映画『あのこと』主演俳優に、山崎まどかがインタビュー
2022/12/21
1960年代、法律で中絶が禁止されていたフランス。2022年に『ノーベル文学賞』を受賞した作家アニー・エルノーが、当時体験した自身の実話をもとに書き上げた「事件」を映画化した『あのこと』は、望まぬ妊娠をした大学生が、自らが願う未来をつかむためにたった一人で戦う12週間を描いた作品。主人公のアンヌを演じて『セザール賞』を受賞したアナマリア・ヴァルトロメイの来日にあたり、コラムニストの山崎まどかさんがインタビュー。
シャネルの赤いボーダーのカーディガンにジーンズというカジュアルな装い。前の晩の11時に日本に着いて、今日はずっとプロモーションのためにホテルに缶詰めになっているというのに、アナマリア・ヴァルトロメイはとてもリラックスしていて、溌剌とした魅力と知性でキラキラしていた。『あのこと』で彼女が演じたはりつめたアンヌとはまた違う。でも、あのヒロインは彼女が自分の身体と感情をフルに使い、生み出したものだ。
1960年代、まだフランスで中絶が違法だった時代。望まない妊娠をした主人公が自分の身体における選択権を求めて、必死に戦う主人公を演じた彼女に、女優として、そして一人の女性として、撮影現場における“演じる身体”について聞いてみたかった。俳優たちは映画監督のビジョン、そして物語に貢献するために自分の表情やボディランゲージを使い、内面の脆い部分まで時に差し出す。『あのこと』はベッドシーンだけではなく、堕胎のための処置や流産の様子も生々しく描いている。そういう現場において、俳優はどのように守られるべきか。大きな議論を呼んでいるトピックスだが、『あのこと』の撮影で、彼女はそれについて大きく思い悩んだことはないようだ。
クランクイン前に撮影のリハーサルが2週間ほどあったそうだが、中絶のシーンはそこに含まれていなかったと言う。
「一人ではなく、複数のキャストが出てくるシーンや、アンヌがどのような振る舞いや動作をするのか、どのような視線を投げかけるか。それについてはリハーサルでやりました。でも、中絶のシーンについては、リハをやってしまうと内部から自然に生み出されるものが損なわれてしまうので、それをやっても意味がないのではないと言うので、やりませんでした」
当然、それがテーマの映画なのだからヌードや中絶のシーンがあるのは当たり前で、インティマシー・コーディネーターの介入の必要性も感じなかったと彼女は語る。
「インティマシー・コーディネーターの役割自体には反対しません。ケースによってはそういう指導も必要だけど、今回の作品についてはそういう専門家はいらないのではないかと思いました」
第三者の介入の必要性を彼女が感じなかった理由には、ハリウッドやその他の大作映画とは異なる現場のムードや考え方の違いも大きいのだろう。つまり、最初から信頼性があって成り立つことなのだ。
「スタッフが本当に気を遣ってくれて、そういうシーンのときは全員が現場にいるのではなく、かなり人数を絞っての撮影になりました。セックスのシーンでも私が自由に動ける配慮がされていて、性器のところにプロテーゼ(シリコンのプロテクター)があったので、何の不安もなく演じることができたんです。現場の雰囲気も、そうですね、“環境に優しい”という言葉があるけれど、俳優に対してとても優しい、リスペクトのある撮影現場だったと思います」
撮影ということでいうと、『あのこと』はカメラが主人公に密着していて、とても距離が近い。アンヌが経験していることをこちらが追体験しているような気持ちにさせられる画面だが、そのことは演技者にどのような効果を及ぼしたのだろうか。
「(あの撮影は)とても自然な形でした。でも、私たちはとてもラッキーだったんです。撮影監督のロラン・タニーと私たちに、まるで錬金術みたいに、お互いの垣根を超えたようなすごくいい雰囲気が生まれていたので、どれだけ撮影者が近くにいても撮影自体はシンプルだったんです。本当に肩越しにずっとカメラがいるわけなんですけど、もっと言うと、アンヌが後戻りしたり、振り返ったりすることができないようにカメラに後押しされているような感じさえありました」
ただ1960年代の事情を追うドキュメント的なものではなく、あれはヒロインそのものの視点が反映されたカメラであり、同時にアンヌの勇気を鼓舞するような、高次における彼女自身を表現するようなカメラだったのだと、アナマリアの言葉で気が尽かされた。『あのこと』にはわかりやすい現代的な視点は持ち込まれていないが、カメラは自分の意志に従うアンヌの行動への支持を示していたのである。
アナマリア・ヴァルトロメイは10歳で、映画『ヴィオレッタ』(2011)の主演を務めた。その彼女が『あのこと』で自らの身体と未来のために戦うヒロインを演じたと考えると、感慨深い。『ヴィオレッタ』は写真家のイリナ・イオネスコと、その娘のエヴァをモデルにしている。あの映画では母親にとって幼い娘ヴィオレッタの身体は自身の存在の延長上にあるものであり、自分の表現手段としていくらでも好きに使っていいものであった。ヴィオレッタは母の愛を求めてヌードにまでなるが、やがて母親の支配や搾取に気がついて、その有害な関係性から逃げ出そうとする。『ヴィオレッタ』も『あのこと』も自分の身体を取り戻す役だが、彼女自身は連続性を感じているだろうか?
「それだけではなく、私は『王女たちの交代(L’échange des princesses)』(2017)という歴史劇の映画で、政略結婚させられる王女を演じているんです」
18世紀が舞台のこの日本未公開作で、彼女が演じたのはフランスとスペインの和平の道具として12歳でスペイン王太子に嫁がされるオルレアン公の娘。彼女の幼い身体や性は国家の道具だ。
「でも彼女は夫とのセックスを拒否して、自分の侍女と関係を持つんです。意志を持ってそういう行動を選ぶ。(1960年代のアルザスが舞台の)『5月の花嫁学校』(2020)では、自分がレズビアンであることを隠そうとせず、気後れすることもない女の子を演じています。そういう役を選んできている。それは偶然ではないんです。私にとってはとても大切なテーマなんです。女性がいわゆる既存の考え方やルールから自分を解放しようとする姿ほど勇気を感じさせることはないし、これほど力強くて美しい行為は他にないって思っている。先ほど、インタビューの前に少しお話ししたときに日本の女性はこうあるべきだというイメージに縛られがちだと聞いたんですけど、そこから解放されようとすることほど、勇敢な行動はないですよね」
アナマリアは撮影前に原作を読んで、そのときに感じた怒りをキープすることで準備に臨んだという。
「彼女(アンヌ)に課されたものに対する怒りもあったし、自分自身がそのことに対して無知だったということに対する怒りもありました。でも、そうしていたらコロナのパンデミックによるロックダウンで撮影が伸びてしまった」
その分、監督と連絡を取り合ってリサーチに励んだという。ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』(1999)やルーカス・ドンの『Girl/ガール』(2018)といった彼女が課題として見た作品の中に、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985)があったという事実に感動した。『冬の旅』の主演女優であるサンドリーヌ・ボネールは『あのこと』ではアンヌの母親役で出演していて、自分の存在をかけて戦う女性像を演じるフランスの女優たちの豊かな文脈が受け継がれていくのを感じた。そのサンドリーヌ・ボネールからどんなインスピレーションを受けたか、何かアドバイスをもらったかと聞くと、彼女の顔がパッと輝いた。
「(彼女が14歳で主演を務めた)モーリス・ピアラ監督の『愛の記念に』(1983)から、私にとってもうサンドリーヌ・ボネールというのは、滅多にいない、本当に真実を映像にできる女優なんです。パワフルで、それもつくられたというよりも彼女自身の中から生まれたもので、それでいてチャーミングで、全てにおいて彼女は生まれつきカメラの前で演じることを運命付けられていたのではないかと思うくらいです。女優だったらあの資質を全部欲しいはずですけど、持って生まれた天賦の才だけではなく、相当の努力もある。そこが素晴らしい。私は彼女から“演じているときは自分にとらわれてはいけない、カメラ映えに気を取られて、映像や写真をチェックして自意識過剰になってはダメ”とアドバイスを受けました。あなたが擁護するべき人物を演じることに集中しなさい、モデルじゃないんだからって」
サンドリーヌ・ボネールからそう言われて、『あのこと』では自分がどのような演技をしているのかを意識しないように務めたと彼女は言う。
「私が演じるアンヌを美しく見せようという意図はありませんでした。これは真実を描く映画なのですから。ニキビがあったり、お腹が大きくなったり、ノーメイクだったり、そういう普通なら女優が気にしそうなこともそのまま映し出す作品なんです。私が気にしてしまうと、演技の真実が失われると思いました」
そこには女優、特にフランスやイタリアの映画において女優が実物以上に美しく、アイコンとなることを求められていた今までの映画史からの脱却という意図もある。男性的な視点によって女優の身体の上に映し出された幻想からの解放である。
「確かに女優にとって、自分がどのように映し出されているのか、そのイメージを意識しないでいるのは本当に難しいこと。簡単に脱却できるものではないと思います。でもそれとは異なるレベルで演技をしている女優もいる。ジュリエット・ビノシュやサンドリーヌ・ボネールがそうです」
アナマリア・ヴァルトロメイは映画の中だけではなく、イメージとして消費されてきた女優の身体を取り戻す、その戦いの最前線にいる女優なのだと感じた。だからこそ、『あのこと』で彼女が演じるアンヌには説得力がある。
「でも、レッドカーペットを歩くときは、また別の話ですよね」
彼女はチャーミングに微笑んで、そう付け加えた。
アナマリア・ヴァルトロメイ
1999年、ルーマニア生まれ。12歳の時に『ヴィオレッタ』(11)で映画デビュー。写真家である母親に幼い頃にヌード写真を撮られた女優のエヴァ・イオネスコが、自らの経験を元に監督した問題作で、彼女をモデルにした役を演じ話題となる。その後、『乙女たちの秘めごと』(17・劇場未公開)、『ジャスト・キッズ』(19)、ジュリエット・ビノシュ主演の『5月の花嫁学校』(20)などに出演。本作で、セザール賞最優秀新人女優賞、ルミエール賞に輝き、2022年のベルリン国際映画祭でシューティング・スター賞を受賞するなど、今後が期待される若手俳優のトップに躍り出る。
プロフィール
『わたしたちのスリープオーバー』
「映画の中に見る女性の生き方 山崎まどかさんとスリープオーバー」
me and you がナビゲーターを務める音声コンテンツ『わたしたちのスリープオーバー』。山崎まどかさんをお迎えして、映画の中にみる女性の生き方や性の描かれ方についてお話しした回で、映画『あのこと』の魅力についてたっぷりお話しいただいています。
「映画の中に見る女性の生き方 山崎まどかさんとスリープオーバー」│わたしたちのスリープオーバー
「映画の中に見る女性の生き方 山崎まどかさんとスリープオーバー vol.2」│わたしたちのスリープオーバー
※vol.2で、『あのこと』についてお話ししています。
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