朝6:30に起きて、7:30から美学校のオンライン講座。日本は20:30。4月から始まったシャドーフェミニズムズ講座の今日は4回目で、時間をクィアするってなんだ? ということをみんなで話した。まず私の方から、人が成長して、大人になって、社会の中で何かを生産したり役にたったりしながら生きていくという時間の過ごし方に対して、そういう真っ直ぐな時間から脇道へとそれてしまうことや、成長よりもむしろ自己破壊的な欲望をもってしまうことについて、ジャック・ハルバースタムやリー・エーデルマン、レオ・ベルサーニの本を例にだしながら話してみた。小休憩を挟んだあと、おしゃべり時間として、気になったことについて話を深めてゆく。この日は13人ほど参加していて、参加してくれた方のなかから、実際に仕事して生活していくなかで、周りの理解を得るために、大勢の価値観に当てはまるような言葉を選んで自分を説明したり、時間を過ごしたりしているうちに、自分の形が変えられているような、その価値観を脅かさない範囲にクィアな時間が納められているような、そんな気持ちになることがある、という意見がでた。また、自分が相手に合わせて言葉を選ぶことに罪悪感を感じる、とも。他の方からは、大勢を説得するための言葉をもつことと、そういった大勢からは理解されないような欲望をもったりすることのどちらにも自分の居場所を置いている状態を「こうもり🦇」状態と表現して、いかにこうもりでいられるかじゃない? という話がでたりもした。それを聞いて、私も子供のころに読んだイソップ物語を思い出した。動物にも鳥にも仲間だと言うことで、最終的にどちらのコミュニティからも追い出されてしまうこうもりの話。子供のときに、嫌われたくなければ、こうもりでいてはいけないという結末を読みとって怖かったけど、今は、そういった子供のころ無性に怖かった物語を読みなおして、読み方を変えることで気持ちが軽くなることもあるのかもしれないと思った。