駅前のセブンが閉まっている。いつもと少しだけ違う街をくぐりながらバイトに出勤する19:00。
今日は最後のバイト出勤日で、「お世話になりました」と「よいお年を」がセットで交わされると、なんだか大きな晴れ舞台に立っている気分になる。しばらく会えていなかった同僚からは、髪の毛の地毛が伸びた分が会ってなかった時間だねと言われた。
バイト先のホステルは満室。11月ごろから旅行客が一気に増えて、土曜日などは2週間前から満室になるようになった。私が働きはじめた1年半前は半分も埋まらないことが多かったのに。懐かしいような、もうすでに知らない場所のような気持ちでフロントに立ってチェックインを済ませていく。それぞれの事情や予定を抱えて、大晦日を家で過ごさないことに決めた人たち。それらに想いを馳せるでもなく、12月31日に一つのホステルに集まっているというその事実だけで十分だった。眠るために使う場所。どこに行きどこから帰ってくるのかはわからない。そうやって半年ほど泊まっていた人が何人もいる。
21時ごろから、ホステルに併設されたカフェのお客さんがぱったりといなくなった。通りは夜中のように人気がなくて静かだ。ニューイヤー前のお祭り騒ぎを予想していたから、拍子抜けするとともに少し怖くなる。あたりには街とともに暗くなったお店があるばかりで、唯一の光として取り残されてしまったかのよう。静まり返った夜はそのまま1月1日になった。締め作業をしていて気付かず、少し経ってから「あ、日付変わりましたね」と声をかけ合った。陽気な声に囲まれて年を越すものだと思っていたから、恥ずかしさを感じながら用意していたよりも控えめに「おめでとうございます」と言って、そのままそっと締め作業に戻った。
静かな夜をたっぷりと蓄えた夜中はさぞかし冷たくて重いのだろうと思っていたが、通りにはおでんを食べながら歩いている二人、バスケのドリブルをしている子ども。いつもよりちょっとだけ多く、そしてちょっとだけ特別に夜を渡り歩く人がいる。
夜中を照らす街の光は、いつもと同じだけだった。いつもより早く消えていた光はきっと普段であれば人々の帰宅とともに消えていた光で、元から夜中には光っていないのだ。帰り道はいつも、さまざまなトラブル対応に疲れて険しい顔をしながら自転車に乗っていた。苛立ちや悔しさは車輪の回転に乗ってリズムを持ちはじめる。現れては過ぎ去っていく淡白で少し滑稽な看板たちとともに、だんだんと過去のものになっていく。そうやって家に着くと、冴えた頭でパソコンの前に座って過去を記述していくのだ。眠れない夜とはまた違う夜。どこかに載せようと思うのに書いているうちに眠くなってしまうから、私のパソコンのメモには午前2時の書き途中がたくさんある。