続く第二夜では、リスナーの方から寄せられたメールをご紹介しながら、引き続きはらださんと一緒におしゃべりしていくことに。
「セックスの数=愛情のバロメーターではないと思いますが、深い愛情を実感するものとして、セックスの代わりになるものが他にあるのか正直わかりません」というリスナーの方からのおたよりに答えていくなかで、それを見つけていくためには相手とのすり合わせが必須だけれど、なかなかそれがしづらいという現状があることが話題に上がります。
はらださんは、対等な関係であってもセックスについてパートナーに相談しづらいと思ったり、セックスがうまくいかないと交際が立ち行かなくなるのではと悩んでしまったりすることの原因として考えられる、5つの理由を紹介してくださいました。
- 自分がしたいときに相手がパートナーでなければならないという制限
- 相手の性欲を解消させる義務がパートナーである自分にある気がする
- 自分と相手のセックスに対するボルテージに差があること自体が悪いことのような気がしている
- 自分と相手のボルテージに差があるときに、解決策を講じること自体がなんだか素敵じゃないような気がする
- セックスをする年齢にタイムリミットがある気がする
こういった感覚は社会が女性にどうあってほしいかという期待から発生していることや、結果的に日本では特に男性と比べて女性がセックスについて話しづらく、性的なことに積極的になるのが難しいという価値観の「整備されてなさ」が残ってしまっていることに触れながら、だからこそ、パートナーとの関係でセックスについて悩んでしまうのは、「整備されていない社会規範」のせいであって、あなたのせいではない、と言います。
「セックスレスについて書かれた記事で、『求められる女になるには』みたいなものもすごく多いけれど、男女の場合、性の主導権をもつ権利は男性だけでなく女性側にも平等に存在しているはず。でも、社会によって植え付けられてしまっている『女性はあまり能動的に性に対する欲求を開示してはいけない』といったムードから抜けられていないところがありますよね」と竹中もはらださんの言葉に答えつつ、悩んでしまうことは「あなたのせいではない」ことの理由を三人で具体例を出しあっておしゃべりしながら、一つひとつ解きほぐしていきました。
はらださんが挙げてくださった5の理由のように、性的なことは若いうちにしか楽しめない、年齢を重ねてセックスのことを考えるのはみっともないなどと「タイムリミットがある」ように思わされていることや、「1か月」などという定義に焦りを感じて悩んでしまうこともあります。けれども、本当は性を楽しむのに年齢や期間は関係ないはずであり、自分や相手の身体や心の状態によって刻々と変化してゆく「心地よさ」を見つけていくのはきっと時間がかかること。だから焦らず、いつか見つかったらいいな、くらいの気持ちでいるのがいいですね、と自分のペースと温度で向き合いながら、手さぐりで見つけていくことの大切さを再確認することにもなりました。