をつくりだすことも、どちらも生き方の選択肢の一つ。独立して好きなことをやるだけが、「自分らしく生きる」ことや「クリエイティブ」なことなのだろうか?

異なる場所で、自らのクリエイティビティを発揮しながら仕事をしている二人。仕事をするなかで感じているジェンダーギャップや、女性が持続可能に働き続けるにはどうしたらよいか、そして個人が努力する前に整えられるべき社会の仕組みについてなど、それぞれの経験をもとに語り合いました。

「女を消さないとやっていけない」。男性中心の働き方に合わせるしかなかった頃

―まず、お二人の出会いについてお聞かせください。

優子:理恵ちゃんは、私が出向先の会社で初めてのメンターをやった後輩で。その会社にメンター・メンティー制度というものがあって、新人と先輩社員がマッチングさせられるんです。出会ったときは、私は20代後半で、ちょうど一人で仕事を任されるようになってきていて。自分の仕事は自分でやりたいというのもあって、第一声で、「何も教える気ないから、勝手に見て、勝手に盗んで」って言い放ったんですよね。それぐらい自主的に動ける人しか要らないという意味ではありましたが、今考えると本当にひどい(笑)。

理恵:当時の私は、“かわいい後輩女子”というキャラクターが、自分のバリューだと思っていたんです。というのも、父親が家に連れてくる仕事仲間にかわいがられていたこともあって、自分がおじさまにウケがいいことを自覚していたから。「メンターも男性の先輩だったらいいな」なんて思っていたら、ちょっと怖そうな優子さんがあてがわれて(笑)。緊張したのを覚えています。

優子:最初は「大丈夫かな」と思っていたけれど、理恵ちゃんは自分でどんどん考えて、盗んで、自分流でやり始めていたので、すぐにこの子は大丈夫だと思いました。

広告業界から花屋・IT業界へ。元同僚の橘優子と古田理恵が語らう「女性と仕事」

左から、橘優子さん、古田理恵さん

理恵:隣にいると漏れてくる仕事があるので、それを自分なりにこなしていって。そんな優子さんのメンタースタイルのおかげで、ほかの同期よりも早く仕事が覚えられたし、できることも着実に増えていって、「私、ここにいる意味があるかも」って思えたような気がします。

優子:ずっと一緒にいたよね、あの頃は。そのうち私が怒るというより、理恵ちゃんに私が怒られるようになりました……。

理恵:朝出社すると、昨日の夜と同じ体勢のまま机の上で突っ伏していたりするから、「いったい何日お風呂に入ってないんだ!」とかね。

―当時、お二人にとってロールモデルとなるような女性の先輩や上司はいましたか?

理恵:深夜1時とか2時にオフィスを見渡すと、遅くまで働くことができる独身の女性たちが髪の毛振り乱して仕事している光景が広がっていて。結婚しない、子どももいない、ワーカホリックに頑張ることができる女性はたくさんいたんですけど、そうじゃない女性のロールモデルはいなかったですね。あの頃、優子さんがふと口にした「私は早く歳を取りたい」という言葉を、今も覚えています。最初は何でそんなこと言うんだろうと思っていましたが、それは後々よく理解できました。

優子:制作の現場にいたこともあり、当時は本当に女を消さないとやっていけないというか、その方が仕事上効率的な環境だと思っていました。「オンナ感」が出ているとプランナーとして「面白いこと言わなそう」と思われるイメージがあったし、対等に見てもらいにくくなる。基本よれよれのTシャツを着て、輪ゴムで髪を留めていました(笑)。まあ、そういう格好が普通に好きだったのもありますが……。私自身は、子供の頃から連帯コミュニケーションが苦手で、兄やその友人とばかり遊んでいてクラスメイトの男子とジャンプやゲームのオタク話ばかりしていたキャラだったのもあって、「男性と同化して仕事していたほうが楽しい」とその頃は思ってたんですけど、それでもセクハラ発言をされることはよくあったし、取引先の女性からそうした相談も聞いていました。女であることはやめられないけど、だったらもう歳をとってしまったほうが楽だなと思っていたんです。とはいえ、商材の特性を踏まえて女性の発想が求められるプロジェクトもあるし、男女関係なくリスペクトし合える人もたくさんいました。

―そんな生活を続けるなかで「こんな働き方続けられない」というような気持ちになることはなかったのですか?

理恵:私は3年ちょっとで完全に燃え尽きました。日本で女として働くことがこんなに大変だなんて、という気持ちでしたね。

優子:私は広告の仕事が好きで、いろんな人と会いたい性質的には天職とも感じていたけれど、徐々に身体的な不安が出てきました。21時ぐらいに修正依頼が来て朝までに提出! みたいなのを繰り返していたので……女性も平等に活躍できる機会はあるけれど、結局体力勝負の働き方に合わせるしかない状態でした。

理恵:そうだよね。広告業界は、女性も多い業界だとは思うけれど、結局上層部は圧倒的に男性が多いし、会議で発言するのも男性が多い。クライアント先に男性の部下と一緒に行ったときも、私は上司だと思われずに、先に部下のほうと名刺交換しようとするんです。そういうところで、やっぱり男性中心の価値観でまわっている業界なんだなと実感することもありました。

持続可能に働くために花屋として独立、ベビーシッターの経験からIT企業へ

―お二人はその後、広告業界を離れますが、優子さんは「天職」とも感じていた仕事をやめるまでに、どんな経緯があったのでしょうか?

優子:ずっと続けたい気持ちもあったのですが、常に蕁麻疹があるとか、めまいがするとか、30代半ばの頃には体に出てきてしまうようになって。最近はリモートも当たり前にできるし、今だったら別のやり繰りの仕方ができたかもしれませんが。もう一つ大きな気持ちの変化だったのは、今まで積み重ねてきた経験を、全然違うところで生かしてみたいと思うようになったことです。

―それは何かきっかけがあったのでしょうか?

優子:石川県・能登の老舗旅館のプロモーションの仕事で、1年に何度も通って、能登に暮らす人たちに取材をしたことがあったんです。そこで出会った方たちが面白くて、話を聞くと東京の会社に勤めていた経験やまったく違う業種を経験した方が多くて。だからこそ新しい視点やエッセンスを能登でのビジネスに生かせているんだとわかり、アイデアを置換するということが好きだった自分にはすごく面白そうに感じられたんです。

それでなぜ花屋なのかというと、昔から花が好きだったということもあるのですが、数ある業界のなかでも花屋は提案の形態に多様性が少なく、そこに企画を入れたら面白くなるのではないかと思っていたためです。まずは花の仕事を勉強しようと思ったときに、花に対する視点の持ち方に共感していた人のところへ行きました。

―まったく違う業種に一から飛び込むのはなかなか勇気のいることだと思うのですが……。

優子:もちろん不安がなかったわけではないですが、基本的に人はなんでもできると思っているんです。大学の同級生にとても尊敬している土屋くんという人がいて、彼の優秀さをすごく褒めたときに、一言「やるかやらないかだから」とボソッと真顔で言われたことがずっと頭にあって。今になると身をもってそれは真実だと思えます。やりたいことがあるなら何かしらの方法で学び直せばいい。ただ、大事なのは「自分はどういうことができるのか」を認識しているかどうかです。自分の場合は課題発見とコミュニケーションが好きだったので、他業種にもスライド可能だと思えました。あとは植物や生物全般が元々好きな上にオタク気質なので、とことん研究できる気もしました。

―その頃、理恵さんはすでに広告業界を離れてアメリカにいたんですよね。アメリカではどんな経験をしたのでしょうか?

理恵:私は優子さんより先に会社をやめて、アメリカのコロラド州に渡り、住み込みのベビーシッターをしていました。滞在中にはホストファミリーにお世話になったのですが、そのホストマザーが弁護士だったんですね。仕事も子育ても趣味も楽しんでいて、彼女に出会って初めて「こういう人になりたい」と思いました。日本ではこれまで出会ったことのなかった、理想のロールモデルですよね。私にとってコロラドで過ごした日々は、自分の将来をクリアにする大きなきっかけになりました。

―帰国後は、IT企業へ就職されますが、そのときはどんなふうに働きたいという思いがあったのですか?

理恵:ホストマザーを見て、彼女のように、ちゃんと稼いで大きい家に住んで、でも無理をしないで幸せに暮らすっていうことを、日本でもできないかなと思ったんです。それで、今までのようなクライアントから仕事を受ける“受注側” ではなく、“事業主側”に行ってみようと、IT企業に入社しました。自分にとってはそれが大正解で、すごく仕事がコントローラブルになって、ストレスレベルもグンと下がりました。

―一方、優子さんは独立して働くことを選びましたが、そこにはどんな思いがあったのでしょうか?

優子:私の場合は、“持続可能に働く”ことを考えると、独立するしかないという思いもありました。当時は自宅のある鎌倉から、表参道の花屋まで通勤に2時間近くかけて通っていたのですが、子どもができたら、例えば熱を出したときはすぐに帰らなければならないし、台風や大雪のときは休みにしてしまいたい。完全に自分の都合で働くには、自分でやるしかないなと。

―社会人になってから、これまでのキャリアを手放したり、学びの時間をつくったりすることに、なかなか勇気が出ないという人や、尻込みしてしまう人も多いと思うのですが、お二人は不安や迷いはなかったのでしょうか?

優子:なんとかなると思った部分もありますが、実際は私もすごく悩んだし、考えました。でもやっぱり、新しいことが好きなのでしょうがない(笑)。こういう人生の決断って、本当に人の性質によると思うんです。私はリスクヘッジよりも変化を好むので、先が見えない未知の部分に面白みを感じるタイプなのですが、リスクをきちんと考慮して安定した生活を確保した上で、小さく新しい興味を開拓したいと思う人もいると思います。どっちがいいとか、すごいとかでは全然なくて、自分が心地いいほうを選ぶのがいいと思います。リスクをとる方がえらいわけがない。

理恵:私はお給料が下がるとか、まったく違う環境に行くことが怖いというよりも、自分らしくいられない環境にそのまま身をうずめることのほうが怖くて。優子さんの言うように、今この環境があるのは、自分が快適でいるためにアクションを起こし続けてきた結果で、だから手にできたものだと感じています。会社のルールが嫌だとか、お給料が低いとか、やりたいことがやれないだとか、自分のいる状況を嘆くくらいなら、まずはそれを変えるためにどうすればいいのかを考えてみようと思いました。思考を停止しない、ということを私は大事にしています。

この先を生きる女性たちのためにも、小さな怒りを“そのままにしない”

―理恵さんは、今の会社でダイバーシティー推進プロジェクトを立ち上げ、社内の仕組みを変える取り組みをされていますが、それにはどんな経緯があったのでしょうか?

理恵:きっかけは仲のいい同僚が妊娠したことでした。当時、会社に産休・育休をとって復職した女性の前例がなかったので、どうしたらいいんだろうと。彼女はとても優秀な人だったので、ちゃんと仕事に戻ってこられるようにしたかったんです。そこでまずは、周りの人の理解が大事だと思い、前職で育休をとった経験のある社員に自身の体験をシェアしてもらったり、勉強会を開いたり。小さなイベントを企画していくうちに、自然とDEI (ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)推進プロジェクトの立ち上げみたいなことになっていったんです。「なんか一発やってやる」という大きな志から始まったわけではなく、ただ私の周りの人が嫌な思いをしてほしくない、幸せになってほしい、という思いから始まりました。

―理恵さんのお話を聞いていると、会社や組織のなかにいても、自分らしく、さまざまなことができると感じます。

優子:ところで、私は独立してから「子育てしながらお店をやっていてすごい」とお客様に言われることが多く、ありがたいのですが、「でも私が男性だったら絶対言われないことだなあ」とモヤモヤしたりしていました。そして、いろいろな方が「私はクリエイティブな仕事じゃないから」とか、「私なんてただの会社員なので」と口にされていて、それにもすごくモヤモヤしました。

企業でキャリアを積み続けたり、企業のなかで新しい挑戦をしたりすることだって、絶対にすごいのに。お話していて、きっと仕事で優秀なんだろうなあと思える方でも、そんな言葉を漏らします。私へのお気遣いや純粋な謙虚もあると思いますが、昨今のメディアが「自分らしく生きる=会社にとらわれない働き方をする」みたいな、フリーランスや起業の選択がクリエイティブな自己実現を叶える! という偏った発信をしすぎているせいなのではと思ってしまいます。理恵ちゃんなんて、大企業のなかで私よりたくさんの人を相手に、新しい価値観や概念を普及していく取り組みをしています。私は人の価値観を変えることが一番難しい仕事だと思っているので、いろんな人がいる企業のなかでそれをやっている彼女を、本当にクリエイティブだと感じています。どんなに堅い仕事のなかでも、本人が気づかないところできっと創造性を発揮しているはずなんです。

理恵:きっとそれぞれの場所で、それぞれのクリエイティブの発揮の仕方があるということだよね。私のいる会社では「オーセンティシティ」という言葉がよく使われるのですが、これは社員が、ステレオタイプや社会的プレッシャー、または「他人からどう見られるか」を気にすることなく、自由に自己表現できる環境づくりが重要だという考え方で。そうした環境をつくるために、社員一人ひとりが自身のバイアスを認識し、他人への尊重を忘れないよう、日々のトレーニングや評価制度にもその価値観が組み込まれています。私が知っている日本の環境だと、どうしても他人の目を気にして言えない、できないことが多かったのですが、今の会社では、他人と異なる意見を持ち行動することを価値だとしてくれる点で、「会社員だから自分らしくいられない」というジレンマはほとんど感じません。クリエイティビティを発揮するには、自分らしくいられる環境に身を置くことも大切かもしれませんね。

―新しい価値観を伝えることや、違う価値観を持つ人同士がわかりあうことは、とても難しいことだと感じます。理恵さんはプロジェクトを推進する上でそうした場面をどのように乗り越えているのでしょうか?

理恵:例えばフェミニズムにしても、ただ知らないだけ、という人もいると思うんです。知らないことに対してジャッジするのではなく、人それぞれのステージを尊重しつつ、「こういう価値観もあるんだよ」と伝えてみるという感じでしょうか。本当にいろんな価値観があるなかで理想を目指していくわけですが、最短距離でいこうとすると私だけの考えを推し進めることになってしまう。そうではなくいろんな人の意見を聞きながら、でも最終的な着地点を見失わないようにすることを心がけています。

優子:でも、理恵ちゃんの働いている会社は外資系だし、ダイバーシティや女性の問題について、日本の企業よりは理解が進んでいる気がするけど……。

理恵:たしかに「ダイバーシティ&インクルージョン」は、個人としても企業としても推進していくべきことだよね、という理解は、日本企業に比べて浸透しているかもしれません。ただ、「エクイティ(公平性)」のために女性に席をつくるということに対しては、まだまだスムーズにいかない部分が多いと感じています。男性陣のなかには、自分が不利になるんじゃないかとか、仕事がとられるんじゃないかという思いからか、「なんで女性にだけ下駄を履かせるのか」と言う人もいます。でも、管理職の数にしても給与にしてもこんなに男女比に偏りがあることが数字でも見えているのだから、すでに下駄を履かされている男性も山ほどいるのではないかと思うんです。まずは機会が与えられない環境におかれやすい状況にある女性のために席をつくらないと、本当の男女平等にならないですよね。

―女性リーダーのロールモデルを増やしていく、女性がその人らしく働いている事例を増やしていく、ということも大切なのかもしれませんね。

理恵:そうですね。だから、さまざまな環境で働く女性の事例が注目されたり、またそれぞれが発信したりするのは、すごく大事なことだと思います。こういう女性もいるんだと知ることで、選択肢も広がりますし、前に出ようと思う女性も増えるはずですから。

優子:よく思うのが、私も理恵ちゃんも、日常的に小さな怒りがいっぱいあって、その怒りをどうにかしたいという気持ちで、突き進んでいるような気がするんです。

理恵:私は、その小さな怒りを、“そのままにしない”ということが大事だと思っています。そのためには「声を上げる」こと。私も会社で「それって、おかしくないですか?」「バイアスかかっていませんか?」「なんで女性のスピーカーがいないんですか?」と言い続けていますが、やっぱりすごく疲れるんです。でも今、私を含め多くの女性たちが女性だという理由で“お茶汲み”をしなくていいのは、過去にそれを「おかしい」と声を上げた女性たちがいたからなんですよね。だから、この先を生きる女性たちのためにも、今、私がこの小さな怒りを解消しなきゃと思うんです。それがエネルギーになってる。

努力できる環境にあったこと自体が恵まれている。「ベースラインにある恵まれた環境」を認めることの大切さ

―「働き方の選択肢」について、お二人が考えられていることをあらためて伺いたいです。

優子:選択肢はたくさんあるほうがもちろんいいけれど、その前に社会の仕組みが整わないと、と思うんです。今の状況では、「選択肢はいろいろあるんだから、子育ても仕事もがんばろうよ」なんて簡単に言えない。そもそも保育園に受かるのが難しすぎるし、たとえ入れられたとしても、女性は仕事と育児を両立するためにキャリアを諦めなければならないときがあるし、男性も育児休暇を取ることが難しい仕組みがあるのが現状です。私はたまたま前の仕事のノウハウがあったり、フリーランスの夫と育児を半々でできる環境があったりするから何とかやっていけるけど、そうでなかったらお店を持つ選択は難しかった。何を選択できるのかは、人によってまったく変わってしまいます。

理恵:フリーランスは一つの選択だと思うんですけど、すべての人がそうできるわけではないですよね。そうなると、女性が会社員として無理せず働ける仕組みづくりをしなくちゃいけない。少なくとも自分の働く会社ではそれを実現したいという思いで、私は活動しています。あとは、もっと自由に選択できるようになるためには、躊躇せずに「たくさん稼ぐ」「経済的に自立する」という意識を持つことも大事だと思っています。収入が増えると、ベビーシッターやハウスクリーニングにお願いするとか、夕食がつくれない日にはデリバリーをするとか、選択肢がぐんと増えますよね。

優子:お金は絶対に大事です。まずスタッフが仕事を続けられるためにも、経営はしっかりやらねば、と思います。

―人によっては、選択したい働き方をなかなか選べない状態にある人もいますよね。仕事を選ぶことができるということ自体、運がいいことのように感じます。

理恵:まさにその感覚は、「エクイティ」にも通ずる「プリビレッジ(特権)」という考えで、まずは自らが努力せずとも持つことができている、「ベースラインにある恵まれた環境」を認めることが大切なんですよね。そうすることで、特権がない人の存在に気づくことができるし、その人たちも同じだけの選択を得られるようにするにはどう手助けをしたらいいのか、考えることができると思うんです。今の会社においても、もともとは女性活躍推進のプロジェクトをリードしていましたが、活動を進めるうちに、女性だけでなく、ジェンダーや障害、国籍などの視点でも、それぞれの社員が活躍できる環境が必要であると感じるようになりました。現在は、それらマイノリティの方を包括的にサポートする、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョンをリードしています。

互いの働き方や生き方を讃えあい、自分自身の働き方や生き方も肯定できるために必要なこと

―それぞれが互いの働き方や生き方を讃えあい、また自分自身も自分の働き方や生き方を肯定できるようになるには、どんなことが必要だと思いますか?

優子:すごく難しい質問ですよね。「周りは気にしなければいい」みたいな問題ではないと思っていて、突き詰めると、他人のことが気にならないほど自分のことを尊重できているかどうか、ということだと思うんです。

これは夫ともよく話すのですが、「自信がある」ということは自己肯定感が高い状態で、それを形成するのは結局のところ教育だ、と。理恵ちゃんは、自分が人にどう思われるかの不安よりも「私はこう思う」という意志を尊重させて発言できるし、自分に何ができるかということもよくわかっているし、めちゃくちゃ自己肯定感が高いよね。

理恵:ものすごく高いほうだと思います(笑)。でも、優子さんの言うとおり、それは教育の影響が大きいかもしれないですね。こんな私でも、学校や社会のいろんなルールに押しつぶされそうになって、中学生の頃に一時期、自尊心を失ったことがあったんです。そんな私を救ってくれたのが父親の存在でした。父は「お前は面白い」といつも言ってくれて。「お前は日本じゃ苦労するだろうな。でも、そのままでいいんだぞ」と、むしろはみ出てしまうことこそが私の価値なんだと思わせてくれたんです。

優子:よく存じておりますが、すごくいいお父さん!

理恵:私、「逃げるは恥だが、役に立つ」という言葉がすごく好きなんですけど、日本人が自己肯定感が低い傾向にあるのって、「認めてもらえないのは、自分の頑張りが足りないせいだ」とか、「我慢して努力すれば認めてもらえるはずだ」とか、とにかく熱血系な考えがよしとされるせいだと思っていて。でも、根本的に傾いたシステムのなかにいる場合、どれだけ頑張ったところで報われることはない。だったら、そこから逃げ出そうって、言いたいです。「あなたの踊れるステージは他にあるよ」って。

頑張りすぎないで、でもちゃんと自分の自己肯定感が高められる環境はどこだろうと思ったときに、私は外資系企業だったし、優子さんは花屋をつくることだった。今、何か悩んでいたり、自尊心や自己肯定感を失ってしまっている人には、自分のいる環境を変えてみようって、言いたいですね。

―仕事のこと、社会のこと、日常の小さな怒りについて……何でも話すというお二人ですが、最近はどんなトピックが気になっていますか?

優子:やっぱり教育でしょうか……。例えば、私が息子を普通に「かわいいね」と言うと、「かわいいじゃなくて、かっこいいなの!」って、すごく怒られるんですよ。たぶん男の子は「かっこいい」で、女の子は「かわいい」だと、いつの間にかどこかで植えつけられてしまっているんですよね。まあ大した話ではないのですが、男子は強く、女子はかわいらしくあらねばならないという価値観に苦しめられる大人も少なくないので、すでにここから始まっているなあ〜……と思ったり。社会通念を覆すことはなかなか難しいですが、物事の前提を疑える思考は養いたいと思っています。

理恵:私も自分の子どもにはなるべくバイアスフリーで接したいと考えているのですが、どうしても保育園生活の影響で、子どもが固定観念を持ってしまうことはあります。安全面に配慮して、髪留めはダメとか、ワンピースはダメなどのルールがあるのは理解できるのですが、時々あまりにいろいろなルールが多くて息苦しく感じることも。私がベビーシッターをしていた米国だと、人種も宗教も様々なので、それぞれの文化に配慮して、保育園でも服装のルールはありませんでした。日本は「普通」「常識」「共通」の意識が強く、それから外れることに対して一方的なルールが多くなりがちなのかなと思います。

それもあって私、いつか保育園をやりたいなって思っていて、今はそれについてよく優子さんと話しています。日本の決められたルールに縛られずに親御さんとも対等な立場でつくり上げる、インクルーシブで偏見や差別のない保育園があったらいいなと。障害がある子や外国人の子も、保育園に入りたいという気持ちがある方はなるべく受け入れて、多様でバイアスフリーな環境をベースからつくっていきたい。お互い子育てのフェーズに入って、会社で働いていた頃とはまた違った視点でいろんな話を熱く語っていますね。

優子:理恵ちゃんとは、日々、小さな怒りを共有しています。なんだかずっと怒っていますが(笑)。でも、小さなことが一つずつ、変わっていく未来であってほしいと思っています。だから、怒りというか、課題を見つけ続けるということは、大事なことなのではないかと思っているんです。

橘優子
花屋「橘」オーナー。株式会社電通テック、spfdesign Inc.を経て、表参道の花屋「DILIGENCE PARLOUR」に5年間勤め、出産を機に独立。2020年秋、神奈川県・逗子に「橘」をオープン。花の魅力を広告する意気込みで、様々な企画を立ち上げ中。

花屋「橘」

古田理恵
外資系IT企業営業部長 兼 DEIカウンシル日本リード。2007年、国内広告代理店に入社。2010年退職後、ベビーシッター用のビザを取得してアメリカ・コロラドでホームステイをする。帰国後、日本のIT会社を経て、2014年現在の会社へ。社内のエンターテイメント業界の広告営業部長を務める傍ら、学生時代に女性学を専攻した経験を活かし、社内外のDiversity, Equity & Inclusionを推進するDEIカウンシルリードを兼任。Forbes Japan Women Award2017チェンジメーカー賞およびIWC賞を受賞。

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